■ 美少年幽霊奇譚 第 2 章 やまね たかゆき様 翌朝――朝というにはやや遅い時刻。 「夕樹くんっ! 君、嘘ついたっしょっ?」 目を覚ますと、昨夜のことが夢でもなんでもなかった証拠に、夕樹くんはやっぱり隣にいた。幽霊にあるまじきことに、静かな寝息をたててさえいる。 つい、起こさないように気をつけてベッドから出て、ボリュームを抑えてテレビをつけて。 一分半後、私は前述の叫び声を上げていた。 夕樹くんはのろのろと身体を起こして、まだちゃんと開いていない目をこすっている。本当に、生きている人間と同じ行動。 「……なんだよ、気持ちよく寝てたのに」 「うるさい! これ、見なさいよ!」 私はテレビを指差した。 今朝はどこのチャンネルも、同じニュースをトップで流している。 中継カメラは、小学生から二十歳過ぎのOL風まで、大勢の女の子たちが東京都内の某病院の前に押し寄せている映像を送ってきていた。画面の下に、大きなテロップが流れている。 『Yu‐kiが交通事故! 意識不明の重体!!』 どこかで見たような顔、と思ったのも当然だ。 夕樹くんは、いま女の子の間で大人気の美少年アイドル『Yu‐ki』ではないか。 芸能界とかにはあまり興味のない私でも、名前と顔くらいは知っている。昨夜のうちに気づかなかったのは、まさかYu‐kiが幽霊になって札幌の街をうろついているなんて、夢にも思わなかったからだ。 そんなことより、問題はそこじゃない。 そう。 Yu‐kiは『意識不明の重体』なのだ。 だったら、ここでふわふわ漂っている半透明の夕樹くんは? 「夕樹くんって……幽霊じゃなくて、……生霊?」 つまらなそうにテレビを見ていた夕樹くんが、こちらを振り返る。口元に、からかうような笑みが浮かぶ。 「オレは一度も、自分が幽霊だなんて言ってないぜ?」 「……っ、だけどっ、否定もしなかったじゃない!」 もちろん、意図的に隠していたに違いない。 私をからかうつもりだったのか、自分の素性を隠したかったのか。 「こんなところで何やってるのよ? さっさと、自分の身体に帰ったら?」 「やだね」 欠伸をしながら応える。 「夏休みになってから仕事が忙しかったもんな。せっかくだから、しばらくここでゆっくりするさ」 「ちょっと……そんな!」 幽霊ならともかく、生霊ならさっさと厄介払いできると思ったのに。 「えっと……ほら、ファンの子たちも心配してるじゃない!」 もう一度、テレビの画面を指差す。病院の前に集まっているYu‐kiのファンは、数百人はいるだろうか。 これだけの人が、ううん、日本中ではこの何百倍、何千倍の人数が、Yu‐kiの容態を案じているに違いない。なのに当人は病院から何百キロも離れた場所で、呑気に欠伸などしているのだ。 「夕樹くん、君ねぇ……」 「……ったく、うるせーな」 「夕樹くんっ!」 「仕方ねーだろ、戻れないんだから」 「……え?」 二度、三度、私は目を瞬いた。 「そりゃあ、自分が置かれた状況に気づいた直後は、なんとか身体に戻ろうとしたさ。だけどすり抜けるばかりで、全然らちが明かないんだ」 「そんな……どうして?」 「そんなの知らねーよ。でも、誰もオレに気づかないし、せっかくの機会だから好き勝手にうろついてみようかな、って」 「そんな……」 どうしてこう、お気楽なのだろう。 もっと慌てふためいたり、不安になったりはしないのだろうか。 まったく、最近の若者の考えることはわからない……なんて、妙におばさんくさいことを思ってしまった。 「とゆーわけだから、当分はここにいさせてもらうよ」 「……結局、そうなるわけね」 私はがっくりと肩を落とした。 夕樹くんの正体がわかって、この異常な状況からも解放されると思ったのに。 結局、本人が帰る気にならなければどうにもならないのだ。Yu‐kiは生霊になってここにいます――プロダクションや病院にそんな電話をしても、頭のおかしなYu‐kiのファンと思われるのがオチだろう。 「うぅ……私ってば、不幸……」 このまま、ベッドに戻って寝てしまいたい。 だけど今日は、午後からバイトが入っている。ベッドの中で現実逃避というわけにはいかない。 仕方なく、簡単にシャワーを浴びて出かける支度をした。 私は、札幌市内のハンバーガーショップでアルバイトをしている。 今日はバイトの同僚もお客さんも、女の子の大半はYu‐kiの入院の話題で持ちきりだった。 中には、マジ泣きしていた子もいたくらいだ。自分の頭の上を、当のYu‐kiがふわふわ漂って笑っているとも知らずに。 私の勤務時間中、お店には大勢のお客さんが来たけれど、夕樹くんの姿が見える人は一人もいなかったようだった。世の中、強い霊感を持つ人って意外と少ないのかもしれない。それとも、霊感の強弱とは無関係なのだろうか。 そもそも私は夕樹くんと遇うまで幽霊も生霊も見たことがないし、その後も夕樹くん以外のものが見える気配はない。 相性とかの問題なのだろうか。その辺の事情はよくわからない。 バイトの帰りに立ち寄った本屋で、Yu‐kiの特集をしていた芸能雑誌を見つけたので、なんとなく買ってみた。ついでに、レンタルショップでCDも借りてくる。 やっぱり、相手のことを知っておいた方がいいだろう。私はYu‐kiの顔と名前くらいは知っていたが、それ以上の詳しいことはほとんどなにも知らないのだ。 部屋に戻って雑誌のページを繰った。 デビューは小学生の時、映画の子役だそうだ。その映画がヒットたことがきっかけで、夕樹くんも一躍人気者になったというわけだ。 今では映画の他、歌にドラマにバラエティにと大活躍。可愛らしさと格好よさが絶妙にブレンドされた顔や仕草がウケて、日本中の女の子たちのアイドルだ。 借りてきたCDも聴いてみる。 「へぇ……意外と、上手いじゃない」 私は正直な感想を漏らした。偏見かもしれないけれど、若いアイドルなんてもっと歌がヘタなものだと思っていた。 だけど夕樹くんは不機嫌そうだ。 「そんなの、聴くなよな」 そう言って、唇を尖らせている。 「どうして? いいじゃない」 「そんな下手くそな歌、聴きたくねーんだよ」 「下手くそって……自分の歌じゃない」 「自分の歌だって、下手なもんは下手なんだよ。よりによってデビュー曲なんか借りてきやがって」 「ははぁ、そういうこと」 ふてくされたような表情を作っているが、微妙に頬が赤い。 つまり夕樹くんは、「デビューしたばかりの子供にしては上手い」というレベルでは納得できないのだろう。もしかしたら、親が撮った子供時代のビデオを見せられるような恥ずかしさがあるのかもしれない。 「でもさ、昔の自分の歌が下手に思えるってことは、今はそれだけ上達したってことでしょ? いいことじゃない」 「……ちっ」 私がCDを止めるつもりがないと悟ると、夕樹くんは窓をすり抜けて外へ行ってしまった。 これはいい。 しばらく、この曲をリピートで流しっぱなしにしておこうと思った。 「……里子、てめぇ」 夕樹くんが目をつり上げているのを見て、私は笑いをこらえていた。 昨夜のCDが「夕樹くん撃退機」になったことに気をよくして、次の日のバイトの帰りに、今度はデビュー作の映画のビデオを借りてきたのだ。 効果てきめん、夕樹くんは顔をしかめている。 本人が嫌がるのを重々承知の上で、部屋に帰るとすぐにビデオを再生した。夕樹くんは出て行きはしなかったものの、映画が終わるまでは終始無言で、テレビに背を向けていた。 その映画は、北海道が舞台になっていた。 自閉症気味でずっと学校にも行っていない男の子(夕樹くん)が、自然に囲まれた北海道の牧場で夏休みを過ごし、いろいろな事件があって、少しずつ周囲に心を開いていくというあらすじ。 ありきたりといえばありきたりだけど、けっこう感動した。夕樹くんが背を向けていたため、ラストシーンで流した涙を見られずに済んだのが幸いだった。 「……ったく。そんな映画、長々と見やがって。里子もヒマ人だな」 ビデオの停止ボタンを押すと、ようやく夕樹くんは口を開いた。 「だいたい、なんで夏休み中の女子大生が、こんな時間から部屋でビデオなんか見てるんだ? 女子大生ったら普通、友達と飲みに行ったり、彼氏とデートとかしてんじゃねーの?」 「う、うるさいわね。それって偏見よ!」 どうせ、私は独り身だ。 デートする相手もいないし、大学の友達もそれほど多くはない。 私は、オホーツク海に面した田舎町の出身だった。高校を卒業するまでずっとその街で暮らして、大学から札幌に出てきた。 そのせいか、いまだに都会暮らしが肌に合わない。人が多くて慌ただしい都会のペースとは相容れないのだ。 もともと生来ののんびり屋で、読書とか、ひとり静かに過ごすのが好きだ。お洒落して夜の街で遊ぶのが似合う人たちとは、性格的にも合わない。 それに彼氏なんて……。 「なんだ、彼氏もいねーんだ?」 夕樹くんが馬鹿にしたように言う。 「ひょっとして、里子ってバージン?」 「ち、違うわよっ!」 私は真っ赤になって、反射的に叫んでいた。 まったく、中学生のくせになにを言い出すのだろう。これだから都会の子は、変にすれていて困る。 「い、田舎の高校生だって、それくらいは経験してるんだから。彼氏だって、今はいないっていうだけよ!」 あまり追求されると困るので、今度は私の方から質問することにした。 「そういえば、やっぱり芸能界って、そーゆーの……すごいの?」 「聞きたい?」 ニヤリ、と意味ありげな笑み。私は慌てて首を振った。 「あっ、やっぱりいい! 言わなくていい」 芸能界の、ドロドロとした裏話なんて聞きたくない。万が一、お気に入りの俳優についてのよくない噂なんて聞かされたら困る。一般庶民としては、やっぱりそれなりの幻想を抱いていたいのだ。 「○○プロダクションの女社長なんか、オレに色目使うんだぜ。テメーの歳考えろってな。息子よりも年下相手に。定規で測れるような厚化粧しやがって、気持ち悪りぃっつーの!」 「だから、聞きたくないってば!」 私は両手で耳を塞いで大声を上げた。 夕樹くんとの出会い以来、生活のペースは彼に乱されっぱなしだった。 Yu‐kiのファンであれば、夢のような生活なのかもしれない。だけど私は別にアイドルに興味はないし、たとえ本体がアイドルだろうと美少年だろうと、幽霊やら生霊やらにまとわりつかれるなんて願い下げだ。 なのに夕樹くんってば、 「ここはいいな。のんびりしてて」 なんて言って、すっかり居着いてしまっている。出ていく気配はまるでない。 まったく、私みたいに地味な女の子につきまとって、いったい何が楽しいのだろう。 今では一人になれる場所といえば、お手洗いと浴室だけだ。ずうずうしい夕樹くんも、さすがにそこまではついてこない。 だからここ数日、入浴時間が長くなっていた。最近は暑いので簡単にシャワーで済ますことが多かったのだけれど、今では一人静かに過ごせる貴重な時間だ。 同じく一人になれる場所でも、お手洗いに長時間こもるのはあまり楽しくない。 ぬるいお湯を満たした狭い浴槽に身体を浸して、夕樹くんのことを考える。 本当に、いつまでここにいるつもりなのだろう。 本体は相変わらず、意識不明のままらしい。本人が戻ろうとしないのだから当然だ。 ニュースやワイドショーでYu‐kiの名前を聞く回数も減ってきている。今の時代、新しいニュースはいくらでもあるのだ。 お風呂から上がると、夕樹くんは私のパソコンの前にいた。 生霊などというオカルトな存在が、ハイテク機器を使っている光景というのも不思議なものだが、彼は先日、霊体であってもちょっとした電気信号なら操れるということを発見したのだ。 パソコンも、テレビやビデオも、機械式の主電源さえ入れておけば、夕樹くんは操作できる。私が話し相手になってやらない時は、パソコンで遊んでいることが多いようだ。 熱心になにをしてるのだろう……と、冷えた烏龍茶を飲みながらモニターを覗き込んだ私は、次の瞬間、口の中の液体を思いっきり吹き出しそうになった。 「ゆ、ゆ、夕樹くん! 君、なにを見てるのよ!」 「ん? ちょっとした小説を……ね」 にやっと笑って、夕樹くんがこちらを見る。 私は慌ててマウスを掴んで、そのワープロソフトを終了させようとした。なのに、カーソルが動かない。フリーズしたのかと思ったが、ワープロの画面はスクロールを続けている。 「ダメだって。まだ読んでる途中なんだから」 どうやら夕樹くんが、マウスからの信号を遮断しているらしい。 「や、やめてよ! 見ないでっ!」 私は金切り声で叫んだ。 だって、夕樹くんが読んでいるのは、私が書いた小説なのだ。パソコンのフォルダの中を漁っていて見つけたのだろう。 小さい頃から読書が好きだった私は、いつしか自分でも文章を書くようになっていた。高校では文芸部だったし、今はサークルとかには所属していないけれど、書くことだけは続けている。 だけど。 こうして目の前で自分の作品を人に読まれるのって、やっぱり恥ずかしい。こればっかりは慣れることはできない。 「アマチュアにしちゃけっこう上手いじゃん。面白いよ」 私が嫌がっているのを見て、夕樹くんは可笑しそうに言う。 「なんなら、朗読でもしてやろーか?」 「や、やめて――っ!」 私は両手で耳を押さえたが、それはまったく無意味な行動だった。夕樹くんの声は、普通に鼓膜を震わせて聞こえるのではない。私の頭の中に、直接伝わってくるのだ。 先日のCDやビデオの仕返しのつもりだろうか。恥ずかしさに身悶えしている私を見ながら、夕樹くんは原稿用紙十枚分くらいを朗読してくれた。 さすがに俳優というべきか、朗読もなかなか上手だ。実際のお芝居のように、感情込めて台詞を読んでいる。それだけに私としては余計に恥ずかしくて、耳を押さえて床の上をごろごろと転がっていた。 |