2度目の恋
【 第2話 】

「あんたも馬鹿よねぇ」
 さやは床に落としてあった僕のシャツのポケットからタバコを抜き取ると、もらうわよ、と仕草で断ってから口にくわえた。慣れた仕草でジッポで火をつけ、ふぅっ、と煙をはきだす。
「丁度いいじゃない。ちゃんと決着つけてらっしゃいよ」
 わけがわからない僕の額を、キレイにマニキュアを塗った指先でつん、とこづいて、
「失恋くらい、ちゃんと済ませておくものよ」
と僕の顔に向かってひとふき、軽く煙を吹きかけた。
「そんなの言えるわけないじゃないか」
 いつも自分が吸ってる煙なのに、おもわずむせながら反論するとさやはふふん、と鼻先でわらった。
「お互い男だから? じゃあ向こうが女だったら、ちゃんと言えるっていうの?」
「それは………」
「男でも女でも欲しいと思ったら、どうしようもないんだから、そんなことにこだわったってしかたないでしょ」
 普段はたのもしいくらいのさやの物言いも、今日はただ耳に痛い。
「あんたはその男を好きになっちゃって、どうやったってあきらめられないんだから、そしたらその先は、上手くいくかいかないか、そのどっちかしかないじゃない」
「……貴巳をなくしたくないんだ」
「嫌われるのが怖い?」
「うん」
 僕は素直に頷いた。さやも今度は笑わなかった。ヘッドボードにもたれて、物思いにふけるように静かに煙を吐きだした。
「さやは気持ち悪くないの? 僕が」
「なんで?」
「僕はさやが僕に触れるのとおなじように、貴巳に触れたがってる」
「ええ、そうね。あんたは私に触れたいとは思わなくても、その男には触れたいとおもってるわけよね」
「さや…」
 さやは…さやかは僕の一番近しい女友達だった。貴巳から逃げるためにいままでのしがらみから離れて、なにも無くなってしまった僕を拾い上げてくれたのがさやだった。ここに来てからできた男友達の誰よりもさやは僕の魂の近くにいた。でも、それは恋でも愛でもない。強いて言うなら、同じ種類の人間であるという安心感なのかもしれない。さやの他にも仲のいい女の子は何人かいた。でも僕は彼女達にたいして…もちろんさやもふくめて、同士以上の、たとえば焦がれるような情熱とかを感じることはついぞできなかった。どんなに仲良くなっても、わかりあえていても、決定的な何かが欠けていたまま、それ以上近しくなることはできずにいた。
「そんな顔しないの。自分から欲しがらなくたって、あんたは十分私に優しくしてくれてるわ」
 もちろんそれでも、お互いを暖めあうことくらいはいくらでもできた。たとえば、泣いて泣いて、空っぽになったさやを癒せるのが抱きしめる男の腕でしかないのなら、そのくらいの役に立つことぐらいなんでもないことだ。
「その男がたとえば女だったら、って考えたことある?」
 さやは横になったままの僕の髪を撫でながら、ちょっと淋しそうに微笑んでいた。僕は少し考えてから、頭を横にふった。いま僕が好きなのは男の貴巳で、もし貴巳が女だったら、僕達はこんなふうに近しい気持ちになることはなかっただろう。
 僕は自分にない部分をもった貴巳という男をなにより尊敬していたし、その気持ちこそが僕が貴巳にひきつけられてやまない情熱の糸口であることを知っていた。
「僕が女だったら、とは、よく言われたよ。だったら、即、彼女にするのにって」
 思いだすと、胸がいたくなる。もし僕が女だったら、貴巳は僕に恋しただろうか。
「確かに写真で見たカンジだと、高校生の頃はいまよりもずっと線が細かったものね。今度女装でもしてみる?」
 さやはくすくすと軽やかな笑い声をたてた。
「遠慮するよ。貴巳を好きなのと、だから女になりたいってうのとは全然別のことだもの」
「あら、残念」
 たいして残念でもなさそうに僕の頬に軽くキスを降らせてから、さやは手にしていた煙草をもみ消した。それからリモコンでベットの足元にあるオーディオのスイッチを入れると、絞った音量のバラードが流れてきた。さやの一番のお気に入りの曲だ。
「さやは貴巳にちょっと似てるよ」
「そう? どこが?」
 ぼくはむきだしになっているさやの胸に頭をあづけて、やわらかな女の人の匂いのなかに身を委ねた。
「なんでも、遠慮なく口に出すとことか…あったかいとこ」
「私、体温低いわよ。冷え性だもん」
「そういうことじゃないよ」
 くすくすとさやが笑うたびに、僕の頭もふわふわと揺れた。
 僕に触れるさやの手はいつも優しい。ときに、驚くぐらいの真摯さで縋りついてくることはあっても、その長い爪が僕を傷つけたりすることはない。
「さやみたいに強くなれたらいいのに」
 さやはいつも迷いがなかった。何人もの人を好きになって、いくども泣いた姿をみてきたけれど、好きになったのは私だからしかたないのよ。そういって、ひとしきり泣いて、またあたらしい恋に向かって飛びだしていく。
「強くなんかないわ。私は好きになることしかできないもの」
「そうやって言えるとこが強いんだよ」
「そう?」
「うん…さやのそういうとこ、好き」
 さやの胸に耳を押し当てると、鼓動の音に混じって奥から低く笑い声が響いてきた。
「ありがと。あんたの好きな人にも、そうやって言えるといいわね」
 まるで子供にするように、さやは胸に抱きとめた僕の髪を丁寧にかき上げてくれた。
「うん」
 僕は目を閉じて、さやの中の海に耳を傾けた。