■ 子猫のぬくもり [ 後編 ]
水瀬 拓未様


「…あの、いいですよ」
 シャワーを浴び、着替え終わる真奈美を待っていたベッドの上の里奈は、その言葉を聞いて待ってましたとばかりに振り返り、まだ湯冷めせずに暖かな真奈美を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと里奈さん…!」
 慌てた真奈美が呼び掛けると、里奈は意外にすんなりと腕の力を緩めてくれる。
「嬉しいな、初めて名前を呼んでくれて」
 そして、何気なく笑ってから今度はゆっくりと優しく真奈美を抱き寄せた。暖かな真奈美の体は里奈よりも体格的に一回り小さく、抱きしめているにはちょうどいい。
「待ってる間に湯冷めしちゃったんだもの、責任とってよね」
「あの、あたし湯たんぽじゃ…」
 真奈美がちょっと困った様子で呟くと、里奈はくすくすと笑った。
「湯たんぽなんて、意外なもの知ってるじゃない。…でも、どうせベッドはひとつ。一緒に眠るんだから、抱き合ってててもいいでしょ…?」
「里奈さん、ちょっと酔ってるんじゃ…」
「そうかも…。でも、真奈美ちゃんだって一気したんだから。効いてるはずよ」
 自分の頬に、里奈の肩の意外な優しさを感じながら真奈美が聞き返すと、里奈はどっちともとれない口調でそう答える。はぐらかされた真奈美は少し不満だったけれど、でも、不思議と怒る気持ちにもなれなかった。
「ね、ベッドいこ…」
「あっ、はい」
 ほとんど抱きかかえられるようにして、真奈美はベッドの上に横になる。里奈はゆっくりと彼女の隣へ横になり、それから厚手の毛布を自分たちの体にかけた。
 相手の体温が側にあるので、一枚の毛布だけでも充分すぎるほど暖かい。
「あの、里奈さん…」
「ん…?」
 真奈美から声を掛けられ、里奈が二人眠るにはさすがに狭いシングルのベッドの上で寝返った。落ちる危険性のない窓際に真奈美を寝かせる辺りに、里奈の優しさが伺える。
「里奈さんて、いま好きな人…っているんですか…?」
 真奈美の問い掛けてきた内容があまりにも可愛かったので、里奈が思わず笑った。
「…あ、ごめんね。なんだか学生時代の修学旅行の夜みたいだったから」
 そしてその笑い声を聞いて少し不機嫌になっている真奈美に対し、素直に謝る。
「…私のいま好きな人はね、真奈美ちゃんかな」
 それから里奈は、真奈美の顔をじっと見つめ、真剣な口調でそう告げた。
「えっ…? あたし…?」
 真奈美が予期できなかった答えに戸惑い、それからまた質問する。
「ホントに、ですか…?」
「そうよ。…だって真奈美ちゃん、『いま』好きな人、って聞いたでしょ? 私がいま 一番好きだなって思えるのは正直、目の前にいる貴方しかいないもの」
 くすっと笑い、それから里奈は悪戯っぽく舌を出してみせた。真奈美は上手く逃げられたような気がしたけれど、それでもめげず、もう一度彼女に聞いてみる。
「それなら、初恋とか……初体験、って、いつの頃だったか覚えてます…?」
「初恋に初体験、か…。もちろん、それは覚えてるけど…」
「ほんとですか?」
 興味津々、といった感じで尋ねてくる真奈美に、里奈は当然のごとく頷いた。それから自分を見つめる真奈美の視線の意図に気付いて、里奈は小さく溜め息をつく。
「…そういう話に興味あるの? 真奈美ちゃんは」
「はい、少し…だけ」
 数時間前の消極的でおとなしかった時に比べ、随分と大胆で素直になった真奈美の変化を見て、里奈はお酒が失敗だったかな、と心の中で呟く。そしてそれと同時に、真奈美がどうして雨の降る公園のベンチに座っていたのか、という理由の大体も予想がついた。
「昔話は苦手だけど……真奈美ちゃんになら少しぐらい、話してあげてもいいかな…」
 里奈は自分を見つめる真奈美の視線を逆に見つめ、そして小さく微笑んだ。
「…初恋はね、小学生四年の時の担任の若い先生。よくよく考えなくてもその頃からマセててね、恋愛対象は全部年上だったの。…それで、高校の時に……あ、私の通ってた学校って中学と高校がセットになってる女子校だったんだけど、高校の二年の時の夏休みに、友達何人かと行った旅行先で知り合った五つ上の男と……ね」
 そこは言わなくても判るでしょ? というふうに里奈が瞳で伝えると、真奈美が頷く。
 いつのまにか真剣に聞き入っているその瞳に、もう興味本位という雰囲気はない。
「…その人は真剣に愛してる、って私を抱いたあとに囁いてくれたの。高校を卒業したら結婚しよう…ってね。だから私は卒業を待って、友達と一緒に行った卒業旅行の時に、その人の住むアパートまで逢いにいった。…そうしたらその人、こう言ったの」
 まるで他人ごとのようにたんたんと話す里奈は、そこで言葉を区切ると呼吸した。 そして、呟く。
「あんなの信じてたのか? って…」
「そんなっ…」
 里奈のその言葉に、真奈美は思わず、といった感じで身を乗り出した。そんな彼女に対して里奈は自嘲的に微笑むと、目蓋を閉じて首を小さく左右に振ってみせる。
「…今にすれば、結婚しよう、なんて言葉が抱かれた夜限りだって判るのよ。…でも、高校時代の私は恋愛経験なんてないも同じで、しかも初めて男に抱かれた夜に言われたもんだから、律儀に信じちゃって。…二泊三日の予定で行った初日にそんな事があったもんだから、卒業旅行はもうめちゃくちゃ。自殺、とまでは思い詰めなかったけど……それでも何したらいいのか判らなくってね。私は悲劇のヒロインになった、なんて思ってずぅっとホテルでごろごろしてるだけ。そんな私を親身になって心配してくれた友達がね、二日目の夜に街へ連れ出してくれて。…そこで、私はある人に呼び止められたの」
「…? ある人、ですか…?」
 真奈美が素直に問い掛けると、里奈は小さく頷いてみせた。
「…振り向いてみると、そこには息を呑むほどに綺麗な女性がいてね、微笑んでた」
「綺麗な、女性…?」
 意味が判らない、という風に首を傾げた真奈美の髪に、里奈は左手の指先で触れる。
「…名前を絵美里さん、っていうその人は、私を抱いた男のお姉さんでね。前の日に私が弟のアパートから、泣きながら駆け出してくのを見て、何事かと思って弟を問いただしたそうなの。それで経緯を知った彼女は、弟の変わりに私に謝ろうと思って、ずっと私を探してたんだって。……急な展開に驚くことしか出来なかった私は、それでもその絵美里さんの優しさが嬉しくってね、道の真ん中で泣きだしちゃったの」
 その時の自分を思い出しているのか、里奈は少し可笑しそうに小さく笑う。
「そうなると困るのは一緒にいた友達とその絵美里さんで、二人はとりあえず、私をホテルまで連れてきてくれた。…友達が事情を察してくれて私と絵美里さんを二人きりにしてくれたんだけど……すると絵美里さんはね、まだ泣いてるままの私を、包むように抱きしめてきたのよ」
「それで、里奈さんは…?」
 自分の髪を撫でながら言う里奈に、真奈美が問い掛ける。
「始めはね、すっごく抵抗したの。…あの時は人に抱かれるって行為に臆病になってたから、相手が誰であれ、そうしていたと思うけど…。…でも、絵美里さんの抱き方はね、優しいとか柔らかいとかじゃなくて、もっと大切な、ぬくもりの詰まってるものだった」
「ぬくもり…?」
「そう。優しさよりも、もっとあったかいもの。人が本能で感じられる、安らぎみたいなものだって絵美里さんは教えてくれた。怖いのも、気持ちいいのも、不安なのも、全部はぬくもりを感じるためのものだって。…例えば、キスもね…」
「やっ、ちょ、ちょっと里奈さん…!」
 里奈が口付けようと迫ってきたので、真奈美は慌てて逃げようとする。けれど背中には窓ガラスとカーテンがあるだけで、身を捩っても逃げられる状態ではなかった。
「……可愛いんだね、真奈美ちゃんて」
 と、里奈はそんな慌てている真奈美を見つめ、くすくすと悪戯っぽく笑う。それで真奈美はようやく、自分がからかわれているのだと知った。
「もう、里奈さん…!」
 思わず里奈に突っ掛かろうとした真奈美だが、里奈はそんな彼女を難なく受けとめる。逆に少しだけ強く抱き寄せられた真奈美は、里奈の腕の中で黙り込んでしまった。
「…ごめんね、つまんない昔話を長々と聞かせちゃって…」
 真奈美の耳元に、里奈のそんな囁きが聞こえてくる。淋しそうな声だったけれど、それ以上に聞く人の心を切なくさせる、そんな苦しさを帯びていた。
「里奈さ…っ…」
 彼女の名前を言い掛け、真奈美の声が途切れる。その訳は、里奈が自分の頬にキスをくれたから。
「真奈美ちゃんも、きっと悩んでたんでしょう…?」
 里奈の声は、雨音の中でも不思議と澄んで聞こえた。言葉というものを純粋に紡いでいるその声が今だけ、不思議と胸へ直接に響くような気がしてならない。
 本当はそこに言葉なんていらないけれど、言葉でしか表現できないものもあるから。
「…若い時は、たくさん悩んだほうがいいわよ…。それも、未来のこと。過去のことを悩むのは、後悔と一緒でしょ…? でもね、未来のことを悩むのは確実に違うのから…。どうしよう、どうすればいいんだろう、って考えて…。それで答えが出なくても、それはそれでいいじゃない…? だって、時間は待ってくれないんだから…」
 思い詰めた口調で話す里奈に対して真奈美は何か言おうとしたが、何も言葉が思い浮かばなかったし、それ以前に胸がつまって声が出そうになかった。
 ただ、確かな想いだけは、痛いほど伝わってくるのが判る。
「公園のベンチで雨に濡れてた真奈美ちゃんは、とっても前向きなのよ…。自暴自棄にならないで、これからどうしようって考えて…。普通なら絶対に逃げたくなる事に対して、不器用だし、ぎこちないけど自分なりの答えを探そうとしてた…」
 勢いに任せるように話し続ける里奈は、確かに少し酔っていたのかもしれない。けれどそれだけで、人は自分という鎖を完全に断ち切れる生き物ではないから。
「…そんな子じゃなきゃ、私は拾ってきたりしないもの……」
 里奈は、微かに震えながら熱くなる瞳をぐっと堪えた。もう少しで零れてきそうな感情のきざはしの雫を、里奈は無理矢理に閉じこめ、決して瞳から溢れさせようとしない。
 涙は人の心に付け込むから、里奈はあまり好きじゃなかった。
「里奈さん…」
 真奈美の静かな声が聞こえてくる。里奈は抱きしめていた腕の力を緩めて、真奈美の体をそっと開放した。互いの肌を伝わるぬくもりが、一瞬だけ、孤立する。
「あの、あたし……言葉じゃ上手く言えないですけど……」
 真奈美は里奈の顔をじっと見つめて、小さな声でそう呟いてから。
「でも……ありがとうございました…」
 精一杯、自分が彼女に対して見せられる笑顔をした。
 この部屋にやってきて、ようやく言えた初めての言葉。
「真奈美ちゃん…」
 里奈は少しだけ驚いた表情を作ったが、けれどすぐに自分も同じように微笑む。
 ほつれる絹糸のような真奈美の髪を、里奈の長くて白い指先が梳く。真奈美は少し戸惑ったけれど、今度は自分も里奈の背中に小さくて細い両腕を回した。
 滑り落ちる手のひらが、いくつもの波を作ってから腰に落ちて。里奈は瞳で確認をとってから、真奈美に自分の唇を近寄せる。
 嫌がることも、突っぱねることも出来た。そしてそれをしても、きっと里奈は怒らなかっただろうけれど。
 不思議と眠りたくなるような、そんなまどろみの優しさの中。
 真奈美は、自分の意志で目蓋を閉じた。
「…んっ…ぁ…」
 軽く重ねた唇の隙間から、真奈美のちょっと苦しそうな吐息が漏れる。里奈がそれを気遣って軽く唇を離すと、真奈美が細く呼吸して、空気を求めた。
 そしてその薄く開いた真奈美の唇に、里奈は一拍の間をあけてからキスをする。
「…ふぁ…っ」
 柔らかい舌が自分の口の中に入り込んでくるのに驚いて、真奈美が全身をびくっと震わせた。どう対応していいか判らずにいると、里奈の舌が自分の舌へと絡んでくる。
 真奈美は里奈に導かれるまま、絡んでくる舌にぎこちなく応えた。
「感じる…?」
 唇を別れさせ、真奈美の耳元で問い掛ける里奈。それにこくっと震えながら頷いた年下の少女を見て、里奈は彼女をいとおしそうに抱き寄せた。
 腰に回していた右手を使い、真奈美の着ているパジャマの上のボタンを下から順に外していく。全てのボタンを外し終えると、里奈は真奈美の首筋や肩の辺りに唇でキスをしながら、彼女の胸元に右手で触れた。
「ぅん…っ」
 そっと自分の胸を包み込む里奈の手の優しさに、身体を硬くしていた真奈美が、その緊張をふっ、と緩める。里奈はそれを感じ取ったのか嬉しそうに微笑んで、真奈美の着ているパジャマを脱がせていった。肩から腕へ袖を滑らせると、腰の方にも手を掛けて、それをゆっくりと落ろしていく。
 真奈美の着ていたパジャマの上下が里奈の手によってベッドの脇へ零れて落ちると、里奈は自分と真奈美の身体にかかっていた毛布も、ベッドの隅に払い除けた。
「寒い…?」
「大丈夫、です…」
 ショーツだけになった真奈美に里奈が問い掛けると、真奈美は自分の胸を両手で隠しながら恥ずかしそうに答える。
 カーテン越しに差し込んでくる月明かりすらない雨の真夜中、薄暗い部屋の中で、二人は互いの表情を見つめあった。
 不安そうな真奈美。そしてそんな真奈美の気持ちを察して、柔らかく笑う里奈。
「身体のほうで本能的に拒否したら、すぐにやめてあげるからね…」
 里奈の囁きに小さく頷き、真奈美は目蓋を閉じた。それから自分の胸元を隠していた交差する両腕を解き、彼女は顔を伏せる。
 隠すもののなくなった真奈美の胸を、里奈は自分の舌に絡めて濡らした右手の人差し指で撫で始めた。ちょっと力を入れながら、里奈は円を描くように人差し指を動かす。
「んっ…」
 感じることが恥ずかしいのか、真奈美は頬を紅潮させながらも唇を固く結んで声を零さないように我慢している。そんな彼女の初々しさを可愛い、と感じた里奈は、形のいい真奈美の胸に直接、舌を這わせた。
 里奈の舌がミルクを舐める子猫のように、音をたてながら真奈美の胸を濡らしていく。充分に濡れた頃を見計らって、里奈はそこに自分の息を吹き掛けた。
「やっ…ぁ…んん…っ…」
 その擽ったい感覚に、真奈美はたまらずベッドの上で小さな身体を揺らす。両手で頼りなげにベッドのシーツをくっ、と握りしめた真奈美を見て、くすっと笑みを零す里奈。
 他人に自分の素肌を触れられている、という異質な感覚にまだ戸惑う真奈美の身体は、些細な感覚でも過敏に受けとめる。
「気持ち、いい…?」
 里奈がちょっと悪戯っぽく問い掛けると、真奈美は無言のままで答えない。
 ただその恥ずかしそうな表情と、額や頬から零れる数滴の汗が、言葉の代わりに里奈に答えを教えてくれた。
「じゃあ、もっとね…」
 目蓋を閉じたままで長い髪をベッドの上で乱れさせる真奈美の下半身に右手を伸ばしながら、里奈は唇と左手の指先で胸への愛撫を始める。わずかに固くなり始めた胸の突起に唇を添えると、里奈は飴を舐めるようにしてそれを舌でねぶっていった。
「ぅっ…んっ…!」
 舌先で根元の辺りを擽ってから歯先をあてがうと、真奈美が背中の辺りを中心にしてびくんっ、と震えた。電流を流されたように跳ねた真奈美の身体の驚くほど敏感な反応に、里奈は自分も身体の奥の気持ちが高ぶっていくのを感じる。
 小さな火種を投げ込まれたかのように熱くなり始めた胸を緊張から解くために、里奈は真奈美の下半身へと滑らせていた右手を呼び戻し、それで真奈美の左手を掴んだ。
「…真奈美ちゃんも、して…」
 熱っぽい声とともに真奈美の左手は里奈の右手に導かれて、里奈の胸にパジャマの上から触れる。
「でも、あたし…」
「始めは、触ってるだけでいいから…」
 柔らかな弾力のある感触に真奈美が戸惑っていると、里奈はそう囁いて、自分のパジャマのボタンを右手だけで外していく。はだけたパジャマから零れる自分の胸元に、里奈は真奈美の手を引き寄せた。
「あっ…」
 手のひらに伝わってくる里奈の胸の鼓動を感じて、真奈美が思わず呟く。その素肌の暖かさに真奈美が心を奪われていると、里奈は彼女を軽く抱き寄せ、そしてそのまま唇に深めのキスをした。
「…ぁ…んっ…ぅ」
 呼吸のタイミングがつかめずに、真奈美が声を零す。苦しい、という状況に反応した真奈美の身体は自然に硬張って、そして里奈の胸に触れている手にもそれは伝わった。
「ぁっ…ん…」
 刹那、それを感じた里奈がキスの途中で唇を離す。
「あのっ、ごめんなさいっ…」
 自分の指が里奈の胸を刺激したせいだと気付いた真奈美が謝ると、里奈はくすり、と含んだ笑みを零してみせる。
「いいの、大丈夫…」
 薄暗い部屋の、ベッドの上。自分を見つめる年上の女性に妖艶に微笑まれ、思わず真奈美は息を呑んだ。一瞬でも里奈の瞳に見つめられるだけで、言葉を失ってしまう。
 真奈美の心の中で、ずっと張り詰めていた緊張の糸の切れる音が聞こえた。
「…強くしても平気よ、真奈美ちゃん。乱暴な男には、腐るほど抱かれたから…」
 黙り込んだ真奈美の頬に口付けて、里奈は今までよりも彼女に身体を寄せる。自分の足を真奈美の素足に折り重ね、里奈は真奈美と肌が触れ合う面積を大きくしていった。
 やがて優しく愛撫を続けていた里奈は、いつのまにか瞳を濡らしている真奈美に気付いて、その手のひらと唇を止める。
「やめる…?」
 里奈が一言、そう問い掛けた。けれど真奈美は涙目のまま、首を左右に振る。
「じゃあ、怖い…?」
 その言葉にも頷かなかった真奈美は、潤んでいる瞳で、里奈を上目遣いに見つめた。
「……あたし、逃げてきたんです…」
 涙声を堪えて、真奈美は呟いた。
「…今日、あたしは付き合ってた彼と初めてホテルへ行く約束をして……でも、彼はあたしを抱いた後で別れ話を持ち出してきたんです…。どうして抱く前に話してくれなかったの? って聞いたら、彼はあたしの身体が目的で付き合ってたからだって、それで…」
「…どうしたらいいのか判らないままにホテルを飛び出して、公園で泣いていたところを私に拾われた、でしょう…?」
 付け足された里奈の言葉に、真奈美はちょっと驚き、それから小さく頷いた。
「…その人、初恋だったんです。だから余計にパニックになっちゃって…」
「私の初恋とか初体験の事を聞きたがったのは、そのせいね」
「…気付いて、たんですか…?」
 ずばりと指摘する里奈の言葉に、真奈美はちょっと躊躇してから問い掛けた。
 すると、里奈は曖昧に頷く。
「何となく、ね…。だから、私が真奈美ちゃんにとっての絵美里さんになれればな、と思って、抱いてあげたの…。……でも、私は絵美里さんにはなれないみたいね。結局、真奈美ちゃんを泣かせちゃったもの…」
 里奈が自嘲的に小さく微笑むと、真奈美が慌てて首を左右に振った。
「そんなことないです。…里奈さん、すごく優しくて暖かくて……だからあたし、思わず泣いちゃったりして…」
 まだ少し瞳に涙を浮かべている真奈美は、そう呟くと自分から里奈の頬に口付ける。
「…迷惑じゃないなら、あたしをもっと抱いて下さい…。あたし、里奈さんのぬくもり、もっと感じていたいから…」
「バカ…。迷惑な訳、ないでしょ…」
 言って近寄せてきた里奈の唇に自分の唇を重ね、真奈美は里奈の腕の中に身体を沈めていった。さっきよりも素直に里奈の愛撫を受け入れられることに喜びにも似た心地よさを感じながら、真奈美は里奈の真似をするように、自分も里奈の肌に触れる。
 始めは少しぎこちなかった真奈美の指が、だんだんと綺麗な流れを形成していく。それは里奈の指を自分の身体で感じ、そして覚えていくことで成り立っていた。
「…ぅん…っ」
 溶け合うような感覚が、何より心地いい。ちょっと鋭い、電流にも似た快楽は決して消えたわけではないのに、それよりも暖かいものが、胸の奥で生まれていった。
 何か綿毛のようなものに包まれている安心感と、子供の頃、初めてお菓子を食べた時のように甘美で残しておきたい気持ち。
 その二つが水飴のように微妙に混ざり合って、真奈美の心を抱きしめてくれた。
「…里奈さ…っ…んっ…ぅ…!」
 里奈の指が、下着の上から真奈美の陰部に触れる。ベッドを軋ませ、身体をびくっと震わせた真奈美の頬にキスをして、里奈は自分の指を、その線に添わせて滑らせた。
「…ぁ…くっ…ぅ」
 濡れている下着の下から、溢れだしてくる液が音をたてて里奈の指に絡み付く。里奈は真奈美の具合を確かめるように親指も使いながら、その場所を焦らしていった。
「欲しい…?」
「…ぁっ、は…ぅっ…んっ」
 自分の髪を撫でながら、里奈が囁く。その言葉に対して、真奈美は熱にほだされたように上気した頬をさらに染めながら、二度、こくこくと小さく頷いた。
 それを見た里奈は真奈美の下着を脱がさずに、その隙間から中へと指を滑らせる。何度か馴染ませるように中指を上下させてから、里奈は中指をその中へと進ませた。
「んぅっ…!」
 瞬間、真奈美の腰が落ちるように沈み、それに呼応して背中が少し浮き上がる。声が弾けるように唇から零れて、水面に広げた波紋のように、長い髪がシーツの上で乱れた。
 たまらず、不安そうに里奈の肩へと触れる真奈美の両手。その手に、里奈は首を傾げるようにして頬を近寄せる。
 里奈が指を動かすと、真奈美の下半身から液と絡む音が聞こえた。恥ずかしさと心地よさから汗ばんで大人びた表情になっている真奈美に、里奈がそっと問い掛ける。
「まだ平気…?」
 それに対し、なんとか頷き返す真奈美。右手の中指をすっと引き抜いた里奈が、そんな彼女の耳元で囁いた。
「じゃあ、ふたつあげる…」
「あっ…ぁっ!」
 一瞬だけ身体の緊張が揺るんだ真奈美の身体へ、里奈は中指を戻すと一緒に薬指も加える。微妙にタイミングを狂わせながら自分の中で動く二本の指に、真奈美が声にならない声を薄暗い部屋に響かせた。
「…だめ…ぇ…。いっちゃ…ぅ…っ!」
 小刻みに肩を震わせながら、真奈美が辛うじて紡げる声で呟く。そんな彼女の耳元に口付け、里奈は指の動きを早めた。
「感じてあげてるから、安心して…」
 里奈の声に、今までずっと目蓋を閉じていた真奈美が、瞳を薄く見開いてみる。隣にいる里奈と視線が合うと、彼女は意外なほど綺麗な笑顔で微笑んでくれた。
 見守るような瞳が、心を溶かしそうなほどに暖かく、それでいて優しい。
「心配しないで。真奈美ちゃんを捨てたりなんかしないから…」
 里奈の言葉は、心の中で染み込むように広がっていく。真奈美は無言で頷き、それから里奈に自分の全てを預けた。
「…あっ…んくっ…!」
 感じる衝動の全てがもどかしいけれど、そのもどかしさをもっと感じていたいという想いが強くなり、耐えきれないほどの鋭利な刺激が、真奈美の背中を走り抜けていく。
 そして彼女は何より、里奈のぬくもりを感じていたかった。
「や…んっ、ぁあっ…!」
 ぴくん、という反応が里奈の指に伝わる。けれど里奈は過敏すぎるほどの真奈美をもてあます事無く、自分の右手に自分の体重を乗せるようにして身体を寄せていく。
「あっ、ぁぁうっ…っ…!」
 より深く入り込んできた里奈の指に、真奈美が背中を浮かせた。もう満ちる限界まで少しの余裕もない真奈美の表情を見て、里奈が中指と薬指を丁寧に動かしていく。
「ぃくっ、いっちゃっ…ぅ…ぅんっ…!」
 弾けるような声がして、真奈美が大きく揺らいだ。炭酸の泡のように、浮いていた彼女の背中が、ベッドを求めて降りてくる。
「…ぁ……は…ぁ…」
 高鳴る胸の鼓動を押さえる為に、呼吸して息を整えようとする真奈美。そんな彼女の陰部から自分の右手を引き戻した里奈は、指に絡んでいる真奈美のそれを、自分の舌で綺麗に舐めとった。
 そしてそれを飲み込まず、舌で自分の口の中の雫と絡ませてから、里奈はそのまま真奈美の唇にキスをする。
「…ん…ぅっ」
 里奈の舌を伝って自分の口内に零れ落ちてきた液に驚いて、真奈美は思わずそれを飲み込んだ。喉がこくん、と小さく動く。
 そんな真奈美を見て、里奈は自分も口の中に残しておいたそれを飲み込むと、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ぬくもりは、感じられた…?」
 ベッドに深く身体を預け、横になったままの里奈が真奈美の髪をそっと撫でる。
 里奈に自分の髪を撫でられると、自分が本当に子猫であるような錯覚に陥ってしまうのを感じつつ、真奈美はしっかりと頷いた。
「あたしにとってのぬくもりって……きっと里奈さんだと思います」
「…嬉しいこと、言ってくれるじゃない」
 言ってから、照れ臭そうにうつむいた真奈美。その彼女の額を、笑顔の里奈が人差し指で優しく小突いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 いつのまにか雨音が消え去って、カーテン越しには眩しいほどの白い光が満ちている。遠くには行き交う車の騒音や、名前の知らない鳥の声が聞こえた。
 いつもと何も変わらない朝だけれど、特定の人にとってはいつもと違う朝がくる。
「はい、これ」
 どこかのブティックの紙袋に入れられている昨日自分が着ていた洋服を渡され、真奈美は、本当にいいんですか? という視線で里奈を見上げるように見つめた。
「いいのよ、あげるって言ってるでしょ」
 真奈美が着ているのは、昨日着替えにと里奈が選んでくれたジャンパースカートとブラウス。結局、里奈はそれをそのまま彼女に進呈することにしたのだ。
「でも、色々とお世話になったのに…」
「いいから。…拾った子猫の面倒は、最後まで飼い主に見させてよね」
 里奈は冗談ぽく言うとくすっと微笑み、それから小さなキーホルダーを取り出す。そしてそれを、問答無用で真奈美に握らせた。
「合鍵。いつでも好きなとき、留守でも入れるように持っておいて。キーホルダーには、ここの電話番号も彫ってあるから」
「でも…」
「また何かあったらいらっしゃい。今度は、美味しいミルクと鈴のついたチョーカーを
用意して待っててあげる。…真奈美ちゃんさえ良ければ、また昨日の夜みたいな事、してあげてもいいし……ね」
 里奈はくすくすと悪戯っぽく微笑んで、ちょっと照れてうつむく真奈美を見つめる。
 そしてまた、くすっと笑ってみせた。
「大丈夫よ。そこまで飢えてないもの」
 真奈美の髪を軽く撫でて、里奈は部屋のドアのチェーンロックを外す。ノブの中心に付いている鍵をひねると、カチン、とロックの外れる音がした。
「それじゃね。…雨に濡れて悩むんだったらうちにきて悩むの。判った?」
「はい」
 学校の先生のような里奈の口調に、真奈美は可笑しそうに笑う。
 それから軽く頭を下げて、真奈美は小さな笑顔を見せた。
「あの、ありがとうございました…」
「…うん。真奈美ちゃんも、ありがと」
 里奈は昨日よりももっと自然に笑えるようになった真奈美の背中をぽん、と押した。真奈美がマンションの廊下に出ると振り返ったので、お互い、言葉もなく手を振り合う。
「いってらっしゃい」
 そして、里奈はまた微笑んだ。
<1999.04.07 UP>