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【 第1話 】
「おい、香菜。お前、数学の教科書忘れただろ」 もうじき一限の予鈴が鳴ろうとする頃、あとから登校してきた智が香菜の前に来て、鞄の中から教科書を取りだした。 「え、嘘」 慌てて自分の鞄をのぞき込むと、確かに4限の数学の教科書が入っていなかった。 でも何故かノートはある。 「いやーねぇ、器用なことやっちゃった。ありがと、智。持つべきものは双子の兄ね」 「言ってろ、馬鹿」 智はこつん、と香菜の頭をこずいて一番後ろの自分の席にいってしまった。それと入れ変わるように、自分の席で一限の宿題を写していた仲良しの由紀枝がノートを持ってやってきた。 「ありがと、香菜。助かっちゃった。なーに、教科書持ってきてもらったんだ?」 「うん、そうなの。ノートは持ってきて、教科書だけ置いてきたみたい」 「やだー、なにやってんのよ。でも、いいね。同い年でもお兄ちゃんがいて。しかも、忘れた教科書まで持ってきてくれるなんて優しいじゃーん」 声をひそめて由紀枝は香菜をつついた。香菜はくすぐったがってくすくす笑いながら、 「いいでしょ」 と、のろけた。 どちらかというと、気が強く、せっかちでそそっかしい香菜と対照的に、智はそつがなくて、人当たりがよく、香菜が憎たらしくなるぐらいよく気が利く。つまるところ、智がおっちょこちょいで我慢のきかない香菜の面倒を見てる構図となるわけで、こんな関係も母親のお腹の中から数えて足掛け19年目の今、もはやいちいち口に出さずとも阿吽の呼吸ができあがってしまっている。いくら仲のいい兄妹であっても時には喧嘩することもあるが、たいがい弱みの多い香菜が先に頭を下げることが多かった。怒ると智は完全に香菜を無視したし、いつも側にいてくれる智に冷たくされると、怒るよりももっと淋しくなって、喧嘩してた事も忘れて泣きたくなってしまう。それは10年前も、今も変わらない。 「でも、香菜と智君て、双子っていうわりにはあんまり似てないよね。あ、でも二卵性だからあたりまえか」 由紀枝は智と香菜を見比べて、首を傾げた。 香菜は口を尖らせて、反論した。 「しょうがないでしょ、男と女なんだから。でも、小学校出るまではそっくりだっ たのよ。背丈も、顔も、声もお母さんが電話で間違えるくらい似てたんだから」 そこで、予鈴が鳴った。由紀枝はあわててまたね、と席に戻っていった。 事実、アルバムの中の二人はとっさに見分けのつかないほどよく似ていた。 周りがあきれるくらい、二人はいつも一緒だった。だからといって、取り違えられることは滅多になかった。香菜はいつでも大声をあげて走り回っていたし、智はいつも後ろから心配そうについていくのが常であったから。 もし、これが同性同士であったなら、お互いを疎ましく思うこともあったかもしれない。どんなに仲のよい兄妹であっても、年が重なるにつれそれぞれの世界を持ち、離れていくのは、ごく当たり前のことだ。 智と香菜にとっては、お互いがいることがあたりまえで、それ以外の世界があるなんて思いもしなかった。 最初に変化があったのは香菜だった。小学校を出る少し前くらいから胸が膨らみはじめた。肉の薄かった頬には柔らかな線が生まれ、棒のようだった手足もまるみを帯びてきた。やがて、中学に入ると生理がきた。驚いた香菜は母よりも誰よりも智を呼び、自分の体に起きた変化にとまどって泣いた。小学校であった保健の授業のことを香菜から聞いていた智はすぐに着替えを用意し、大丈夫だよ、と香菜の背を撫でた。それからは一緒にお風呂に入ることもなくなった。そのうち智もどんどん背が伸び、手足が大きくなり声も低くなっていった。高校にあがるころには髭も生えてきた。もう、誰も二人を見間違うことはなかった。それでも二人は普通の兄妹以上に仲がよい。もちろん他に友達がいないわけではなく、香菜に由紀枝がいるように智は同じクラスの三宅篤ととても仲が良かった。年ごろの男同士でつるんでナンパにいくこともある。智は思慮ぶかく整ったマスクと180センチを越える長身で、篤も優男風の顔とセンスの良い格好で、そんな2人がいつもつるんでいるものだから、もちろんどこに行っても女の子達に引く手あまただ。 時々香菜がまじっても篤はいやな顔ひとつしないで、智とふたりがかりでお姫さま扱いしてくれる。 「香菜ちゃん、すごい可愛いよな。やっぱり花が無いとだめだね。こんど二人だけでデートしよう」 などと、智をどついて言い寄られたりすると、冗談とわかってても、悪い気はしない。 高校3年生ともなれば世間では受験戦争まっしぐらだが、私立で80%が付属大学に持ち上がりのこの学校はいたってのんびりとしたものだ。わずかな例外といえば、もっと確かなステイタスを求めて外部受験をする一握りの生徒だけで、それぞれ名門大学をめざして灰色の受験生活に身をやつしていた。 もちろん香菜も外部受験する気などさらさらない。智と一緒にいたい一心で苦労してこの高校に入ったのだから、当然だ。智だってそうだろう、と思っていた。つい、一月前までは。 その日、智はめずらしく真面目な顔で両親を呼んだ。何があるのかといぶかしんで、茶の間のテーブルにそろった両親と香菜に、 「俺は、大学は外部を受け、家を出たい」 と、爆弾を落としたのである。 一日も早く一人前の大人になりたい、家にいるとどうしても甘えてしまうから、一人で自分を追い詰めたいのだ、という智に父は最低限の送金しかできない、残りは自分で稼ぎ、なおかつきちんと卒業することを条件として許可を出した。もう志望校は決まっており、それは智が好きな作家が講師として授業を持っている大学だった。 寝耳に水なのは香菜である。話の間中呆然としていたが、終わった後我に返り智を部屋に追いかけていった。 「ちょっと、智、どういうことなの? 私聞いてないよ」 「だって、話したら反対するだろ?」 胸を叩いてわめく香菜をなだめるように、智の腕が背中にまわされる。 「どうしてわざわざ家を出るの。どうして私を置いていくの」 「置いてく訳じゃないよ。まだ、合格もしてないのに気が早いな。…なら、香菜も同じ大学にいく? そしたら一緒に暮らそうか」 冗談ぽく笑いながら、智は困った顔で香菜を見ていた。 それは香菜の知らない、はじめてみる表情だった。 「………無理なの、わかってるくせにっ…」 しゃくりあげながら、香菜は智の胸を叩くことしか出来なかった。智は、常時学年3位前後にいる成績だし、香菜は苦手の理数系が足を引っ張って真ん中よりは少し上といったあたりで、それでも付属の大学に持ち上がるには十分な成績のはずだった。 とうとうふりあげた手を下ろして、胸に顔をうずめて泣きだしてしまった香菜の背を撫でてやりながら、智は耳元で小さく 「ごめん」 と、囁いて、そのまま香菜の耳もとに口唇をおしあてた。 焼けるような熱い吐息に香菜の体がびくっ、と大きく震えた。智の口唇が触れたところから痺れるような感覚が走って弾かれたように香菜は顔を上げていた。その顔をシャツの袖でぬぐってやると、もう一度 「ごめん。…今のは冗談だよ」 そういって、智は香菜を部屋の外に押しだして、ドアを閉めてしまった。 香菜は呆然と智の部屋の前で、立ち尽くしてしまった。長い時間泣きながら立っていたが、ドアは開かなかった。中から小さな話し声が聞こえた。電話で篤と話している様子だった。自分の部屋に入って、香菜はまた新しい涙を流した。 智があんなふうにいうときは、決して自分の意志を曲げなかった。 自分の一部がもぎとられてしまうような、胸の痛みと悲しさと寂しさで、いつ眠ってしまったのかもわからなかった。 次の朝、いつものように、智は制服に着替えて香菜を起こしに来た。布団をまくって、ぱんぱんになった頬を叩く。 「起きな、香菜。顔すっごい腫れてるから、早く起きて冷やさないと大変だぞ」 重たいまぶたを開いて、智の顔を見た香菜は、また枕に顔をうずめた。 「…いいもん、今日学校行かないもん」 うつぶせになってふて寝を決め込んだ香菜に、智はじゃあ、と指を鳴らした。 「はーやーくー起きないと…、こうだぞ!」 いきなり部屋着の上着の裾から手を潜り込ませると、長い指で素肌のわき腹をくすぐり始めた。肌の中で炭酸が一気に弾けたようなくすぐったさに、香菜は慌てて身をよじった。仰向けになって、なんとか智の手を止めようと押さえるがびくともしない。 「いや、……やめて、智っ、くすぐったいっ!」 「じゃあ、起きて学校に行く?」 智の言葉に、返事はない。ならば、と、一層せわしく指が動きだした。香菜にのし掛かるように脇をくすぐり、暴れる香菜をおさえつける。何度も体をはね上げ息を弾ませながら、それでも香菜はうん、といわずに、声を殺していた。 (あ……) いつのまにか、手は違う動きでわき腹を撫で始めていた。少しだけ指先を肌に乗せて、感じやすい所をひっかくように撫で上げる。昨夜のように熱い口唇が、香菜の首筋におしあてられた。 「ん…」 思わず声を漏らしてしまった香菜は、自分で驚いて、口をおさえてしまった。 智の指が動くたびに、じれったいような気持ちいいような変な感覚が背中をかけあがってゆく。 柔らかな智の口唇が首筋から肩近くに下りていき、また、甘やかな痺れとともに耳まで這い上がって、香菜はいつの間にか智の背を抱きしめていた。 「…起きる?」 かすれたような智の声が、耳に流しこまれた。香菜は身を捩って、いや、と囁いた。 「起きないと襲っちまうぞ」 脇から背中に智の手がまわり、ブラのホックをはずしてしまう。同時に感じやすい耳朶を舌がチロチロと舐め回した。 香菜は息を殺して、甘い感覚に背をのけぞらせた。智の掌が香菜の乳房を包んだ。 尖った乳首が智の手をくすぐる。智の手にも余るくらい豊かな乳房は、動きにまかせて柔らかく形を変えた。 「昔はぺたんこだったのに、大きくなったな」 「…ばか」 香菜が智の耳を軽く噛むと、智は体を硬くした。大きく息を吐いてから、自分の中の欲望をこらえるように、智は香菜の耳元にしばらく口唇を押しつけたまま、動かなかった。そこは耳たぶのすぐ裏の柔らかい部分で、熱い息に香菜は身を震わせた。これが、感じる、ということなのだ。智の触れるところ全部からじれったいような感覚が生まれて、もっとして欲しいような、どうなってしまうのか怖くてすぐにも止めてもらいたいような、複雑な気持ちになってしまう。 智になら、何をされてもいい。そう思う。いつかは知るはずの最初の男も、できることなら智であって欲しかった。だって、智以上に好きな人も、信じられる人もいなかった。去年のクリスマスに、由紀枝の手引きで潜り込んだ大学のパーティーで会った人とつきあっている。彼は、背中と肩のあたりが智によく似ていた。智はちっとも似てないじゃん、といったけれど。 香菜だって、ずっと智といられるだなんて、思ってはいない。兄離れしなきゃ、という気持ちがあったからこそ、彼をつくったのだから。けれども。 優しい恋人よりも、智といる方が楽しかった。恋人の中に智の面影を探す自分にも気づいていた。 「…襲ってもいいよ」 小さな声で、囁いてみた。言葉にできない気持ちを隠して、冗談みたいに。智は首に顔をうずめたままで、 「何いってんだよ、ばか」 香菜の背を抱く腕に力が入った。二人は体を重ねたまま、じっとお互いの鼓動の音を肌に感じていた。 どれだけそうしていただろう。 ピピピ…と、けたたましい電子音が枕元から響いた。驚いて智も香菜も跳ね起きる。音をつきとめた香菜の手が鳴り響く目覚ましの頭をひっぱたいた。 「ん、もう! …びっくりした」 気の抜けてしまった香菜に、智は笑いながら早く着替えてこいよ、とベットからおりてドアのところでウィンクした。 香菜はあきらめて一気に部屋着を脱ぎ捨てた。部屋着と一緒に外れていたブラも脱げて、豊かな乳房がふるん、と弾んだ。鏡の前にそのまま立つと、香菜は自分の体と顔を丁寧に点検した。 「うわぁ、ひっどーい」 昨夜泣いたまま眠ったせいで、顔がぱんぱんにむくんでいた。でも、耳まで上気しているのは、さっき智があんなことをしたせいだ。きゃしゃな肩の下で、二つの乳房がつん、と上を向いていた。智の手が、ここに触れた。そう思い出すだけで、顔が熱くなってしまう。 本当は、もっとして欲しかった、だなんていったら、智はなんていうだろう。 |