2度目の恋
【 第4話 】

 約束の時間ちょうどに、待ち合わせの店に入った。
 もっと早い時間に駅にはついていたけど、待っているうちに逃げだしたくなりそうな気がして、ぎりぎりまで時間をつぶしてから店のドアをあけた。
 律義な貴巳のことだから、きっと先に来てるだろう。
 予想にたがわず、カウンターに近いテーブルで、貴巳が手を上げるのが見えた。
「よう! 久しぶりだなぁ。お前、全然変わんないじゃん」
「そういう貴巳こそ」
 返しながら、僕は貴巳の上に通り過ぎてしまった5年間の跡を探した。
 まだ少年っぽかったあごの線はかたく引き締まり、肩や腕のあたりに残っていた華奢さはすっかり姿をかくしていた。
 それでも、僕を魅きつけてやまなかった笑顔だけは、なにも変わってはいなかった。
 シャツの胸ポケットからとりだした煙草も、5年前に隠れて吸っていたあの頃と同じだった。
「あいかわらず、それ吸ってるんだね」
「ん? ああ、ケントな」
 貴巳は低くわらって、記憶にあるままの仕草で、それをくわえ、火をつけた。
 やや伏し目がちに煙を吸い込む横顔。
 懐かしさと愛しさがこみあげてきて、涙が出そうになる。
 それを隠すために、僕はいつになく冗舌に話しはじめた。
 つられるように、貴巳が言葉を紡ぎだす。友達と自分の近況、知り合いのうわさ話と、好きなサッカーについてのあれこれ、揶揄をふくんだ質問、そして、ちょっとだけ真面目な、理想といってさしつかえないような将来の話。
 それは5年前に僕たちがくり返した日常そのままだった。
 グラスを傾けながら話してるうちに、賑やかな店内で呼びだし音を聞き逃さないようにテーブルに置いた携帯が、着信をしらせて点灯した。
 誰だかしらないが、せっかくの時間を邪魔されるのはうれしくない。
 そのまま留守電に切り替わるのと待つつもりで、ちらり、と目線を走らせるとディスプレイに出たナンバーはさやのものだった。
(あれ?)
 さやには、今日貴巳と会うことは話してあった。
 いつもなら、こんな無粋なマネをするようなさやではない。なにか急用なのだろう。
 僕は貴巳に断りをいれて、席を外すことにした。
「貴巳、ちょっとごめん」
「なんだ、彼女か?」
「いや、友達が急用みたいだ」
 店の外に向かいながら、通話ボタンを押す。
「さや?」
「……悠人、ごめん…楽しんでるのに…………」
 どうやらさやも外にいるらしい。がやがやとした声にまぎれて、びっくりするくらいたよりない声で、さやは僕にあやまった。
「いいよ、心配しないで。……さや、もしかして泣いてるの?」
「……ううん、泣いてないよ。…ねえ、ずっとほっといてくれてかまわないから、今夜そっちに泊めて?」
 明らかに泣いているときの声だった。とぎれとぎれの声を聞き漏らさないよう、耳を澄ます。
「今日は遅くなると思うけど…それでもいい?」
「うん、いいよ。部屋のすみだけ貸してくれればいいから……今夜だけは自分の部屋に帰りたくないの…ごめんね、悠人」
 こらえきれずにしゃくりあげてる気配。年上の彼氏と喧嘩でもしたのかもしれない。
「気にしないでいいよ。さやの好きに使って。カギはいつもの場所にあるから」
「ん…ありがと…」
「ああ、そうそう。あんまり泣くとブスになるから、ほどほどにね」
 僕のつたない冗談に、さやは、やーね、ホントのことを、とかすれた声で笑ってくれた。
 この調子なら、大丈夫そうだ。
 ちゃんとカギをかけておくんだよ、と新婚のような言葉で電話を切って振り向くと、そこに貴巳がにやにや笑いで立っていた。
「貴巳!」
「やっぱり彼女じゃん。別に隠すことないだろ?」
「違うよ」
 慌てる僕をしり目に貴巳はすごく楽しそうだった。
「彼女が部屋に待ってるんじゃ、あんまり引き止められないなぁ」
「何言ってるんだよ。逆だよ」
 席に戻る途中で、水割りを追加オーダーして、なんとか貴巳の誤解を解こうと頭を絞った。
「女友達に部屋を明け渡しちゃったから、今夜は部屋に戻れないんだ」
 ちょっと嘘をつく。貴巳がどのへんから聞いていたのかわからないけれど、ここで帰ると言ったらますます誤解を深めるだけだ。
 ふと、僕の部屋でタオルケットを抱えてうずくまるさやの姿が浮かんだ。
 朝帰りでもいい、とはいってたけれど、多分隣に誰かいてほしいに決まってる。
 強がってるさやが、誰よりも人恋しい気持ちをもっているか、僕の部屋にくると決して離さないくたびれたタオルケットだけが知っている。ライナスの毛布のように、さやは優しい眠りを約束してくれるそのタオルケットを離さなかった。
 ごめんよ、さや。
 内心であやまりながら、僕は水割りを飲み込んだ。
 アルコールが喉の奥を焼きながら胃袋にすべりおちていく。その感覚がきもちいい。
「ほんとかぁ?」
 貴巳は僕の目を見透かすように、じぃっとのぞき込んだ。
 ポーカーフェイスが苦手な僕は、高校生の頃いつもこの目にひっかかって、隠しごとのひとつだって満足にできたことがなかった。
「ほ・ん・と」
 さやにさんざんからかわれて鍛えられたことに感謝しながら、僕は笑ってみせた。
「女友達はいっぱいいるけど、みんな僕を男だと思ってないみたいでね」
「どうだかなぁ」
 貴巳はくすくす笑いながら、残り少なくなっていたグラスをあけた。
「部屋に帰れないなら、じゃあウチに泊まるか? おまえ一人くらいなら寝るとこあるぞ」
 一瞬、めまいのように甘い酔いが、僕の体の奥を走った。
 逃げだすなら今だ。
 そう思ったけれど、僕はいつの間にかうなずいていた。