■ Pierced
由都 路様


 4年前の、そう、確か夏休みに入って1週間目くらいだった。
 わたしとナツ、ナツミというのだけれど、は、高校最後の夏休みに、毎朝一緒に図書館へ通っていた。図書館に行けば勉強に身が入るかと言えばもちろんそんなことはなくて、わたしは柄にもなく人生なんてコトバを考えてみたりした。首筋を這う汗の、むず痒い感触ばかりがやけに気になって。
 ナツは一所懸命勉強しているみたい。ナツって真面目だなー。小さいし、大人しいし、色白だし髪も綺麗だし、女の子女の子している。今日の、真っ白なノースリーブのブラウスも、とっても似合うし。こういう服を着ると、ナツって結構胸もある。大柄でやせぎすなわたしとは随分違う。わたしはベリーショートだけれど、ナツは肩に掛かる髪を後ろでポニーにして、青いリボンをつけていた。それでも、こんな二人が仲良しなんだから面白い。家が近所だってこともあるけれど、気が合うというか、うまくやっている。わたしがお姉さん格で、ナツはよくわたしに、甘えたような狡いような、可愛い笑い方をする。今は澄ましているけれど。


 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。夏休みなんて、遊ぶためにあるのに。最後の夏休みなのに。
 ううん、考えたって無駄なことくらい分かっている。分かっているけどさァ…。


 お昼前に図書館を出た。外の暑さが一瞬、気持ちいい。相変わらずセミがうるさい。
 図書館を出てすぐを左に曲がる。カメラ屋さんがあって、お蕎麦屋さんがあって、オバサンっぽい服しかないブティックがあって、そんな中を二人でとぼとぼと歩く。見慣れた町の景色が、じりじりと白く焼かれていく。
 ちょっとだけイライラしていて、でも何も考えられなくて。なんだか息苦しい。
 「ねぇ?」薬屋さんの前で、ナツが言った。「うちの方で工事していたでしょう?あそこ、小物屋さんになったんだよ。」
 「へぇ?」間の抜けた声でわたし。そんなわたしを、ナツは例の笑顔で、見上げて、
 「ちょっと行ってみない?」


 小物屋さんは、この町にしてはなかなか上出来のお店だった。明るくて清潔そうな店内に、リップとか、カチューシャとか、そんな細々としたものがいっぱい詰まっていた。ポプリの匂いをかいだり、ハンカチを選んだり、しばらくそうして遊んでいた。うん、学校の帰りに、ちょっと寄ってみたら面白いかも。
 「あ、これ綺麗…」ナツが立ち止まって呟く。見ると、ピアスだった。
 「どのピアス?」
 「これ」ナツが指さす。銀に、蒼い小さな石をはめ込んだピアス。
 「アメジストって、ゆーんだよ」ナツが言う。
 「かわいいね。涼しそうだし」
 「これ、欲しいなァ」
 「あはは、ナツが?」イイコのナツがピアスを欲しがるのが、ちょっとおかしかった。
 「あー…笑ったァ…」ふくれるナツ。
 「ごめんごめん」
 軽く謝ったけれど、じっと、ピアスを見たままナツは返事をしなかった。ひょっとし
 て本気で怒っちゃった?
 「ごめんってば」声を落として、もう一度謝る。
 「わたし」相変わらずピアスを見つめたまま、ナツは言った。「これ、欲しい」
 そう言うなり、ピアスを展示ケースからはずして、レジに向かう。
 「ちょっと、ナツってば」わたしは慌てた。
 わたしたちの通う高校では、ピアスは校則で禁じられていた。もちろん、ナツの耳には、ピアス穴なんて、ない。ナツがなにを思ったのか分からずに、でも止めることもできなくて、わたしはただナツがお金を払うのを見ていた。
 ナツは、小さな紙包みを持って、帰ってきた。
 「行コ」そう、促されて、小物屋を後にした。


 なんだか話しかけづらかった。ナツは心持ち早足で歩いていく。両手で鞄と、紙包みをしっかり抱いて。そこまで欲しかったのか、どうするつもりなのか、訊きたかったけれども、結局何も言えないままナツの家の前までついてきてしまった。
 「ねぇ、ナツ?」思い切って口を開く。と、ナツはそれを遮るように、
 「寄って行コ?ピアス、見せてあげるから」


 ナツの部屋に通されて、麦茶をもらって、なんだか胸騒ぎがしたけれど、一口だけ飲んだ。ナツは紙包みからピアスを取り出すと、机の上に置く。
 「やっぱり綺麗だよね」乗り出すようにピアスをのぞき込んで、ナツ。わたしものぞき込む。カットした蒼い石がきらきらと、光る。
 「うん、綺麗だけどさァ」隣のナツを見て、「でもうちの学校、ピアス禁止だよ?」
 「だって、綺麗だよ?」
 「そりゃ綺麗だけれど…」
 「つけてみたく、ない?」あの笑顔。
 「ナツ。だから校則で」
 「関係ないよ」じっとわたしを見つめて、ナツは言った。関係ないよ。大きくも小さくもない声で、強くも弱くもない声で。
 わたしはもう何も言えなかった。
 「ひとつ、あげるね」ナツは、ピアスを止めていた厚紙から外すと、わたしの手を取って、1つだけ、わたしの手のひらの上に置いた。そして引き出しから安全ピンを取り出した。
 「痛いかもしれないけれど、我慢してね」
 ナツが近づいてくる。わたしの右耳をのぞき込む。汗の匂いと、ナツの体温が分かる。安全ピンを外す気配に、思わず身じろぐ。
 「動かないで」
 ナツがわたしの耳に触れる。と、冷たい感触。わたしは思いきり目をつむる。全身に力が入る。動かないで。
 痛…。
 貫通したのか、一度刺した針を抜くのがわかった。ティッシュで抜いて、あ、こんどはピアスかな…。
 短いような長いような時間の後、ナツが離れた。わたしはゆっくり目を開ける。
 「ふふ、似合う」ナツが笑っていた。
 右耳はまだ痛かったけれど、なぜだかほっとした。全身の力が抜ける。いつの間にかピアスを握っていた。手が汗をかいている。
 「わたしにも、空けて」そう言って、ナツはわたしに安全ピンを手渡す。
 ハンカチで手を拭いて、安全ピンを受け取る。
 ナツはちょこんと座って、目を閉じている。手に握っているティッシュは、さっきわたしの血を拭いたものだ。
 どきどきと、鼓動がうるさかった。わたしは大きく息を吸うと、ナツの右耳に近づく。ナツの耳たぶは夏だというのに白かった。指で触れると柔らかく、冷たかった。わたしは少し考えて、耳たぶの真ん中に安全ピンの針を当てる。おそるおそる力を入れてみたが、刺さらなかった。
 「もっと、思いきり」ナツの声。
 思い切って力を加える。と、今度は針が刺さった。しかし耳の皮が延びてなかなか貫通しなかった。もう一度、力を入れる。今度は貫通した。針を抜くと、ぷくっと、小さな血の塊ができる。白かったナツの耳たぶが、ピンク色になっていた。血をハンカチで拭って、持っていたピアスを通す。止め金を止める。
 身体を離して、ナツを見た。
 「似合う?」とナツ。
 「うん、似合うよ。とっても」きっと、とても情けない顔で、わたしは言う。ピンク色のナツの耳たぶに、蒼いピアスは本当に似合うと思った。
 「ホント?嬉しい」そう言って、ナツは、本当に嬉しそうに笑った。
 わたしは、また手に汗をかいていた。手を拭こうとして、ハンカチについたナツの血に気づく。見ると、人差し指にもちょっと、ついていた。
 人差し指を舐めると、鉄の味がした。
<2000.02.04 UP>