ピアス 〜 SIN番外編 〜
【 前 編 】

「香菜ちゃん、キレイになったよなぁ…。彼氏とうまくいってんのかね」
 昼休み、焼きそばパンをほおばりながら、篤がしみじみつぶやいた。
 その視線の先では、香菜が由紀枝と向かい合わせでお昼を食べている。
「……お前、目悪いんじゃないの」
 さっさと食べ終えていた智は、ばかばかしそうにそっけなく答えた。
 そう言いながらも、実は内心おだやかではない。
 少女から女に生まれ変わったとき、ほんの一瞬だけ少女が輝くように美しくなることがある。恋する女はきれいになる、というのは、あながち嘘ではないのだ。
 それは倖せな気持ちがもたらすものなのか、女になった体からにじみ出るものなのかわからない。昨日までとは違った、ほんのわずかな変化…けっして言葉では言い表せないオーラのようなものや、いいようのないしどけなさがふとした仕草や表情に現れて、人の目を引きよせる。
 そして、確かにそれは今、香菜に確かな変化をもたらしていた。
 眼差しや表情が柔らかく満たされ、幸せそうな微笑みが唇をいろどる。
 それまで香菜を『ハデ目の女』としかみてなかった男子までも、はっとさせてしまうほどに。
「お前みたいに、毎日一緒にいるとわかんないかもしんないけどさ、香菜ちゃんすごいイイ感じになってきたよ。なんていうの? 女らしい…っていうのかな。やらしい意味じゃなくてさ」
「お前がいうと、みんなそういう意味に聞こえるよ。彼氏と別れてせいせいしたせいじゃないのか?」
 自慢したいような気持ちと、隠さねばならない現実の間で、智はあくまで素知らぬふりを通すしかなかった。
「ありゃ、香菜ちゃんフリーなのか。…オマエさえいなきゃ、彼氏に立候補するのになぁ」
 篤は笑いながら、最後の一口を押し込み、牛乳で流し込んだ。
「男はこりごりだってよ」
「ばかだな、智。そういう子を幸せにしてやってこそオトコだろ」
「……オレがいて残念だったな」
 にやり、とわざと笑ってやると、篤はほんとだよ〜と世にも情けなく眉を寄せた。



「…んっ…だめ………」
 開けたばかりのピアスホールに触れないように、産毛の生えた耳の際をくちびるで噛むと、びくりと華奢な肩が揺れた。
 そのままふちをなぞるように唇を滑らせると、それだけで小さく腕の中の体が震える。
「だめ?」
 耳元に息をふきかけるように囁く。こんなわかりきった仕草ひとつで、香菜の体が熱くなってしまうことを智は知っている。大きな手のひらで頬を包み込むと、頬を赤らめた香菜が困ったように智をみあげる。
「…まだ、耳痛いか?」
 肩まで伸ばした髪をかき上げながら頬に軽くキスをすると、耳に噛みつくような仕草で
「そうじゃないって、わかってるくせに」
 拗ねた声が答えた。
 智は低く笑いながら香菜のシャツの下に手をすべりこませて、その素肌の背中を撫で回した。声をこらえてきれいに反り上がった背中を引き寄せると、シャツの開いた胸元に唇を押し当てる。
 目を閉じて、甘い吐息を漏らす愛しい横顔。
 髪の間から覗いている小さな丸い金のピアスは、昨日、智が入れたものだ。
 氷でかなり冷やしたにもかかわらず、轢き金を引いてピアスをガチャンとはめ込んだ瞬間
「いたっ!」
と、香菜は小さな叫び声をあげた。
「そんなに痛いのか?」
「うん、結構痛い…」
 入れた方の耳をかばいながら、もう片方を入れようと手を伸ばす智に、いやいやをする。
「昨日のと、どっちが痛い?」
 香菜の気持ちをそらすためにそんな冗談を言うと、赤らんだ頬がぷぅ、とふくれた。
「やあね! えっち!」
 ぷい、と顔がそむけられた瞬間、そのまま間発いれずに、もう片方の耳にも手早くバチン、とピアスをはめ込んだ。こういうのは間をあければあけるほど、恐怖心が増す。さっさと済ませてしまうに越したことはない。
「っ!」
「よし、これでオッケイ。ほら、見てみ」
 顔をしかめた香菜の頬をかるく撫でてやって、その手にパブミラーを持たせた。
「化膿させないように、気をつけろよ」
「…うん、ありがと」
 うれしそうに鏡をのぞき込み、いろいろ角度をかえてピアスの入った耳元を確かめる。
「どうしてそんな痛い思いをしてまで、穴あけるんだか。女ってのは不思議だな」
 つかい終わった道具を片しながら智が言うと、香菜はくすくす笑って鏡の中から答えた。
「女はキレイになるために、情熱かけてるのよ。当然じゃない」
「ふーん」
「それにね、痛い思いをするんなら、それは智がしてくれるんでなければイヤだわ。智があけてくれなかったら、ずっとピアスなんてしないつもりだったの」
 なにげなくつぶやいた言葉に、ふと手が止まった。
 顔をあげると小さな背中が智の視界にとびこんでくる。
 愛しい、でもどこかかたくなな、智がよく知っている後ろ姿。
 その背中を見ると、どれだけ智が香菜と一緒に居て、なんでも知っているのだとしても、決してわかりあえない、まざり合うことのない部分がそこにはあるのだと、強く感じてしまう。香菜が智でない以上、それはあたり前のことなのだが、その感覚はひどく智を孤独にした。
 でもそれは表に出さずに、ただ香菜の頭に手をのばしてその髪をくしゃ、とかき混ぜたのだった。
「……智?」
 動きのとまってしまった智を香菜の不思議そうな瞳が見あげた。
「うん? なんでもないよ」
 智の大きな手のひらが香菜の両頬を包むように撫で、唇が重なった。
 最初はついばむように軽く、次にその柔らかさを確かめるように触れあう。
 ねだるように薄く香菜の唇が薄く開くと、願いどおり舌が滑り込んできた。
 智とキスをするまでは、舌と舌が触れあうことがこんなにいやらしいことだなんて知らなかった。
 その香菜の言葉どおり、智の舌は容赦なく香菜の口内を蹂躙していった。
 強引だけど自分勝手ではない。舌と舌をからめ、吸い上げ、また深くまですべりこませる。その不規則なくり返しに、香菜の体が焦れてからみついてくる。
 その体をベットに押し倒して、邪魔な服をはぎ取る。
 他の女を相手に幾度もくり返したことなのに、香菜を相手にすると自分でもおかしいくらいに気持ちが昂ぶってしまう。
 その体に触れ、甘い声を聞き、熱く濡れたそこに押し入り、欲望をほとばしらせること。
 めちゃくちゃに感じさせて、香菜を喜ばせてやりたいと思うのと同時に、その体を支配し、理不尽な欲望のままに蹂躙し、従わせたいとも思う。
 それが、これ以上先に進むことを許されていない現実に対する憤りと、香菜の気持ちを確認し、そのすべてを手にいれたいという所有欲のあらわれであることはわかっている。
香菜を言葉と手で辱め、恥じ入りながらも感じる香菜を責めたてることで、自分の気持ちのバランスを取る。
 この快楽は禁忌を冒しているからなのか。
 それとも香菜が自分のたった一人の思い人であるからなのか。
 ときどきわからなくなってしまう。
 確かにわかっているのは、香菜が今、この瞬間に、自分の腕の中にいる、ということだけだ。
「あ……っ」
 ため息にも似たあえぎが、香菜の唇から漏れる。
 時間をかけて背中や首や腕など体中を撫で回し、感じやすい部分を徹底的に責めてやる。けれども、香菜がねだるまでは熱く火照っている部分には決して触れない。
儀式のように、智の掌と唇は香菜の体をくまなくはい回る。
「…くぅ……ん…っ」
 うつぶせにして、腰からうなじにかけて幾度も唇で行き来する。
 それだけで、白い背中がうねり、焦れたように足がこすりあわされる。
「ん? どうした、香菜」
 しらじらしく尋ねる智に、香菜はなんでもない、と答えた。
 無言のおねだりに答えて、もっと感じやすい部分を求めて指と唇がさまよう。
 どんどん乱れて、欲望のままになっていく香菜を見たい。
 妹を抱いている罪悪感など、香菜の淫らな仕草の前にはひとたまりもない。
 香菜は妹であると同時に、生まれてはじめて智に欲望を覚えさせた張本人なのだから。



 あれは中学校にあがったばかりの頃だった。まだ、二人は同じ部屋の2段ベットで寝ていて、両親はそろそろ二人の部屋を別にしなければ、と話合っていたようだった。
でも香菜の体は幾分まるみを帯びてきたとはいえ、まだ女らしいとは到底言えず、ブラを着けなくても気にならないような有り様で、いつも何の屈託もなく智の前で着替えをしていた。智も、そんな香菜を何とも思わなかった。それがあたりまえだったから。
それがあたりまえではなくなった日………自分を信じ甘えてくる香菜に、はじめて劣情を感じた日のことを智ははっきりと覚えている。
「智、きてぇ」
 一緒に並んで本を読んでいて、ついさっきトイレに立ったばかりの香菜が智を呼んでいた。
「どうしたのさ。ゴキブリでも出たのか?」
 ドアの外から声をかけると、なんのためらいもなくそれは内側から開いた。
「ともぉ…」
 香菜はすわったまま、智を見上げていた。
 ぎょっとするまもなく、視界にスカートをまくり上げたままむきだしになった、
まだ幾分きゃしゃな足が飛び込んでくる。そのつけねに薄くけむるような性毛を認めて、智はとっさに目をそらそうとした。
「どうしよう、これ、…わたし…」
 香菜のとぎれとぎれの言葉に、目線をずらすと、あしもとに下げられた下着に赤黒い付着物があった。
「あ……」
 香菜は泣きそうな顔になっている。ものすごいいきおいで鳴る心臓をけどられないように、笑顔を作ってみせる。
「大丈夫だよ、香菜。大人になった証拠だよ。こないだ習ったじゃないか」
 身を屈めて、のぞきこむように言ってやると、香菜の腕が首にからみついてきた。
「ともぉ」
 そのまま香菜を引っ張るように立たせて、智は必死にぐるぐるする頭を建て直そうとした。
「お母さんが帰ってきたら、話せばいいよ。お腹いたい?」
「…いたくない」
 涙声が答える。腕の中の香菜の体は、自分とたいして身長も体重も変わりないはずなのに、どこかふにゃふにゃとやわらかくて頼りない。
「どっかに、ないかな。あてるやつ…いるんだよね? たしか」
 気持ちをそらすために、香菜を抱きながらトイレの中に視線を泳がせる。
「…お母さんのが…棚の上に…あるはずだけど…」
 香菜の言葉のとおり、トイレの上部に取り付けられた棚の奥に紙袋が見えた。
「香菜、下着汚れちゃったから、かえなきゃ」
 こんなに気持ちは混乱しているのに、冷静に動いている自分の頭が不思議だった。
「………うん」
「じゃあ、取りにいってくるよ。…棚の上に手届くよね?」
 腕をほどいて、濡れた頬をシャツの袖でぬぐってやる。
 香菜がちいさく頷いたのを確認して、二人の部屋に引き返した。
 着替えの入っている引き出しを開けて、白い下着を一枚とりだす。コットンレースのついたもの。洗濯物でいくらでも見慣れているものなのに、妙にどきまぎする。
 目の前にちらつく香菜の足を振り払いながら、急いで引き出しを閉めた。
 戸をあけはなしたままのトイレの前で、香菜が身を屈めて、足元から下着を引き抜いていた。その尻から足にかけての動きに、目を奪われる。
 淡い性毛で隠された細い足のすきま。
 けっして初めてではない、下半身の変化に気づいて、智は狼狽した。
 ませていた智は、兄を持つ悪戯仲間とのやりとりで、それが何を意味しているのか漠然と知っていた。知ってはいたものの、こんな時にこんな風に自分が反応してしまうだなんて、思いもしなかった。香菜は妹なのに。
「とも」
 香菜が戻ってきた智を見てほっとしたように表情を緩めた。
「手、届いた?」
「うん」
 智から新しい下着を受け取った香菜は、なんのためらいもなく、智の前で下着の股のところにナプキンをあて、それを履いた。
 智は目をそらすこともできず、白い下着にすっかり隠されてしまうまで、足のつけねの 淡い茂みの様子をつぶさに見つめ続けた。
 そして、その奥を見たいという衝動を必死でこらえた。
 香菜は女なのだ。
 自分が男の体をもっているのと同じように、香菜は女の体を持っている。
 いままで、頭の中で理解していたことを現実に目の当たりにして、智は動揺していた。
 香菜と智はつい最近まで、本当によく似ていた。だからかもしれない。
 香菜が女だとわかってはいても、どこか自分と同じような気がしていた。
 でも、そうではなかった。
 身支度を整えた香菜は、まだ半べその顔で、智にしがみついてきた。
 智は素知らぬ顔で、その背を抱いてやるしかなかった。
 その夜、智は初めて自慰をした。
 話には聞いていたが、自分でしたことはまだなかった。
 持て余した欲望をおさめることができず、熱くなった部分に自分で触れた。
 つたない仕草で手を動かしている間中、思い浮かべていたのは香菜が下着をはきかえているあのシーンだった。
 きゃしゃな足が動き、きわどい部分が見えそうになりながらも、そのまえに下着に隠されてしまったあの瞬間を、くりかえし思い出す。そしてこみ上げてくる感覚に急かされるままに、焼けるような快楽を味わった。