ハッピーマリッジ
<後編>
ANNA様

 翌々日の午後、父さんと母さんは温泉旅行へと旅立った。
「二人だけで旅行なんて何十年ぶりかしら。」
なんてはしゃぐ母さんと、照れくさそうな父さんを駅まで送って、その帰りに駅前の書店で先輩と待ち合わせた。
 中二階の文庫本の棚のところに先輩を見つけた。
「先輩、お待たせしましたぁ。」
 後ろからそっと声をかけると、先輩がゆっくりと振り返って微笑んだ。
「たいして待ってはいないよ。」
「どこに行きましょうか?って言っても夕方までなんですけど。」
「向かいの喫茶店でにゃんが待ってるんだ。」
「にゃんちゃん?」
「お前に会うんだって、今朝帰ってきた。嫁に行ってもちっとも変わらん。」
「あはは、嫁に行ったって言ってもほんの数ヶ月前じゃないですか。」
「いや,一生変わらないと思うぞ。」
 そんな下らない会話をしながら、にゃんちゃんの待つ喫茶店のドアを開けた。
「でな、あいつ雷が鳴るたびに本堂に逃げ込もうとするんだ。お供えはひっくり返す、障子は破るでたまらんよ。」
「やだぁ。変なとこが同じ、うちのもキッチンのテーブルの下に逃げ込むのよ。外に繋いでる時なんか、死にそうな声出して鳴くの。」
「きっと、馨の所のぽちもそうだぞ。」
 小さな喫茶店に響くこの声はにゃんちゃんと…、
「廣敷先輩!」
「おう!」
「馨さん、お久しぶりです。」
「変わらんなぁ、相変わらずちっさいな馨。ま、座れや。」
 ジーンズとTシャツというラフな格好の廣敷先輩は、どう見てもそこらの大学生と変わらなくって、お坊さんには見えなかった。
 薦められるがままに椅子に腰掛け、懐かしい顔を見やる。すぐ前には同じようにして微笑んでいる先輩がいる。
 懐かしい話に花が咲き、気がつけば時刻は3時ちかかった。
「お、もうこんな時間か…。檀家回り手伝わないと親父の雷が落ちる。」
「廣敷先輩…、本当にお坊さんになったんですね…。」
「ははは、暇が有ったら袈裟着てるとこでも見に来い。」
 廣敷先輩が帰って、3人だけになったところで、ウェイトレスのお姉さんがちらちらとこっちを見ているので、場所を変えることにした。
 とはいっても他の店に移っただけだったけどね。
 今からあんまり食べると夕食が入らなくなるからと、軽くサンドイッチをつまみながら先輩に明日の予定を伝えた。
「6時半に仲町の明珍楼って中華料理の店だそうです。」
「新しく出来たところ?」
「ええ、三宮で予約を取ってあるからって事でした。」
「慎二お兄ちゃん良いなぁ。私もみるちゃん達に会いたいよぉ。」
 にゃんちゃんが不満そうな口調で先輩の腕を突ついている。
「にゃんちゃんも来ない?満瑠も南波も会いたがると思うよ。」
「んー、馨さんの申し出は嬉しいんだけど、実は明日の夕方予定が入ってるの。」
「残念だな。」
「馨さん、今日の予定は?」
「姉さんの子供達がご飯作るって、張り切っているから帰らなきゃなんだ。」
「カレーかな?」
「多分ね。それもお子様向けの甘いカレーだと思う」
「僕の都合はどうでも良いのか?二人とも…。」
 話題からはずされた先輩は不満そうに口を挟んだ。
「やぁねぇ。慎二お兄ちゃんったら、男の嫉妬はみっともないよ。」
「…。」
 あはは、先輩ったら赤くなってる。なんとなく嬉しいな。
「また、冬に帰ってくるから、その時にでも一緒に食事しようね。」
「うん、楽しみに待ってるわ。慎二お兄ちゃんもちゃんと帰ってきてよね。」
「なんだ、僕は馨のおまけかい?」
 先輩が苦笑混じりに言った。


 その日の夕食は満瑠監督の元、純と等が製作、緑とぽちが邪魔をして、南波が味見したというカレーでした。子供向けとはいえそんなに甘くは無くって、結構美味しかったんだけど、なんで竹輪が入っているんだろう…。



 翌日、朝から今日は馨ちゃんとご飯食べに行くんだよね。と、はしゃぎまわる3兄弟を連れて公園に散歩に行って、ちび達の宿題を見て、一緒に昼寝して…、あっという間に夕方になっていた。
 居間では静香姉さんが子供達を着替えさせている。
「等、ちゃんと靴下履きなさいよ。」
「緑、ほら、ばんざいして。」
「あらら、緑。パンツどこやったの?」
「静香お姉ちゃん、緑ちゃんったらトイレにパンツ脱ぎっぱなし。」
 綺麗に化粧して、大人っぽい雰囲気のワンピースを着た満瑠が、キャラクターのついた可愛いパンツを手にして居間に入ってきた。
「満瑠ちゃん、かっわいいー。」
 等がおどけて言った。
「生意気言ってんじゃないの。」
 満瑠…。精神年齢進歩してないぞ。
 思わず笑いがこみ上げた。
 ちゃんとしたお出かけの格好が窮屈なのか、純はしきりにネクタイを気にして、首のあたりを触っている。
 南波が直してやっていた。
「姉さん、もっと楽な格好で良いのに、先輩だってそう言うと思うよ。」
「あら、そうはいかないわ。それにたまには私だっておしゃれしたいもの。」
「あ、っそ。」
 子供がいるとなかなか遊びに行ったり出来ないんだろうな。今ごろ母さん達は楽しんでいるのかな。
 着替えの終わった緑は居間を走り回っている。
「緑ったら、はしゃいじゃって。この分じゃぽちの引き綱でも借りていかなきゃだめみたいね。」
 静香姉さんが呆れた顔で、走り回る子供達を眺めていた。
「お姉ちゃ〜ん、タクシー来たよ。」
 満瑠の呼びかけに、静香姉さんと子供達は先にタクシーで店に向かった。
「さて、僕らもそろそろ行こうか?車出してくるよ。」
 簡単に居間を片付けて、南波が運転する車に乗り込んだ。



 一年ほど前に出来たという中華料理屋は、入り口のところに大きな龍の飾りがついた立派な店で、静香姉さんが張り切って化粧していたのもうなずける造りだった。
 入り口の所で、チャイナ服の女の子に
「三宮で予約しているんですが。」
と告げると、にっこりと笑って二階への階段をを指し示し
「ご予約の三宮様ですね。お二階の碧玉の間でございます。」
「馨お兄ちゃんは今日の主賓なんだから、こっちで待ってて。」
 満瑠が僕の手を引いて、入り口近くの陶器で出来た椅子に座らせた。
「準備できたか見てくるから、南波ちゃんと待っててね。」
 そう言い置いて、さっさと階段を駆け登っていった。
 う〜ん、部屋に入ったとたんに、おちびさん達がクラッカーでも鳴らしそうな雰囲気だなぁ。あれ?今チラッと見えた人、にゃんちゃんに似てるな。
 2階の人影を追っていると、車を駐車場に入れた南波がやってきた。この間まで中学生だと思っていたら、いつの間にかスーツ着る年になったんだね。
 そのうちに南波か満瑠の結婚式に、出席することになるんだろうな。
 いつしか僕は、先日のにゃんちゃんの結婚式と、その後での二人っきりの結婚式を思い出していた。
「兄さん、佐藤さん来たよ。」
 南波がぼんやりとしていた僕の肩を揺すった。慌てて椅子から立ち上がる。
「あ、先輩。今日はどうもすみません。」
「こんにちは。南波です。」
「南波君、今日はご招待ありがとう。」
 大きくなったね、とか学校はどう?だとか、他愛ない話をしているうちに、2階から満瑠の呼ぶ声がした。
「南波ちゃん、馨お兄ちゃん。あ、佐藤先輩も。準備できたよ〜。」
「オッケ〜。」
 南波が返事をした。
「きっと、姉さんの所のおちびさん達が、待ちきれなくて走り回ってますよ。」
「う〜ん、体力もつかなぁ。」
 赤い絨毯の敷かれた階段を登っていく。碧玉の間と書かれた部屋の前で、南波がもったいぶったように待っていた。
「びっくりさせたいことが有るから、目隠しして入ってくれる?」
 南波が僕らに目隠しを渡してそう言った。
「もう、恥ずかしいことするなよ。」
「なんだか、怖いねぇ。」
 先輩が笑いながら、目隠しをした。そう言えば、昔はよく邪魔されたものね。
 ドアが開き、南波に手を引かれながら恐る恐る一歩を踏み出した。
「では、本日の主賓の入場です。」
 南波の誘導で部屋の中へと進んでいく。静か過ぎるのも怖いなぁ。と思わず苦笑いしてしまう。
「はい、ここで後ろ向いて。良いって言うまで、目隠し取らないでね。」
 止まるように指示され、180度後ろを向くように言われ、誘導していた南波の手が離れた。すぐに別の手が握らされた。あれ?先輩の手だ。
「目隠しとって良いよ。」
 満瑠の声がして、空いている方の手で目隠しを取った。
「えっ?」
 目の前には見知った兄弟の他に、何人かの知人の顔が有った。
 隣にいる先輩の顔を見上げると、先輩もびっくりしている。
 いきなり、クラッカーが鳴り響き、紙ふぶきが飛び散った。
「な、何?」
 状況が飲み込めなくて、立ちすくんでいる僕らの前に、にゃんちゃんと満瑠がやってきた。手には小さな花束を持っている。
「はい、馨お兄ちゃん。これ持って。」
 言われるがままに花束を受け取る。
「それではぁ、こほん。」
「これより佐藤慎二君と平沢馨君の、結婚式ならびに披露宴をとりおこないたいと思います。」
 厳かな声で宣言するのは、廣敷先輩?
「訳あって、入籍することはかなわないお二人では有りますが、ここに集まった皆様で二人の門出を祝おうでは有りませんか。」
「本職の坊主が取り仕切ってやるんだぞ。感謝しろよ。」
 廣敷先輩が神妙な顔で、こっそりと囁いた。
「君達はここにいる人々の前で、二人の前にいかなる障害が立ちはだかろうとも、これからの人生を共に過ごすことを誓いますか?」
「ほら、慎二。何とか言えよ。」
 廣敷先輩の目が悪戯そうに輝いている。
 一瞬の沈黙の後呼吸を整え、先輩が口を開いた。
「はい、生涯共に生きていくことを誓います。」
「馨。お前の番だ。」
「はい…、僕も…、僕も一生ついていきます!。」
 真っ赤になりながら宣誓した直後、回り中から拍手と共に『おめでとう』と言う言葉が浴びせられた。
 絶対人には言えない関係だと思ってた。自分の家族にも、先輩の家族にも、友達にも、一生隠していかなけりゃならない関係だと思ってた。
 祝福なんて無縁の関係だって思ってた。
 そう考えたら、ぶわあっと涙が出てきた。見上げた先輩の目も潤んでる。
 涙で回りがよく見えないよ。 
 なんて言ったら良いのか、声にならないよ。
 先輩がそっと肩を抱いた。そのぬくもりで、…涙が…止まらないよぉ…。
「二人だけの世界作ってんじゃないよ。」
 廣敷先輩が呆れたように言った。
「まあだ、仕上げが残ってるだろう?」
 えっ?まだ?仕上げって…。
「さっさと誓いのキスしろや。」
 えええええ〜!こんな大勢の前でぇ!
 じたばたとあせる僕の頬に、先輩の手があやすようにまわされて、
「馨、力抜いて。」
って言われて…。
 先輩の唇が僕のそれにそっと触れた。
「馨ちゃん、ちゅうしてる〜。」
「いや〜ん。馨さん可愛い〜。」
 再び拍手と共に、色々な声が飛び交った。
「おめでたい席で泣くなよ。」
 と言ってハンカチを差し出したのは、高校時代の親友だった。
「な、七海…。」
「えへへっ、幸せになれよ。」
「…うん、ぁ、ありが…と…。」
 ハンカチを受け取って、涙を拭く。
「では、この後、お二人の披露宴と言う名目で、宴会に移りましょう。」
「純君、お店の人に料理運んでって言ってきて。」
 満瑠が甥にそう言って参加者がテーブルへと戻った。
「うん。」と返事をして、純が走っていく。
 料理が運ばれ、グラスにビールとジュースが注がれ、乾杯の音頭は七海がとった。
「お二人の門出に乾杯!」
 披露宴と言うか気心知れた宴会は、子供は走り回るし、過去の恥ずかしい話で盛り上がって大笑いだしで、お店の人には迷惑だったんじゃないのかな、って感じで進んでいった。
 きっとこんな場を設けてくれたのは姉さんだなって思って、ビールを注ぎに回りながら、静香姉さんの所に行った時にそう言ったら、
「責任の一端は私だからねぇ。」
と、笑って答えた。
「先輩君に、こんな泣き虫は要らないって言われないように、しっかりするのよ。」
「うん。」
 僕はただただうなずいた。



 8月15日。僕らの結婚記念日。
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