おにいちゃんといっしょ
<そのはち>
ANNA様

 家の中はシーンとして、時折外を通る車の音以外は何も聞こえず、二人はひそひそと声を殺して話をしていた。
「馨お兄ちゃんどうしちゃったんだろう…。」
「お姉ちゃんも降りてこないよ…。」
「様子見てこようか…。」
「でも、お姉ちゃんが大人しくしててって言ったよ。」
「じゃ、南波ちゃん一人で待ったら?」
「…僕も行く。」
 静けさに耐えかねたのか、二人はそろそろと兄の部屋に向かい始めた。ジャングルの中を匍匐前進でもするかのように身体を低くして、這うように階段を一段、また一段と登って行く。
 どちらともなく階段の踊り場で、息を潜め2階の様子をうかがう…、かすかに泣き声が聞こえるような気がした。
「…泣いてる…。」
「…お兄ちゃん?」
 二人が2階への階段の最後の一歩を踏み出そうとした時、いきなり兄の部屋から姉が出て来た。
「とにかく、ご飯食べてから続きを聞くからね、いつまでもめそめそしないの!」
 くるっと振りかえった姉は、階段にはいつくばっている双子を見て、呆れたようなため息をつくと、地の底から響くような声で二人に話し掛けた。
「南波…、満瑠…。外食は中止。店屋物取るわよ。」
 やばい、お姉ちゃん機嫌が悪い…。
 二人は今までの経験から黙って肯くしかなかった。
 しおしおと階段を降りて居間に戻り、近所の来々軒から、出前の届くまでの時間の長かった事と言ったら…。
 気まずい雰囲気の中で夕食を終え、無言のままお茶を入れる。こう言う時に働きだすのはこの家の場合大概男性である。
「…お姉ちゃん…、馨お兄ちゃんどうしたの?」
 満瑠は南波から湯のみを受け取りながら、恐る恐る姉に尋ねた。
 南波も座って姉を見つめる。
 しょうがないと言った風情で、双子をかわるがわる見ると、姉は口を開いた。
「馨君はこの度、見事に失恋したそうです。終わり。」
「え〜!、それじゃわかんない。」
「ちゃんと教えてよ。」
 二人は不満そうに鼻を鳴らす。
「学校でね、好きになった人がいたんだけど、その人が他の子とキスしてるの見ちゃったんだって。」
「だから、当たって砕けろで告白してみたらって、いったんだけどね。」
 姉は呆れたような口調で言った。
「…好きだって言ったの?」
と、南波。
「う〜ん、それだけで済めばよかったんだけどねぇ。」
「勢い余って、押し倒しちゃったらしいのよね。」
「押し倒すって?」
 満瑠が聞き返すと、すかさず南波が答える。
「あっ、きっと無理矢理キスしちゃったんだ。それで叩かれちゃったんだね。」
「南波ちゃん、それって昨日のテレビと一緒。」
「叩かれたんなら、まだマシだったかもね。」
「嫌われちゃったの?」
「馨お兄ちゃんを嫌うなんて信じられない。」
「でも、同じ組だったら学校に行きたくないかも…。」
「そんな人、振っちゃった方が良かったんだよ。」
「うん、その方が良いと思う。」
 兄の学校が男子校で有る事など、頭にない二人であった。



 そのまま二人が、ひとしきり相手の事をこき下ろすのを聞いた後で、姉の口から出た言葉は、二人を別の意味でびっくりさせた。
「だからね、今はそっとしておいてあげましょう。」
 二人は一瞬聞き間違えたのかと思った。
「そっとしておく?」
 火に油を注いだり、傷口に塩を塗りこんだりして、相手をけちょんけちょんにするなら理解できる。
 現に言い寄るボーイフレンドを蹴り出す光景まで、見たことがあるのだ。
 目には目を、歯には歯と拳をと言う姉の主義に対して、今の発言はいったい…。
「…静香お姉ちゃん…」
「…お姉ちゃん?」
 醒めたお茶をすすりながら、姉がつぶやいた。
「今回の事は私にも責任の一端が有るからなぁ…。」
「ちょっとけしかけ方が悪かったみたいで…、ただの失恋じゃ済まなくなっちゃったみたいだし…、まぁ、男の子だから良いか…。」
 姉はなおもブツブツ言っていたが、それ以上詳しい事は聞き出す事が出来ず、かと言って兄の様子を見に行こうとしても、姉のひとにらみの前にはなす術もなく…。
 その夜の平沢家は、父母が帰ってきてからもしんと静まり返っていた。
...To be continue.