ハッピーマリッジ
<前編>
ANNA様

 7月のある日、ダイレクトメールやら、チラシやらに混じって召集令状が届いた。
 赤い紙じゃなく、西瓜の絵がついた暑中見舞いの葉書。


『暑中お見舞い申し上げます。
 先日の帰省時は、会う事が出来なかったのが、残念です。
 お盆休みには帰ってくることと思います。
 宴席を企画しているので、必ず先輩君と二人そろって顔を出す事。
 先輩君にも最近お目にかかっていないので、宜しくね。
                        ―静 香―
 PS.礼服持参の事。』


 いったい何だろう…?
 いや、何を企んでいるんだろう…?
 単に一緒に食事をしようと言うだけかなぁ。まさかチビ達の面倒みるためなら、礼服なんて言う訳無いよな…。
 差し出し人は姉である。はっきり言って、嫁に行った今でさえ実家で一番の実力者である。
 物心ついた頃からの僕の行動を把握していて、お父さんの釣り道具を壊してしまった事や、近所の犬に吼えられて逃げた事など、僕の過去の汚点を知り尽くしており、当然、僕が歯向かえる相手ではない。
「馨はね。お尻に北海道の形の蒙古斑が有ったのよ。」
 なんて本人すら覚えていないような事言われても、反論のしようが無い。いや、反論しよう物なら、これでもかこれでもかと言うほどの逆襲が待っているので、反論できない。
 じっと葉書を見詰める僕に、怪訝そうに先輩が声をかけてきた。
「馨、どうしたの?」
「うん、静香姉さんから暑中見舞いが来てたんです。」
「ああ、前に馨の家で会った事が有ったね。」
 僕は先輩に郵便物を渡した。
「僕の方は12日から1週間休みが取れたから大丈夫だけれど、馨は?」
「僕も取れました。」
「じゃあ、日程を連絡してあげなくちゃね。」
「すみません。姉がわがまま言って…。」
「いいよ。にゃんも会いたがっていたから、こっちの方にも付き合って貰わなくてはね。」
 そう言って先輩が抜き取った葉書には、手書きのイラストと共に


『お兄ちゃん&馨さんへ
 暑中お見舞いで〜す。
 こちらも毎日暑くて、ばてばてです。
 先日実家に帰ったら、今年も「廣敷2号」がすっかり
 お座敷犬になっていました。
 黒犬には辛い季節だからとお母さんは言っていますが、
 五月蝿いのが嫁に行って寂しいのかな。
 お盆に帰ってきたら、一緒に遊びに来てね。
                  ― にゃん&浩介 ―    』


 と、書かれていた。
「あはは、にゃんちゃんらしい葉書ですね。」
「廣敷はちゃんと坊さんしているのかな。」
「他の人にも会いたいですね。」


 8月12日、僕達は故郷への列車に乗りこんだ。


 東京も暑かったけれど、故郷も暑かった。冷房が効きすぎているような列車から降りると、むっとして湿った空気が纏わりつく。
「暑い〜。」
 暑いと連発するくらいなら、涼しげな格好をして来れば良いのに、僕らは二人とも長袖のスーツ姿だった。
 学生時代だったら、タンクトップにGパン位の格好で来ても良かったのだろうけれど、僕らも一応社会人だし…と言うのは建前で、本当は昨夜の名残が見えないようにと、スーツしか着れなかったのだ。
 お互い実家に行ってしまったらって、昨夜はちょっと…ね。
 半袖のシャツなら見えないとは思うけど、姉の子供達が来ていたら大人しくしてなんかいられそうも無いので、会社に行くみたいな格好での帰省になってしまったんだ。
 僕だけスーツなのは癪なので、先輩にもスーツ着用を強要した。
 で、二人とも暑さでばてている訳、
 直射日光の中をバス停まで歩く。ここで先輩とはお別れ。
「夜に電話しますね。」
 そう言ってバスに乗り込む。
 小さくなっていく先輩に、立ちあがったままで手を振った。
 ちょっと寂しい感じを振りきるように、座席に座ってこれからの予定を考える。
 さて、これからどうしようか?


 バス停から実家への道のりは、新しい家が建っていたりして、記憶の中の風景とは少し変わっている。それでも、家が近づくにつれて見知った風景が目に入ってくる。
 流石に一日で一番暑いこの時間は、出歩く人もないらしくここまでの道すがら、誰にも会う事は無かった。
 実家の門扉の前でインターホンを押すと、スピーカーから聞きなれた声が流れた。
「馨お兄ちゃん?今開けるね。」
 妹の満瑠だ。
 ガタガタと物音がする…と、突然玄関の扉が開き、中から男の子が三人転がるようにして飛び出てきた。一番小さい子は裸足のままだ。
「あ、馨ちゃんだ!」
「おかえりなさい。馨ちゃん。」
「あ、こらぁ、緑ちゃん裸足のままで出ちゃだめぇ。」
 三人の後に続いて満瑠が現れ、緑と呼ばれた子供を抱き上げた。
「純君、緑ちゃんの足を拭くから雑巾取ってきて。」
「ええ〜、俺がぁ?」
「早く、重いんだから。」
 純と呼ばれた一番大きな子は、家の中に戻った。
「みるちゃん、雑巾どこぉ〜。」
「あ、俺知ってるよ。」
 もう一人の子も家の中に走っていった。
「おかえりなさい。暑かったでしょう?」
 満瑠は抱かれるのを嫌がる緑を宥めながら笑って出迎えてくれた。
 家の中からどたばたと走る音が聞こえる。カツカツと言う音も混じっている。
「はい、ぞうき〜ん。」
 雑巾を渡す純の脇を、黒い塊が駆け抜けた。
「あぁ、等君。ぽち捕まえて。」
 その言葉が終わらないうちに、黒い塊は僕に突進してきて嬉しそうな声をあげながら、飛びついて来た。
「ウワン、ワワン。」
 …やっぱり、スーツは止しておくんだった…。
 帰宅早々、玄関は戦場と化していた。


 夕食時は久々にお義兄さん以外全員が揃った。
 お義兄さんは仕事の関係で夜中に来るとの事で、父さん、母さん、満瑠、南波、静香姉さん、そして僕の6人と姉さんの子供の純、等、緑の3兄弟総勢9人が居間にいるのは壮観だった。
 この分では、食事時はさぞや五月蝿いだろうと思っていたが、静かだった。
 お喋りはするけれど、子供達はさして騒がず、黙々と食事をしていた。
 前に会った時は、緑も赤ちゃんだったから、上の二人も少しは成長したのかな。
 緑が「セロリ嫌〜い。」と一言漏らすと、さっと隣から純か等の箸が伸びてきて、セロリを片付けている。
 僕らも小さい頃やってたな。よく満瑠が嫌いな食材を僕の皿に入れてたっけ。お母さんに見つかると、
「食べる気が無いなら、最初から箸をつけないの!」
って、怒られていたなぁ…。
「チビ達、大人しいでしょ。」
 南波がこそっと耳打ちした。
「うん、もっと走りまわっているかと思ってた。」
「実はね…。」
 南波が言うには、姉達は1昨日から逗留していたのだが、食事の時に純がどこで覚えてきたのか、「むかつく〜!」と言ったところ、等も真似して「ほんと、むかつく〜!」と言い、訳もわからない緑までが「むかちく〜。」と真似したのだそうだ。
 それを聞いた母さんと静香姉さんは、
「むかつく?吐き気でもするの?」
「むかつくって事は、胃の具合が悪い証拠ね。」
「そう言う時は、絶食が一番よ。」
「じゃぁ、ご飯は食べないで寝なさい!」
 食事の途中だったけど、二人はさっさと食事を片付けてしまい、3人まとめて寝室(元の満瑠と南波の部屋)に押し込んでしまったのだそうだ。
 空腹で泣いて謝るまで閉じこめていたせいで、今日は静かなんだろうって事だった。
 そりゃぁ、あの二人に歯向かおうとする方が無理だよー。
 食後は子供達と遊んで(遊ばれていたのかもしれない…)風呂に入って落ち付いたのは11時近くだった。


 風呂を出て居間に戻ると父母はもう寝ており、兄弟4人だけになっていた。
「ちびさん達は?」
「ようやく寝たよぉ〜。」
と、疲れたような満瑠の声。
「起きられなかったら、馨ちゃんとの食事会に連れて行かないで、家に帰すって脅しておいたから、寝るでしょう。」
と、淡々と語る静香姉さん。
「お茶入れて来たよ〜。」
と、冷たい麦茶を差し出す南波。
「静香姉さんもお茶で良いよね。」
「ビールって言いたい所だけど、暫くは飲めないしね〜。」
「妊婦って大変ね。」
 …ビール飲めない?…妊婦…?…って????…!!
「…静香姉さん、4人目?何だか太ったみたいだとは思っていたけど…。」
 バキッ!
 その言葉が終わらないうちに、姉の鉄拳が飛んでいた。
 ううう…たまに会った弟になんて仕打ちだ…。このままではぼこぼこにされかねないので、攻撃の矛先を変えようと葉書に有った宴会の質問をした。
「そう言えば、宴会って言ってたけど何?」
「4人目もお世話になるし、いい機会だから父さんと母さんに旅行をプレゼントしたのよ。」
「その間にたまには兄弟揃って、食事でもどうかなってね。先輩君も呼んで。」
「先輩も?何故?」
「いい機会だから、馨の先輩君にも会いたかったしね。彼も家族みたいなものでしょう?」
「姉さん…。」
「これからもお世話になるんだから、ふつつかな弟ですが宜しくって、挨拶くらいはしておかないとね。」 
 満瑠も南波も何も言わないけれど、頷いてくれていた。
 僕と先輩の関係、認めてくれてるんだと思うと、じわっと泪が出てきた。
「そのうち父さんや母さんにも、認めてもらえると良いんだけれど、まぁ、孫は馨の分まで私が生んでるから、今度こそ女の子が欲しいわ〜。」
「お父さん、ビックリしちゃわないかしら?」
「母さんは大丈夫そうな気がするけどな…。」
 好き勝手な事を言って3人が盛りあがっているのさえ、嬉しかった。
 夜中にこっそりと先輩に電話した。
 僕は嬉しくてたまらなかったけど、先輩呆れていないかなぁ…。