三宮家の日常
〜猫は〜れむ日記〜
みる

 午前5時半。目覚ましが鳴る予定の時刻まで、まだ2時間もある。
 ずっしりと重かった胸元がごそごそする気配とともに、すっと軽くなった。
「にゃぁん」
 耳元で聞こえる甘ったれた声と頬にあたる柔らかい毛の感触に、三宮家の次男、等は心地よい眠りから引きずり出された。
 薄目をあけると、くるんとした目のキジトラ模様の顔が、視界にとびこんでくる。
「ん〜、みる、メシならもう下に出してあるぞ…」
 もぞもぞと言いながら寝返りをうって、先ほどまで見ていた倖せな夢の世界に戻ろうとした。
「なぁん」
 すると、ふたたび上から、みるよりやや細い声が降ってくる。
「…みどりか」
 等はあきらめ半分に目を閉じ、布団から手を出すとちょこんと座ったふさふさした毛並みの白猫の頭を撫でてやった。
 ごろごろと倖せそうに喉を鳴らす音。
 その柔らかな感触にひきずられるように、再び眠りに落ちていく。
「にゃぁん」
「なぁーぅ」
 トーンの違う高い鳴き声をあげながら、2本の前足がふにふにと顔を撫でるが、強力な睡魔に捕まった等には効果がない。うとうとと遠くなっていく意識のどこかで肉球がやわらかくて気持ちいいな〜、と思った次の瞬間、
「うにゃにゃっ!」
 びし、という音とともに、みるの容赦ないねこぱんちが等の頬に炸裂した。
「あだだだだっ!!」
 跳ね起きた等とはしゃぐ猫達が暴れる音をものともせずに、2段ベットの上の長兄・純は健やかな寝息をたてていた。



「お前らねぇ………」
 等は、台所の指定席で猫缶をほお張る2匹のまえにしゃがみこんで、深いため息をついた。
 その頬にはくっきりとみるのぱんちの跡がのこっている。
「にゃぁん」
 顔中にエサをつけたまま、みるが顔をあげて嬉しそうに鳴いた。
「はいはい、おいしーかい。よかったなぁ」
 ついでみどりが、
「なぁ〜ぅ」
「うんうん、いいから早く食べろ、おまえら」
 あくあく頭を揺らしている2匹の猫をしりめに、等は大きいあくびをかみ殺した。
「…ったく、なんだって毎朝俺を起こしてメシ喰うんだ? こいつらは」
 ブツブツぼやきながら、2匹の器の様子を見守る。そしてほぼ食べ終わったのを見計らって立ち上がると、
「にゃぁっ!」
 みるが不満げに等を見上げた。
「……………」
 しぶしぶまたしゃがみこむ。
 するとみるはしばらくじーっと等の様子を伺ってから、ふたたび残り少ない皿を舐め始めた。
「全部終わるまで見てろってか。一体誰だ、こんなにコイツらを甘やかしたのは」
 宵っぱりの等が布団に入るのは毎日深夜2時すぎである。いつもいつもたいして眠りもしないうちに叩き起こされるのに疲れ果て、昨夜は寝る前に朝メシの用意をしておいたのだが、どうやら猫達は目の前に等がそろわないことにはご飯ということにはならないらしい。
 1年前、純が魔の手から救いだしてきた子猫達はおそろしく小さく、それこそ朝と言わず夜といわずにーにーとか細く鳴きながら、母猫のぬくもりを求めて箱の中をはい回っていた。どうみても、まだまだ母猫の乳が必要な月齢である。昼間は誰かしら側にいるからいいものの、夜は一体誰が面倒をみるか、家中で揉めた。
 結局、拾った人が責任を持つ、という家訓にのっとって、純と等の部屋に即席猫部屋が持ち込まれた。が、兄は一度寝たら、地震があろうが隣でサイレンが響こうが起きないタチだった。こうなると、生来の面倒見の良さと、宵っぱりな生活習慣がわざわいして、気がつけば等が夜の子猫の世話役になる。一声鳴けば飛んできて、寒いといえば懐に抱いて暖め、腹が減ればご飯をくれる。そんな等を、2匹の猫は母親と思い込んだらしかった。
 ずうたいがでかくなった今も、さむくなると等の上着のすそに頭をつっこんで中にもぐりこもうとするのはそのころの後遺症だ。
 そう、この2匹の猫を甘やかしたのは、ほかならぬ等自身なのである。
 すっかり食後のみづくろいまで済ませた2匹は、満足そうに鳴きながら等の足に頭をこすりつけた。
「うぃ、もう満足したか? じゃあいくぞ」
 やれやれと立ち上がったところで、母親が台所に入って来た。
「おはよう。あら、寝る前に猫缶開けてたんじゃなかったの?」
「ちゃんと食べるのみてないとダメなんだってさ」
「あらまあ、仕方ないわねえ。一体誰が甘やかしたんだか」
 からからと笑う母親に、かえす言葉もない。
「あ〜あ、まったく、まいったねぇ」
 ベットに戻るにはあまりに中途半端な時間になってしまったので、ぼやきながら、居間のソファにごろんと大の字に倒れ込んだ。
「にゃぁぅ」
「なぁん」
 目ざとくそれをみつけてもつれあうように走ってきた2匹が、十分に助走をつけて、その腹の上に同時に飛び乗った。当然のごとく反応の遅れによる衝撃波が等を襲う。
「ぐぇ…」
 空気をもとめて口をぱくぱくさせる等をしり目に、2匹はお互いに折り重なるようにしてごろんと転がり、満足そうに相手の背中なんぞを舐めはじめる。やがて、ようやく呼吸をたてなおした等の胸に、ことりと小さな頭がおっこちた。
「……なんで、こうなるんだかなぁ」
 目線をずらせば、満ち足りた2匹の寝顔がすぐそばにある。
「まぁ………これも、別に悪くないけどな」
 この倖せそうな寝顔に自分が不可欠なのだと思えば、これくらい、大したことではないかもしれない。そう思ってしまう自分を危ぶみつつも、どこかあきらめ気分で2匹の頭を撫で、自分も目を閉じた。
 調子の違う寝息が3つ、いれかわりたちかわり聞こえてくるまでに、たいした時間はかからない。
 甘やかし上手な等がその性格ゆえに苦労するハメに陥るのは、まだまだ先の話である。
<1999.10.14 UP>