桜の園 |
「見たわよ。ユイ」 放課後の人気のない資料室。 午後の遅い時間の日差しが日焼けした明るい色のカーテン越しに、うっすらとほこりをかぶった書類棚を照らしだしていた。 そこに、柔らかなトーンの声が響く。でも、それは外に漏れることはなく、時間が止まったようなその部屋の空気を微かにふるわせただけだった。 ガラスの嵌められたドアからも、開け放した窓からも死角になる棚の奥で、ふたつの影が動く。近隣の男子学生なら誰もが憧れる、清楚なグレーと白のセーラー服。ひざ上10センチできちんとプレスされたプリーツが、柔らかな足の動きにあわせて皺をきざむ。 背の高い少女が、腕の中のやや小柄な少女の頬にくちづけ、ついで唇をかさねた。 幾度かかるく触れ合わせたのち、深く重ねて舌を滑り込ませる。うっとりとした表情で小柄な少女は目を閉じている。 二人はしっかりと抱きあい、時折より強い密着感をもとめるようにそのしなやかな体をきつくからみあわせる。 窓から吹いてくる幾分か肌寒い初春の風が、二人の足元にひとひら、ふたひらと儚い淡雪のような花びらをはこんだ。 2階の資料室の窓のすぐ外で、青空に手を差し伸べている満開の桜。ごつい樹皮を覆い隠すようにたわわについたかぎりなく淡い色の花びらが、風に身をまかせて真昼の雪のようにあたり一面にふりそそぐ。 「……え?」 ようやく言葉が届いたのか、抱かれている少女がどこか焦点のあわないぼやけた瞳をうっすらと開いた。 その視界に映っているのは、逆光にあわい影を刻んだととのった輪郭と、白い頬をふちどって肩まで流れていく手入れされたストレートヘア。それからはっきりとした意志を宿した瞳と、すっと通った鼻筋。果物みたいにみずみずしく、ふっくらとした唇。決して見飽きることのない美しさに、見つめるたびに小さな感動すらおぼえる年上の恋人の顔だ。 「冴子先輩……」 見上げているうちに、うっとりとけぶっていた瞳が、みるまに薄い水の膜におおわれていく。 二人は合唱部の先輩と後輩だった。背の高い少女は卒業を間近に控えた3年生で、夏前までは部長として30名の部員を束ねていた。高瀬冴子という凛とした名にたがわない強さと、人を寄せつけない美貌とは裏腹の人当たりのよさは学校中の思慕の的になるには十分すぎる要素だった。もちろん、いま、彼女に抱かれている仁藤ユイも冴子に思いをよせる後輩の一人だった。 夏休みまえに行われる地区コンクールの練習のとき、居残りして練習するユイにつきあって、冴子も音楽室に残った。うまく声がでないユイの頬に、冴子の指がふれる。顎をだしすぎないように……そう、体の真ん中から声が抜けていくのよ。そんな風に言いながら、冴子はじっとユイの瞳を覗き込んできた。早鐘のように打つ心臓をけどられないようユイは瞳をそらそうとした。が、両方の頬を冴子の両手に挟まれて逃げ道を失った。息がかかるくらい間近に顔をよせて、冴子は優しく愛の言葉を囁いた。そのまま抱きしめられ、頬にキスの雨が降ってくる。嘘、とユイの口から漏れるたび、冴子の唇がそれを塞いだ。ユイが信じるまで、そのキスはくりかえされた。おかげですっかり真っ赤になってのぼせてしまい、その火照りがさめるまで帰れなかったことも、今では懐かしい思い出のひとつだった。 卒業式はもう来週に迫っている。 冴子と、こうして学校でふたりっきりになれるのは今日が最後かもしれない。どうしようもない寂しさにつきうごかされて、愛しさとせつなさの入りまじった気持ちのままに子どもじみた仕草で頬をすりよせる。 冴子は、ユイの柔らかな髪をやさしく撫でながら、その背中をしっかりと抱きしめた。 「今日のユイは、甘えっ子なのね」 柔らかな唇が、熱をおびた瞼に優しく押し当てられた。 卒業後、冴子がどうするのかユイは知らない。 聞いても秘密めかした仕草で「内緒よ」と言われると、それ以上聞き出すことなどユイにはとてもできなかった。そのことが、ことさらにユイの不安をかき立てる。教えてくれないということは、どこか遠くに行ってしまうのかもしれない。やはり、自分は卒業とともに捨てられてしまうのだろうか。 こんなにも好きなのに、離れなくてはいけないなんて。 じわり、とまた涙がこみあげてくる。せめて、それが流れてしまわないよう息を殺した。 「泣かないのよ。ユイ。いい子ね」 頬に、額に、くりかえしキスが降ってくる。 声を出したらそのまま涙が落ちてしまいそうで、ユイは目を閉じたまま、だまって優しいキスの雨に打たれていた。 「日曜日、映画館の前にいたでしょ」 やがて、冴子は可愛い恋人の耳元に身をかがめて、ひとことずつ言い聞かせるように柔らかな声を吹き込んだ。頬にあたるユイの柔らかなクセっ毛をしなやかな指で弄びながら、しっとりとした唇で産毛の残るちいさな耳の端をとらえる。 おもわず肩をすくめたユイが、それでも小さくうなづく。続けられた言葉に、ユイの体がびくり、とふるえた。 「ユイ、あなた男の人と一緒だった……」 はじかれるように顔をあげた途端、かろうじてこらえていた涙がひとしずく頬を流れた。 「それは……っ、私の兄で…」 「ばかね」 冴子は苦笑して、ユイの柔らかな唇に、羽のような軽いキスを降らせた。そして、そのまま頬を流れ落ちる雫をそっと吸い取る。なだめるように髪を優しく撫で、静かな声でゆっくりと言った。 「そんなつもりで言ったんじゃないのよ。ユイにお兄さんがいることぐらい、ちゃんとわかってるんだから」 「……はい……」 まだ涙ののこる恋人の頬にもうひとつ軽いキスをふらせ、冴子は白い指先をセーラーの裾にもぐりこませた。 「あ……」 敏感なわき腹がなめらかに動く指先で愛撫される。しらずユイは背中の棚に肩をあずけて、ほっそりとした体をのけぞらせた。 「ユイは男の人が苦手だってことも、ちゃんと知ってる……」 「せんぱぁい……」 喉元に熱い唇がおしあてられ、息詰まるような熱としびれるような感覚が、ユイの思考をとかしていく。ふたたび唇がかさなり、導かれるままに舌と舌がからみあった。甘いくちづけに、涙はいつのまにかどこかに消えてしまっていた。 ひとめを盗むようにこうしてくり返された逢瀬は、その背徳的な甘さでまだ幼さのぬけない15才の少女を虜にした。最初は無知からくる漠然とした嫌悪感からとまどい、逃げることすらあったのに、いつしか、ユイはそれを心待ちにするようになっていた。冴子の唇が、指が、自分の身体と心を快楽の泉へ導いてくれることを知ってしまったから。 「ユイ……かわいい…」 セーラーの胸元のスナップがはずされ、ゆっくりとまくりあげられていく。すきとおるような白い肌に、清楚な白いレースでできた瀟洒なブラ。レースの向こうから、淡い色の先端が透けていた。しなやかな冴子の指先がそのレースのふちをなぞったかと思うと、気がついたユイが止める間もなくその布を押し下げ、ついでぽろんとゆたかな乳房がまろびでた。 「あぁ……」 ふわり、とユイの白い頬がピンク色にそまる。 魅力的なカーブをえがくふたつのふくらみの先端をなぞるように、指先がゆっくりと円を描く。感じやすい肌を愛撫されて、ユイの唇からため息がもれた。 やわらかなそのまろみを掌全体でやわやわと撫で、冴子は目をとじたユイの耳元にそっと囁いた。 「お兄さんととても仲よさそうにしてた……。ユイがとても嬉しそうに笑ってるから、ちょっと妬けちゃったわ」 「ゃん…」 くすぐったそうに首をすくめて、ユイは甘えた様子で笑い声をあげた。が、冴子が自己主張し始めた先端を指先で押しつぶすようにころがしはじめたので、その声はやがて小さなあえぎ声にとってかわっていった。ぴんと上をむいて尖った先端をつままれ、しごかれ、時に柔らかな舌先でちろりと舐められると、下肢にむかってじんじんと熱い感覚が流れ出していく。 「せんぱぁい……あ……ふぁ………ぁ……」 冴子の舌が敏感な乳首をからめとりながら吸い上げた。その舌がいやらしく動くたび、ユイの腰は跳ね上がり、膝ががくがくとふるえた。もっと愛撫をねだるように胸をつきだす。ひっきりなしに擦りあわされる膝の奥は、すでにあふれんばかりの蜜でいっぱいになっていた。 「お兄さんが好きなんでしょう?」 睦言の響きのままに、そんな言葉がユイの意識にすべりこんでくる。 「え………?」 かり、と乳首に軽く歯をたてられて、思わず背が反り上がった。ほんのわずかな痛みとしびれるような快感をもたらすぎりぎりの力加減だ。 「一緒にいるときのユイの顔を見て、すぐにわかったわ」 「やぁ……ちが……っ!」 否定の言葉は、両方の乳首からあふれた快楽にかき消された。舌と指が動くたび、言葉にならないあえぎ声が漏れる。 「私といるときと同じ……こんな風にかわいいユイだったんだもの」 ぼんやりと蕩けかかった思考の片隅を、冴子の声が引っ掻いていく。 「お兄さんにも、こんなふうに、してもらいたいのよね? ユイの感じやすい乳首を噛んだり、舐めたり……」 「ふぁ……っ! せんぱい……っ……あぁ……や……」 ユイの脳裏に8つ年上の兄の笑顔がゆらめく。痴漢に乱暴されかけて以来、男性不信になったユイが、ただひとり信頼できるのは兄の和哉だけだった。 「いや……あ……あぁ……」 その兄にこの痴態を見られたら……想像しただけで、かっと体中が熱くなる。身の置き所のない羞恥と同時に感じてしまった見られることへの悦び。そして、反射的に浮かんだ後ろめたささえ、今は快楽のスパイスにしかならない。 「いい子ね、ユイ……」 自然に開いてしまった膝の間に、冴子の指が忍び込んだ。震える肌を伝って、湿り気を帯びた薄い布の上にたどりつく。 「こんなに感じやすくて、かわいいユイをお兄さんにも見せてあげたい」 指先に力を入れずに、爪先で軽くひっかけるように湿り気をたどっていくと、途中でひっかかった突起にびくり、とユイの体が震えた。 「ここが気持ちいいの? ……こうしてほしいの?」 かり、かり、と布をひっかくように突起の上を幾度もなぞる。そこがうっすらと透け、あつい熱気をはらむまで、静かな愛撫はくり返された。 「はぁんっ……せんぱぁい……あ……あぁ………」 「いいのよ……私の指をお兄さんの指だと思っても……かわいいユイを全部見せて……」 冴子の言葉と同時に、熱く蕩けたそこがひんやりとした空気に晒される。 「あ……っ!」 薄い布が端によせられ、つめたい指先がぬるりと腫れた突起をこすった途端、全ての思考が弾け飛んだ。 リズミカルにむきだしにされた芽をなでまわされるたび、じんじんと痺れるような感覚がユイの最奥を疼かせ、欲望を駆り立てていく。 「あ………もっと……もっとぉ………っ」 知らず前に腰をつきだすようにしてねだるユイに、冴子の指先はいよいよイヤらしくとがりきった芽をこねまわす。きゅ、きゅと体の奥がひっきりなしに鳴いているのを感じて、ユイは恥ずかしさに更に甘い声をあげた。そこらじゅうを濡らしている蜜が、重力にしたがって、ゆっくりと垂れていく。 ユイのひくついた花びらから、内股へ、また、花びらの奥のひそやかな蕾へと。その感覚がまたユイを追い上げていく。 「やぁ……あぁ……くぅ……っ…」 「お尻まで濡れちゃってるわ……イヤらしい子ね、ユイ。大好きよ」 冴子の声が、下の方から聞こえた。 「キレイにしないとね……」 ふわり、とスカートが風をはらんだ……ような気がした。 「もっと足をひらいて……全部みせて」 言われるままにひざ先をひらく。その内股に、制服の布地を感じて、ユイは薄目をあけた。 「せんぱい……はぁん……っ!」 ユイの視界に、自分の足元にひざまづいて股間を顔をうずめようとしている冴子が映った。 「いや……みないで……っ」 体をよじると同時に、くちゅ、と水を叩く音を体の奥で感じた。弾力のある舌先が蜜ごと丹念に腫れた芽を舐めあげた。花びらの間からなにから、キレイに何度も丁寧に舐め取られる。指で愛撫されるのとはちがう、なめらかでねちっこい気持ちよさに幾度も腰が跳ね上がる。 「や……あぁ………」 瞳をきつく閉じると、ここにいるはずのない兄が、離れたところからユイの痴態を見据えてるような、そんな錯覚に捉えられてしまう。 「せんぱぁい……あぁ……だめぇ……みちゃいや……っ……みないでぇ……」 眩暈がしそうな激しい感覚の中で、現実と夢想が入り乱れていく。 大好きな兄に、こころゆくまで抱きしめられたい。 そんなささやかな願望は、ユイが女への階段を昇っていくにつれて、次第に抱擁からキス、そして直接的な愛撫へと倒錯した性の色合いを帯びていった。 兄を異性として見る罪悪感は冴子との出会いで大きくねじ曲げられ、夢想のなかで刺激的な脚色となってより深い快楽の淵へとユイを導いていく。冴子に命令されたから、自分は血の繋がった兄のはりつめたものを愛撫し、その前に淫らな姿をさらけ出さなくてはならない。 どうしようもない恥ずかしさと居たたまれなさに苛まれながら、体は不思議なくらい昂ぶってしまう。 大好きなふたりに同時に愛される。けっしてありえないことを思い浮かべてしまう自分はきっと欲張りなのだろう。 ユイは自分を恥じながらも、淫らな妄想は止まるところをしらない。冴子に下肢を嬲られながら兄を口で愛撫する自分。あるいは、兄に後ろから貫かれながら、冴子に乳首と執拗に弄ばれている自分。2人に交互に言葉と行為で間断なく責められて、自分はただ快楽だけの人形になっていく。 冴子に教えられた方法で自分の花をなぶりながら、幾度となく妄想に浸ってシーツを濡らした。 あんなに優しい兄が、妄想のなかではひややかに、淫らな言葉でユイを辱める。冴子は感じてしまっているユイを揶揄するかのように、耳元で囁きながら乳首をきつくひねりあげる。 『ユイはお兄さんにここを塞いで欲しいの…? 指じゃ我慢できない、イヤらしい子なのよね…』 うっすらと瞳をひらけば、窓の向こうには大きな桜の枝で切り取られたような鮮やかな青空が広がっていた。その空をかき消していくような花吹雪。かすかな風の気配も、枝がこすれる気配もたしかにあるはずなのに、何もかもが夢の中の風景のように蕩け、崩れていく。 くちゅ、ぴちゃと下肢から響く水音と、そこから這い上がってくる嵐のような快楽だけが確かな現実としてユイを翻弄していた。 「あぁ、あ、……せんぱい……だめぇ……こんなの……あぁ……っ!」 がくがくと膝が震えてくる。おなかの奥でいまも弾けんばかりにふくれ上がってる予感に、夢中で愛撫をねだって腰をくねらせてしまう。 いつも一人遊びの時に思い浮かべる夢想のまま、ユイは兄の視線に晒されながら冴子の手によって淫らな痴態をひけらかし、のぼりつめようとしていた。 (おにぃちゃん……だめ、みないで……いやぁ……っ!) きつく目を閉じたその脳裏に、ユイを冷ややかなまなざしで見つめる兄の和哉がいた。途端、真っ白に焼き切れた熱に弾き飛ばされ、 「あ…………っ!!」 いままで経験したことのないきりきりと引き絞るような快楽に体の芯を貫かれて、ユイはイってしまったのだった。 「ん………」 荒い息遣いのまま本棚にもたれて動けないでいるユイを冴子はそっと抱きしめた。まだかすかに震えている背中や頬、足を掌や唇でゆっくりとなぞっていく。 はだけたままの胸や、蜜に濡れた肌に外からの風がひやりと心地よい。昂ぶった体から次第に熱が引いていくのがわかる。 「せんぱい……」 甘えるように肩に頭をこすりつけてくるユイの頬に、冴子は何度も軽いキスを降らせた。 「ユイ……いい子ね」 甘い囁きにこたえようと開かれた唇が、しっとりと塞がれ、音を失う。 「ん……」 かすかな気配を残して、唇が解放されると、ユイはもう一度顔をあげて自分を覗き込む年上の恋人の顔をみつめた。 官能に煙った瞳とかすかに上気した頬は冴子をいっそう美しく、神々しく見せていた。 「ユイが一番好きよ」 真摯なまなざしがユイを捕らえる。けっして人をそらさない強い意志をたたえた、ユイが惹かれたままのあでやかな大輪の花のような人。 「ずっと、ユイといる。……離れないわ。本当よ」 大人びた彼女には似合つかわしくない、飾らない言葉は、ずっと不安に凍りついていたユイの胸の奥をゆっくりと溶かしていった。再びまぶたが熱く滲んだが、それはさっきの涙とはまったく違っていた。 「先輩……冴子せんぱぁい……」 すがりつく腕を優しくだきとめて、二人の頬がふたたび重なる。 「信じて。私はずっと、ユイのそばにいるわ」 耳元で囁かれるこの声を信じていればなにもこわくない。 ユイは小さくうなずいて、その肩に顔をうずめた。 卒業式のその日も、抜けるような青空が広がっていた。 門にそってぐるりと植えられた桜が春風にあおられて真っ白な花びらを惜しみなく降りまき、在校生達が作った長い花道を鮮やかにいろどっていた。 やがて、出てきた卒業生が笑顔を振りまきながら、その間を通り過ぎていく。先々で握手と、花束とお祝いの言葉が入り乱れ、ほどなく在校生でできた花道は見る影もなく崩れていった。 「卒業おめでとうございますぅ」 「あのっ、記念に先輩のスカーフ下さいっ」 「一緒に写真を……」 「ねえねえ、このあとの待ち合わせはどこにしよっか…」 そこここでたむろする人垣から鳥達がさえずるような声がひっきりなしにあがっている。別れを惜しむ気配の中と、かすかな解放感のいりまじったざわめきの中で、ユイは桜の樹の下に立って冴子の姿を探した。 人気のある卒業生には下級生達が十重二十重と群がり身動きもできないようなありさまだ。 そんな人波の合間に、やはり冴子もいた。下級生の問いや言葉に答えるたび、まっすぐな黒髪がさらさらと揺れる。そこに白い花びらが絶え間なく雪の様にふりそそぎ、ときおり鮮やかな印象を残して笑顔がひらめく。 (キレイ……) すらりと豊かでのびやかな肢体をグレイのセーラーで包んで、時々目線をあげるのは自分を探しているからだろうか。ガーベラやバラなど色とりどりの花束を抱えて立っている冴子は、花のような少女達の中にあってなお、あでやかな大輪の花のように凛として美しかった。 いつもこうしてずっと冴子をみつめていた。最初は憧れの先輩でしかなかった。決して届かない人だとあきらめていた。 ほんとうに奇跡のように幸せで甘い1年だった。誰よりも愛しいと思える人に出会えることができたこと、そしてその人が自分を愛してくれるということ。かつては自信を持てることなど何一つなかった自分が、今はこんなにも、誇らしくおもえる人とめぐり合うことができた。 これが奇跡でなくて、なんというのだろう? でも、こんな風に学校の中でおなじ制服姿の冴子をみるのは、本当に、今日が最後なのだ……。 あらためて意識した途端、じわり、とユイの胸の奥が熱くにじんだ。 (だめ、泣いちゃいけない) その気配を察したかのように冴子が顔をあげ、ユイを視界にとらえた。 「ユイ」 慕わしい呼び声。 人垣が割れ、今日見た中で一番優しくあまやかな表情をたたえた冴子がまっすぐにユイにむかって歩いてくる。 「卒業おめでとうございます。冴子先輩」 軋む心臓を叱咤して、ユイは冴子が好きだといってくれるいつもの笑顔を作るために力をふりしぼった。 でも。 どうしよう。ほんとうにいってしまうのだ。この人は行ってしまうのだ……。 「ありがとう、ユイ」 我慢しようとする努力をあざ笑うかのように、視界が急速に滲んでいく。 「あらあら……。ほら、泣かないの。これからもよろしくね、って言おうと思ったのに……」 「……ご、ごめんなさい……」 ふわり、と髪を撫でる優しい手。あんなに泣くまいと心に決めていたのに、こらえきれずにユイは花と冴子の胸に頬を埋めてしまった。 「だって……だって先輩が行っちゃうって、思ったら………」 「ばかね。ちゃんと、約束したでしょう?」 笑いを含んだ声。それをかき消すように、 「冴子」 耳慣れた男の声が、ユイの背中から響いた。 (え………?) どきん、とユイの心臓が大きく跳ね上がった。 そのまま早鐘のように心臓が鳴り響きだして、うらはらに胸が奥がひたひたと冷たく凍りついていく。 まさか。 今の声は。 この声は―――――……。 「卒業おめでとう。約束どおり、迎えにきたよ」 どうして? 頭のどこかがちかちかと点滅して、ユイに振り向いてはいけないと警告している。 真っ白になった思考の中をいくつかの冴子の言葉がフラッシュバックした。悪夢のような予感とたがえようのない現実にユイは眩暈を起こしそうだった。 顔をおしつけたままの冴子の胸から、少しこもった声が響き、その人の名を呼ぶ。 「和哉さん」 ふらり、とユイは、体をおこした。そのユイの脇を通り過ぎるように、冴子が声の主に向かって歩いていく。 その先にいるのは。 真赤なバラの花束を抱えて、立っているその人は。 「…………………おにいちゃん……………?」 自分はまだ、夢の中にいるのだろうか。 スーツ姿の背の高い兄と、制服の冴子が並んでささやきを交わしている。 その唇がこう動くのを、ユイは呆然とみつめていた。 「卒業したら、俺のものになってくれるって、そういう約束だったよな?」 照れくさそうにわらって、兄は冴子の左手をとり、ポケットから何かを取り出した。 薬指できらきらときらめく、それはダイヤの指輪だった。 『ずっと、ユイといる。……離れないわ。本当よ………』 ゆっくりと顔をあげ、振りむいた冴子の顔には、静かな微笑が浮かんでいた。 <2001.08.06.UP>
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