満瑠ちゃんの気持ち
みる

 ごろん、と、何度目かの寝返り。布団にはいってから1時間もたっていたけど、眠気はすっかりどこかにふっとんでしまっていた。
 ぼんやりとカーテンの隙間から覗く闇夜を見ながら、昼間のことを何度もくり返し思いうかべる。しまった!と空白になった南波ちゃんの顔、お兄ちゃんの悲しそうな泣き声、ふしぎと静かだった、慎二先輩の横顔。
 久しぶりにお兄ちゃんが帰ってきているのに、いつもの倖せな気持ちの眠りは訪れない。南波ちゃんが悪いんだ、と思ってみたけど、そうじゃなかった。
 あの言葉が本気なんかじゃないことは、私が一番知っている。でも、決して言葉にしてはいけないことだったから、そのことがどうしても許せなかったから思いっきり南波ちゃんをひっぱたいた。イジワルもしてみたけど、南波ちゃんのしゅんとした顔をみてたら、いつまでも怒れなかった。
 ケーキの甘さに一日のぎこちなさはとれたものの、心の中にささってしまった棘はなくならない。
「………南波ちゃん、朋美ちゃんが好きなのかな」
 声にだしてみたら、それはゆっくりと夜に吸い込まれて消えた。



 音を立てないように、そっと階段をおり、台所の冷蔵庫を開けた。
 もう12時をまわったけれど、どうしても眠れそうにない。
 牛乳をだして、小さな鍋に少しだけ水を入れて火にかける。
「んー……」
 物音を立てないように気をつけながら、お姉ちゃんにおすそ分けしてもらったとっておきの紅茶の缶を探していたら、ぎし、という階段をおりる足音が聞こえた。
「あれ………満瑠ちゃん?」
 南波ちゃんが台所のドアから、顔をのぞかせた。
「南波ちゃんも、ねむれないの?」
「……うん」
「ロイヤルミルクティ淹れるけど、南波ちゃんも飲む?」
「んー、じゃあ、もらう」
 湧いた鍋の中にちょっと多めにお茶っ葉をほおり込み、十分葉がひらいたのをみはからってから牛乳をそそいだ。眠れない夜にはホットミルクがいい、っていうけど、いいかげんそんなコドモじゃないもんね。お姉ちゃんに教えてもらった手順で丁寧に淹れる。
 テーブルの向こう側から、南波ちゃんはひじをついて、そんな私の背中を見ていた。
「まだ、おこってる?」
 湯気のたっている南波ちゃんのマグカップを前におく。私のカップにはちょっとだけお砂糖が入ってる。でも南波ちゃんは最近あんまり甘党じゃなくなってきたみたいだから入れないでそのままにしておく。
「おこってないよ、もう。ちゃんと仲直り、したんでしょ?」
「うん」
 猫舌の南波ちゃんはあちち、とちょっと顔をしかめながら、カップに口をつけた。
「ねー、南波ちゃん、手、出して?」
 ふと気がついたことを確かめるために、私は南波ちゃんのカップをもってないほうの手をひっぱった。
「え? なに?」
 掌の下をそろえて手を合わせてみる。南波ちゃんの指先は私の指をかるく2センチくらいはみだしていた。
「あ、やっぱり、南波ちゃんの手、おっきくなってるぅ」
「ほんとだ。そういえば、体育でバスケやってるんだけどさ、バスケのボール、片手で落さないで持てるようになったよ」
 ほら、こんな風に、と掌を下に向けて、南波ちゃんはちょっと自慢げに笑った。
 いつのまにかお兄ちゃんそっくりの骨張った手になってる南波ちゃんが、ちょっとだけ憎らしくなった。昔は背も同じくらいだったのに、今は10センチ近くも違う。今年の春ぐらいから南波ちゃんがやたら膝が痛い、痛いと騒いでたと思ったら、見るまに伸びはじめて、差が開く一方なのだ。
「いいなぁ。これだけ手が大きかったら、お兄ちゃんと同じくらい、背伸びるかもね」
 ちょっとむくれた気分のままお兄ちゃんのことを言ったら、南波ちゃんはちょっと顔を赤らめて、ふい、と目線をそらした。
「……あ、そだ。満瑠ちゃん、僕ら以外に誰かにチョコあげた?」
 気まずくなってしまった空気をかきけすように、南波ちゃんは手をひっこめて話題をすりかえた。
「んーん。ちぃちゃんは同じクラスの子にあげてたけど、私は誰にもあげなかったなぁ。だって、あげたくなるような男の子、いないんだもん」
「ちぃちゃんって……ああ、いつも満瑠ちゃんと一緒にいる女の子?」
「そそ。あのね、ちぃちゃんってばけっこうメンクイなの、びっくりしちゃったぁ」
 えー?と笑っている南波ちゃんに、私はちょっとだけ、嘘をついた。



 二人で今やってるゲームソフトの話しをしているうちに眠くなってきたので、2階にあがることにした。
「じゃ、お休みなさい、南波ちゃん」
「おやすみ、満瑠ちゃん。朝練の時間に起きれるかなぁ」
 小さな声でぼやきながら、南波ちゃんはお兄ちゃんを起こさないよう、そおっと部屋に入っていった。南波ちゃんの部屋はもともとお兄ちゃんのだから、帰ってくるとお兄ちゃんは南波ちゃんの部屋で寝ているのだ。
 ひんやりとした布団にもぐりこんで、瞳を閉じる。
(南波ちゃんに嘘ついちゃったな……)
 今年はお父さんでも、お兄ちゃんでも、南波ちゃんでもない人に、はじめてチョコをあげた。まあ、一応慎二先輩にもあげたけど、それはおいといて。
 とくん、とチョコを渡したときのドキドキした気持ちが蘇ってきて、私はあわてて枕に顔をおしあてた。
『え? 俺がもらっていいの?』
 ちぃちゃんと笑いながら、義理ですよぉ、って言ったけど、でもずっと心臓の音がとまらなかった。
『ありがとな、でも、お返しなしだぞ? いいのか?』
 照れた笑顔。義理なのに、こんなドキドキするのは変かなぁ?
 だって、相手は先生で、10才以上も年上で、いつも私をコドモ扱いする憎たらしいヒトで。でも、それは決して嫌なことじゃなくて、先生と話してるとお兄ちゃんと一緒にいるときみたいな、とっても倖せな気持ちになる。
 もしかしたら、馨お兄ちゃんも、慎二先輩と一緒にいると、ああいう気持ちになるのかもしれない。そう思ったら、慎二先輩にあんまりイジワルする気分じゃなくなっちゃった。とられるのはやっぱシャクなんだけど、例えば慎二先輩以外の……キレイな女の人がお兄ちゃんにくっついてるのを想像したりすると、もっともっと腹が立つのよね。なんでかなぁ。
 お兄ちゃんたちが、いわゆるゲイと呼ばれる人達であることを、今ではちゃんとわかってる。ちぃちゃんから借りた本で、そういう人達がものすごく悩んで、でもどうしても同じ男の人を好きになってしまう、というのを読んで(ちぃちゃんは、これはお話だよ、と笑ったけれど)、私は雲が晴れるようにいろんなことを理解したのだった。
 お父さんやお母さんが結婚の話をするたびにお兄ちゃんが困った顔をする理由や、私達が先輩にいたずらするたびに言った「先輩は僕の大事な人だから、満瑠と南波も好きになってくれるとうれしいな」という言葉の意味、そして、そこにこめられた気持ちのことも。
 だから、先輩なら、許してあげようと思った。
 お兄ちゃんがずっとずっと、大事にしている人だから。
 お兄ちゃんが家を出たのは先輩と同じ大学に入るため。そう考えると、お兄ちゃんはもう4年以上も先輩のことを好きでいる計算になる。それってすごいことだよね。
 それくらい先輩のことがすきで、先輩じゃないとダメなのだってことなんだよね。
 いつか、私にも、南波ちゃんにも、そんなひとが、現れるのかな。
 一緒に暮らしている私にはちょっと不思議なんだけど、南波ちゃんはあれでけっこう人気がある。ちぃちゃんなんかも、「南波君、最近背がのびてカッコよくなってきたよね」っていうし、メンクイのちぃちゃんが言うってことは、そう思ってる女の子がいっぱいいるってことなのだ。
 でも、妹の私としてはカッコいいから、ってだけで南波ちゃんに近寄って欲しくはない。南波ちゃんはちょっと気弱だけど、すごく優しくて人がいいから、ちゃんとそういうところをわかってくれる女の子じゃないと、応援なんてしてあげない。
 あんまり話したことはないけど、いつも一生懸命に走り回ってる朋美ちゃん。南波ちゃんがどう思っているかは知らないけれど、ミーハーな女の子達とはちょっとちがう頑張りやの彼女になら、きっと南波ちゃんをとられても、やきもちやかないで我慢できると思う。
 今度はホワイトデーにもう一回ケーキをやいて、朋美ちゃんに遊びに来てもらおう。
 とろとろと眠りに落ちながら、妹ってのもけっこう気を使うのよね、なんてそんなことを思い浮かべていた。



 明日もいい日でありますように。
<2000.02.11 UP>