君が帰る場所
Chariot様

 連日の寒さの中、それでも僕の部屋はそれほど寒さを感じない。
 エアコンのせいもあるけど、それ以上に僕を確かに暖めてくれるもの。
「ただいま」
 無邪気に甘えてくれる、その笑顔が何よりも愛しいよ。
「先輩?」
 僕をこんなにも幸せにしてくれるのは、君だけだってこと、知っているかな?
「おかえり、馨」
 僕の何よりも大切な、一番の宝物だよ。



「試験、どうだった?」
 帰ってくるなり倒れるように、僕にもたれかかってきた馨は、今はベッドに背を預けてほとんど横になるようにして座っている。
「…うん。終わった時は、なんて言うか、出来たって思ったんですけど」
 急に電話をくれたこと、驚いたよ。
 冬休み、馨に早く会うためにも急いで帰省しないと、なんて思っていたのに、
「先輩、年末そっちに泊まらせてもらえませんか?」
 なんて、すごい不意打ちだよ。
 当たり前だろ、なんて気取って応じた僕に、素直に電話向こうで大喜びしてた君。
 でも、本当は多分僕の方がもっと喜んでいたんだと思うよ。
 きっと顔は真っ赤になって、口はゆるんでいただろうな。鏡が見られなかった。
 実家に言い訳するのは面倒だけど、君と東京で会えるなら苦労の内には入らない。
 確かに僕の通う大学用の模試は、大都市に出てこないと受けられないけれど、まさか僕の部屋から受けに行くだなんて、想像してなかったよ。
「お邪魔します」
 駅まで迎えにいった僕と一緒に、この部屋に帰ってきた君が言って、
「馨、ただいま、だろ?」
 なんて僕が言ったら、困ったように、照れたように、君が笑う。
「…はい、ただいま」
「おかえり」
 君が帰ってくるのは僕のところ。
 それだけで幸せが僕の胸に広がってゆく。
 いま、君がいるのは、僕の部屋。
「時間がちょっとずつたって、あ、あれ間違えたかも、とか」
 眠そうな、不安そうな、けだるげな眼差し。
「色々、勝手に頭の中でぐるぐる考えちゃって…」
 その全てが、いまは僕だけのもの。
「大丈夫だよ、心配するな。それに模試は模試だろ?」
「でも…」
「少し寝ろよ。僕が隣にいるから」
 君の瞳の中にいるのは、僕。



 …あれ? 馨はどこだ?
 今まで一緒にいたはずなのに、僕の可愛い仔犬はいつの間にか僕の腕の中から消えている。
 慌てて辺りを見回すと、馨がいた。僕に背を向けて。
 …おい、隣にいるのは誰だ?
 そんなに楽しそうに笑うのはやめてくれ。
 今は、今だけは僕だけの隣にいてくれるはずだっただろ?
 ほとんど会えないのに、こんなに短い、二人だけの時間なのに。
 それでも、君は僕以外のやつとそんな風に話すの?
「馨!」
 呼びかけても、君は応えない。振り向かない。
「聞こえないのか、馨!」
 僕に背を向けたまま、楽しそうに馨は歩いてゆく。
 僕の馨がどんどん遠ざかる。
 僕の知らない、誰かと一緒に、二人で…
「待て!」
 視界がどんどん悪くなり、君は霞んでいってしまう。
 誰かにとられるくらいなら、僕は…



 気がつくと、ベッドの上だった。
 あれが、今のが夢だったと気付くのにしばらく時間がかかる。
 馨が、今も変わらず僕の腕の中にいる君が、いなくなる訳などないのに…
「でも…」
 夢は正直だ。
 僕が見た物はきっと、不安。
 もう1年近く、僕と君との間には簡単には会えない距離がある。
 そして、またこれから1年以上も、それは変わらないんだよね。
 心変わりが心配だとか、そういう事だけじゃなくて、少しずつ変わっていく君を一番近くで見られないことが淋しいよ。
 世界中で、誰よりも、一番に君を知っていたいのは、僕だから。
「愛してるよ、馨。…お前が好きだ」
 眠っている君には聞こえない、僕だけの告白。
 君が、どうか良い夢を見ていますように…
 そして、目を覚ましたらまた、声を聞かせて。
 僕のために、僕だけのために、声を聞かせてくれ。



 誰よりも愛しい、僕の馨。
 君は僕の、宝物だよ。
<1999.04.25 UP>