ぽちの気持ち
ANNA様

 俺の名前は『ぽち』、数年前からこの家の食客として、居を共にしている。
 真っ黒な身体に白いマフラー、白い靴下を履き、漢の身だしなみとしてきちんと下着も白の雑種だ。
 体格もかなり良い方だと自負している。
 どこかの境内に兄弟と共に捨てられていた俺を、拾ってくれたこの家の人達には感謝している。
 普段は軒下を借りて、用心棒をしているのだが、ここ数日は寒いからと家の中にあげていただいている。



 今日は朝から、馨殿がそわそわしている。
 お父上もお母上も仕事に行ってしまい、誰もいない家で俺一人留守番かって思っていたのに、おかしいなぁ。
 でも、遊んでもらえるなら良いか。
 昼近くなって客が来て、俺の頭を撫でてくれた。
 ガキ扱いされているような気はしたが、それはそれで嬉しかった。顔中舐めても嫌な顔しなかった良い客だ。
 人が親愛の情を示して、尻尾を振ってやっているというのに、中には俺の姿を見ただけで、「いや〜ん。」だの、「恐くないの〜」だの、挙句の果てには御用聞きの癖に、逃げて行く奴さえいる。
 今日の客は良い客だ。
 満瑠殿が学校から帰ってきて、これから3人と遊んでやろう。…って、思ってたのによぉ〜。



「ぽちは台所に入っちゃだめだよ。」
「へっ?」
 目の前で無常にも台所への引き戸が閉じられた。
 俺はこの戸が開けられない。ガラス戸なので爪が引っかからないのだ。
「入れてくれよ〜。」
 がしがしと戸を引っかいていたら、馨殿が顔を出した。
「ぽち、良い子だからそっちで待っててね。」
と、ほねっこをくれた。
「お、ありがとうよ。」
 早速そいつに齧りつく、んんん、んまい。この歯ごたえがたまらないんだよな。
 すぐなくなってしまうのが残念だが…。
 台所から楽しそうな声が聞こえてくる。何やら美味しそうな匂いもしてくる…。これは、前にもらった事のあるほっとけぇきの匂いに似ている…。
「俺にもくれよぉ。」
 きゅンきゅン鳴きながら、叉もがしがしと戸を引っかいていたら、今度は満瑠殿が顔を出した。
 俺の目線の高さにしゃがみこんで、頬をむにーっと引っ張りながら 
「ぽちぃ、出来上がったら分けてあげるから、大人しくあっちで待ってなさい。」
と、仰る。
「止めてくれ、顔の皮が伸びる。この俺様の美貌が十字路の手前にある、高橋さんの所のブルドッグみたいになったらどうしてくれるんだ〜。」
 焦って顔をぶんぶんと振った。
 ん?
 んん?
 んんん?!
 い、今見えたのは…。
 馨殿と客人の接吻?!
 俺は見間違いかと思って、目をこらした。
 どっちもオス同士だよ…な…。
「わかった?あっちで待ってるんだよ。」
 満瑠殿は気がついていないらしい。
「お、おう。待ってりゃ良いんだろ。」
 俺はしぶしぶと居間のコタツへと向かった。
 しかたがない、寝て待つか…。
 うとうとと寝ているうちに、誰かが帰ってきた。南波殿だ。叉も客人を連れているらしい、どれ、挨拶でもしようかと身体を起こし、ドアに向かった。
「ん?ドアが閉まっている。」
 俺はドアノブも開けられないんだぁ〜!
 台所には行けず、玄関にも行けず、俺はしぶしぶとコタツに戻り、お気に入りのおもちゃを齧って憂さを晴らした。
 突然、ドタバタと階段を降りる音がし、何か口論する声が聞こえた。
「何があったんだ、この家の用心棒としては放って置けないぜ。」
 部屋から出してくれと吠えてみたが、誰もドアを開けてはくれなかった。
 満瑠殿の泣き声が聞こえる、何があったかは知らないが、漢なら女子供を泣かしちゃいけないぜ。
 所詮犬のわが身では、目の前のドアを開けることさえかなわず、俺は自分の力の無さに落ちこみながら、コタツに戻るしかなかった。



 その後、良い子で待っていた御褒美だと、ケーキを食べさせてもらった。
 ケーキは美味かったが、俺の心は晴れなかった。
 水入れの水を飲みながら、俺は心に誓った。
『ドアノブ開けをマスターしてやろう!』
 かくして、2週間の努力の結果、俺は居間のドアを開けられるようになった。免許皆伝である。
 母上と満瑠殿は「閉めるのも憶えてくれれば良いのに」と言っていたが、それは俺の目的とは異なるので、聞かないことにした。
<2000.02.13 UP>