三宮家の日常
〜イベント前夜〜
みる

「うをををををっ! よっしゃあ! 打ち上がったぜ!」
 必死の形相でモニタに向かっていた等は、編集と入力を請け負っている文芸部の部誌(なぜかイベント合わせ(殺))の最後の一文字を入力しおわると、間髪いれず画面をスクロールさせ、怒涛の勢いで入力したデータの誤字脱字をチェックし始めた。現在、時計の針は深夜1時を差している。
 長兄・純は明日のイベントにむけて、早寝していた。朝一の電車に乗って一般参加の列に並ぶのだそうだ
 これから全ページのうちおよそ半分をプリントアウトしたのち、すでに出力済みのものや完成原稿と一緒に面つけをし、コンビニのコピー機を酷使する予定である。会場で製本するのはいつものことなので、朝の待ち合わせ時間までにくそ重いコピー誌の束さえ用意できれば、本は無事に発行される。あと5時間半、今回も無事間に合いそうだ。安堵のため息が等の口からこぼれた。
「よし! 次はプリンター、プリンターっと」
 最後のページを確認して、イヤホンから流れる景気のいいBGMとそれによって高揚した気分そのままに、等はなんの躊躇もなく立ち上がった。が、次の瞬間、
「ふぎゃっ!」
「にゃっ?」
 ぼと、という大きな音とともに等の膝から2匹の猫が滑り落ちた。
 2匹合わせて6キロ弱の重みも、日常茶飯事化してしまえば集中度に比例して意識から消え去っていく。あまりに集中してせいで、膝を暖めていた2匹の猫のことをきれいさっぱり忘れてしまっていたのである。
「……あ、しまった…」
 たらり、と等のこめかみを流れた冷や汗を察知したかのように、きじトラまじりの猫がすっくと立ち上がった。その瞳は怒りにらんらんと輝いて、思わずあとずさる等をひた、と見すえる。
 白猫の方はなにがおこったんだろう?というきょとんとした面持ちでにらみ合う一人と一匹を交互にみていたが、やがてのんきに転がった拍子に乱れた毛を手入れし始めた。
「すまん! みる、みどりっ、俺が悪かっ……うぎゃああああっ!」
 慌てた詫びの言葉を遮るように、きじトラまじりの猫…みるが顔めがけて飛びかかってきた。とっさに体をよじったせいで、肩口に歯がくいこむ。よっぽど頭にきたと見えて、手加減ひとつない噛み技である。
「あだだだだだっ! 俺が悪かった! みる、たのむっ、やめてくれぇ〜〜!」
 大きな叫び声におどろいた白猫みどりは、みづくろい途中で舌を出しっぱなしにしたまま、瞳をまるくした。肩に齧りついたままぶら下がっているみるを抱えて、痛みにうろうろする姿を見上げる。
「すまん、って謝ってるだろーがっ。だから……いででででっ」
 怒りにまかせてあぐあぐと顎を動かす小さな頭を、なだめるように何度も撫でる。
「なぁ〜ぅ」
 するとそれを抱っこと勘違いしたのか、みどりは等の足元にまとわりついて、自分も、自分もと催促しはじめた。
「なんでお前らは、いつもいつも一緒でないと気が済まないんだろうなぁ。あだだだだっ…………すまん、みどり、ちょっとだけ待ってくれ。まだ両手がふさがっ…いででっ」
「なぁ〜ん」
 うろうろする等と後ろをついて歩くみどり。みどりはだっこしてもらえないので、やがてしょんぼりと耳を寝かせ、等の足によりかかるようにすわりこんでしまった。
「ああ、みどり、あとちょっとだから……な? ……うぅ……」
 やがて噛むだけ噛んで気が済んだのか、ようやくみるの歯が肩からはずれた。しばらく顔色を伺いながらみるをなでてやる。やがてごろごろと喉をならして、すっかり落ち着いたのをみはからってから、みどりのために腰を落して身を屈めてやった。
 差し伸べた左腕に、まちかねたみどりの白い体がちんまりとおさまった。
「うぅ……こんなことしてる時間ないんだがなぁ…」
 みどりはうれしそうに喉をごろごろならし、等の胸に頭をすりよせた。
 双子を育てる母の気持ちがよくわかる…。寝不足といまの騒ぎの相乗効果でどっと疲れが押し寄せてきて、両手に猫を抱えたまま、等は椅子にすわりこんだ。
 手が両方ふさがっているので、しかたなしに交互に顎で頭をごりごりと擦ってやったのだが、それはそれなりに2匹に好評だったらしい。ほどなく2匹は寝息をたてはじめた。起こさないよう、そおっと自分のベットの上におろす。途中みるがちょっとだけ薄目をあけたが、頭を撫でてやると、すぐ再び眠りに落ちていった。
 その後、ダッシュでプリントアウトとコピーを終えた等は、出かける前に慌ただしく朝風呂にとびこんだ。が、疲れた体を勢い良く湯船に沈めた次の瞬間、家中に響きわたる叫び声をあげた。
 びっくりして風呂場に走ってきた緑と樹の目にうつったのは、肩口の噛み傷をおさえ、悶絶している兄の姿だった。
「……また、等にぃちゃん、みるに噛まれたんだね」
「みるが噛むのって、等にぃちゃんだけだよね、緑ちゃん」
「そうだね、僕達噛まれたことないもんね」
 弟妹たちのひそひそ声に、等は痛みをこらえて、小さなため息をついた。
 猫たちに愛されるのも、楽なことではないらしい。
<1999.10.27 UP>