クラスメイト |
【 前 編 】
今日で最後になるかもしれない。 三上は教室のドアの前で、大きく深呼吸をした。 今日は終業式。したがって意中の相手に次に会えるのは春休み明け、しかもクラス替えの大イベントつきである。運良く1年間クラスメイトとして他愛のない話もできたけれど、クラスが違ってしまえば接点はほとんどない。 そう、チャンスはもう、今日しかないのだ。 「あ、三上、おはよ。ドアの前でなにしてんの?」 よっしゃあ、と気合を入れて、ドアをあけようとした瞬間、肩を叩かれて三上は硬直した。 「………お、おす。ちょっと、その忘れ物したような気がして、考え事を……その」 ぎくしゃくと首をまわすと、自分の肩の辺りにちんまりとやけに可愛い、彼の姿があった。あどけない、という形容が最も似あいそうな、とても16才とは思えない無垢な笑顔。 そう、『彼』である。彼こそが、三上悟(公立某高校1年B組・16才男子)の想い人、鹿島彰人(かしまあきひと)その人なのだった。 「へえ、なに忘れたの? 数学の宿題? それだったら間違ってるかもしんないけど、オレの写す?」 あまりにも罪深いその微笑みでもって、彼は三上の心を掴んで離さない。彼女居ない歴16年に今年こそは終止符を打とうと心に決めた矢先の出会いであった。 アレは男だっ、男なんだっ、と体育の着替えの度に自分に言い聞かせてはみたものの、ショートパンツから伸びる生足にときめいてしまうあたり、まさに処置なしと言った体である。 「なにぼーっとしてんのさ。三上? 聞いてる?」 「あ、うんうんうん、聞いてるっ。悪いけど、写させてくれ、その、えーと、ノート…」 あまりにも見事にタイミングを外されてうろたえまくりの三上の心境もしらず、日本一可愛い『彼』はふたたび、 「字、汚いかもしんないけど、そのへんは勘弁な」 と、ウィンクつきの最上級の笑顔でもって、三上から思考能力を奪うのだった。 思えばこの16年、女の子にときめく機会がなかった。 が、それは単に自分が可愛いと思える女の子に出会えてないだけで、いつかその日が訪れると信じて疑わなかった……いや、そう信じていたかっただけなのかもしれない。あまり自分では認めたくないことだが、ここにきて、ようやく言葉にするのに勇気が必要な結論にたどり着いてしまった。 もしかしたら、自分は“男”が好きなのではないか? もちろんいままで鹿島以外に男に心を動かされたことはない。着替えをみてどきどきすることも、とりあえずない。しかし、おなじように、女の子のヌードを見てもたいして興奮しないということも、うすうすわかっていた。 客観的に見て、おおー胸でかいなぁ、と思う事はあっても、それに触りたいとか、着ている水着の下を見たい、とかそういう欲望に結びつかないのだった。 それでもいつか自分をときめかせてくれる女の子が現れるに違いない、とムリヤリ自分に言い聞かせ続けてきたのだが、そんな淡い希望も彼と出会った瞬間に水泡に帰してしまった。 (うわ、めっちゃかわええやん!) なぜか思わず大阪弁で叫んでしまったが、三上は生粋の関東うまれの関東育ちである。それはさておき。 好きになったのは、彼だった。 女の子みたいだけど、女の子じゃない、自分のことをオレと背伸びして言う、強がりな彼を見た瞬間、心臓がいままでにないくらい、どきん!と音をたてて鳴り響いたのだった。 さらさらの茶色の髪。まだまだ伸びそうもない、160センチぎりぎりの華奢な体。クラスのどの女の子よりも可愛くて、そのくせ時々生意気そうに笑ってみたりなんかして。本人はどうも好きではないらしいその愛らしい容姿は、女の子には親しみ易い印象を与えるらしく、クラスのリーダー格の飯塚美幸のグループがいつもなにくれと彼に近づいてきて三上をやきもきさせた。 今日も今日とて、前の席で三上がノートを写し終わるのを待っている彼に美幸が声をかけてきた。 「おはよー! なあに三上君、あきちゃんのノート写してんの?」 彼女は三上の隣の席だった。二人っきりの幸せな時間だったのに…と肩を落して、書き写すペースをあげる三上。 「なぁ、飯塚ぁ、そのあきちゃんってのやめようぜー」 「だって、鹿沢くん、ってのも他人行儀だし、彰人君ってのもちょっとねぇ…。やっぱあきちゃんってのが一番しっくりくるよぉ」 彼はちょっと拗ねて唇を尖らせながらも、しつこく女みたいな呼び方しやがって…とぶつぶつ言っている。いつものやりとりなのか、美幸は動じた様子もなくちょっと首をかしげて 「あきちゃんのこと女の子だなんておもったことないよー?」 と言ったところで、どうやら勝敗はきまったようだった。 そんなやり取りを頭の上にききながら、三上の頭の中ではいかにして彼と二人っきりになるか、その段取りがめまぐるしくシュミレートされていた。呼びだすにしてもタテマエ…いや大義名分が必要である。学内で二人っきりで邪魔されない場所などそうそうない。帰りに待ち伏せするか? しかし彼と三上では通学コースがまったくちがう。考えれば考えるほど、告白なんて不可能ではないかと思ってしまう。 (だって、まさか電話とか手紙じゃできねえし………) おもわず手が止まりかけては、また気をとりなおしてノートに意識を集中させようと無駄な努力をはかる。 「………三上君、どしたのかしらね?」 「さあ…」 いつになく挙動不審な三上に、美幸と彼がいぶかしげに首をかしげて顔を見合わせていたのを当人は知るよしもない。 「かっ、鹿島っ」 三上の思考経路はあまり策略には向いていなかった。したがってほぼ一日悩み抜いた結論として、正攻法で行くことに決めたのである。 「うん? なに? 三上」 6時間目の古典の教科書をかばんにしまいながら、彼はくりんとした大きな瞳を三上に向けた。 「う……その……っ、このあと、ちょっとつきあってもらいたいんだけど、いいか?」 つぶらな瞳にノックアウトされそうになりながらも、三上はめったに出番のない勇気をふりしぼった。真っ赤になってうつむく三上をどう思ったのか、彼はちょっと首をかしげてからにっこり笑った。 「いいよ。ちょっとまって、用意しちゃうから。どっか外にいくんだろ?」 「あ、ああ……うん」 ほっとしたような、気が抜けたような顔をしている三上と、手早く支度している鹿島の背中に、美幸の物言いたげな視線が向けられていたが、それに気づく人は誰もいなかった。 わりと教室内で話しはするものの、三上と鹿島は帰りがけに一緒にどこかいくほど親しくはない。クラスメイトの一人が、教室を出ようとする二人に「めずらしいとりあわせだな」と声をかけ、三上はあいまいな笑顔で、鹿島はおどけた調子で「色男二人連れでナンパしにいくんだ」と笑いを誘っていた。 「ナンパとかすんの? 鹿島って」 校門を出れば二人の家はほぼ逆方向なので、近場の公園でチャリをとめた。二人の高校は駅からかなり遠い場所にあって、そのせいか全校生徒のほぼ9割が自転車通学だった。 「ん? したことないな。されたことはあるケド」 にやり、と笑って公園の入り口にある自販機で缶コーヒーのボタンを押す。男っぽい仕草なのに、彼がやると妙にかわいくて、三上はできるだけさりげなく目線をそらした。 「三上もコーヒーでいい?」 ちゃりん、とコインを入れて、鹿島は可愛らしく首をかしげた。 「あ、悪い。出すよ」 慌ててポケットから財布をひっぱり出そうとするのを制止して、さっさとボタンをおして取出口に身をかがめた。 「いいって、これくらい。……俺、女顔だからさぁ、ジーンズ履いてても女と間違われるんだよね。参るよ、マジで。休みの日もいっそ制服で出かけようか、ってときどき思うもんな」 あったかいコーヒーが手の中に落ちてくる。公園の奥にあるベンチで二人は並んで腰掛けた。まだ日暮れまえだが、住宅街の中心にある公園に人影はすくない。 「へぇ………可愛すぎても苦労するんだなぁ」 妙にしみじみとした三上の物言いに彼は思わず吹きだしていた。 「お前、男に可愛いって、それ誉め言葉じゃないぞー?」 「え? あ、そーか。ごめん、つい…」 「まあ、いいけどさ。んで、急にどうしたんだ?」 彼のその一言で、いつもの笑顔にみとれかけていた三上の心臓が、初めて出会ったときのように、どきんっと大きな音をたてて鳴った。 |