■ 美少年幽霊奇譚 第 4 章
やまね たかゆき様


「なあ、まだ怒ってんのか?」
 何度も繰り返される夕樹くんの言葉を、私はずっと無視し続けていた。温泉でも、帰りの車の中も、アパートに戻ってからも。
 お風呂を覗かれてしまったことを、そんな簡単に許していいはずがない。
 いや、あれは覗くなんて可愛いものじゃなかった。私以外には姿を見られないのをいいことに、夕樹くんは女湯の中で堂々とくつろいでいたのだから。
 実は、私に声をかける前から中にいたのだという。
 身体を洗っているところも、ミストサウナでくつろいでいたところも、全部見られていたというわけだ。
 私は、怒っているふりをしていた。
 怒っているというよりも、本音は恥ずかしかったのだ。
 相手は中学生とはいえ、六つも年下とはいえ、色気づき始めている男の子。それも、とびっきりの美形。
 そんな相手に、一糸まとわぬ姿をたっぷりと見られてしまったのだ。
 考えただけで、顔が熱くなってしまう。
 アパートに帰り着くと、遅めの夕食を軽く済ませてさっさとベッドに入った。その間、夕樹くんとはひと言も口をきいていない。
「ちょっと裸見たくらいで、そんなに怒るなよ。いいじゃんか、減るもんじゃなし」
 例によって、ベッドの上にふわふわと浮かんだ夕樹くんが言う。私は、がばっと起き上がった。
「……彼氏以外の男に裸を見られて、怒らない女の子がいると思ってるのっ?」
「あ、やっと口きいてくれた」
 夕樹くんが笑う。馬耳東風、私の怒声など耳に入っていないらしい。
「あのねぇ、私は怒ってンのよ?」
「……悪かったって。でも、アレだよ。里子の裸ってキレイだよ。見せないのはもったいないって」
「な……」
 頬が熱くなる。
「な、なに見え透いたお世辞言ってるの! 少しは反省しなさい!」
「いや、ホント、スタイルいいよ。その辺のモデルにも負けてないって。オレが言うんだから間違いない」
「……知らない!」
 タオルケットにくるまって、ぷいっと横を向いた。
 真っ赤になった顔を隠すために。
 年下だけど、子供だけど。それでもやっぱり女の子たちが憧れる美少年。真顔で「キレイな裸だ」なんて、恥ずかしすぎる。
 ちょっぴり、嬉しかったりする。
 男の子にそんなことを言われたのは、初めてかもしれない。前の彼に言われたことがあったかどうか、思い出せない。高校生の頃、胸は今よりもずいぶん小さかった。
 これまで、自分のスタイルが男の子の目にどう映るかなんて、深く考えたことはなかった。
「ホント、すごくスタイルいいって」
 目の前にいきなり、夕樹くんの顔が現われる。横になった私の顔の前、ほんの数センチのところに。
 びっくりして後ろに下がろうとしたけれど、身体が硬直して動かなかった。
「里子の裸、ちゃんと見たのは初めてだったけど、すごくキレイだった。だから……」
 夕樹くんの表情が、微妙に変化する。
「だから、もっと見たい。見せてよ」
「な、なに言ってるの」
 起き上がろうとする。だけど、動けなかった。
 身体が動かない。金縛りにあったように。
 金縛り……? まさか。
「夕樹……くん?」
 夕樹くんは私を組み伏せるような体勢になった、真っ直ぐにこちらを見つめている。
 澄んだ少年の瞳。だけどその奥に、『男』の欲望を感じる。
「オレ……里子のこと、好きだ。だから見せてよ」
「や……だ、め……」
 言葉とは裏腹に、手が動いていた。
 ぎこちない動きの指が、パジャマのボタンをひとつずつ外していく。
 私がしていることではない。自分の意志では手足はまったく動かない。
 手だけが、勝手に動いている。
「ゆぅ……き、くん……」
 夕樹くんが操っているのだ。私の身体を。
 パソコンやビデオを操作していた姿を思い出す。微弱な電気信号なら、霊体の彼でも操れる。だったら、人間の神経だって同じことだ。
「……やだ! やめてっ!」
 ボタンを外し終わった手が、パジャマの前をはだける。胸からお腹までが、露わになってしまう。
 夕樹くんが目を細めて笑みを浮かべる。
「やっぱり大きいな。Dカップくらい? それともE? それに、形もキレイだ」
「あ……だめ……」
 手を伸ばしてくる。仰向けになっていてもなお盛り上がっているふくらみに。
 指が、触れる。
「……っ!」
 触感があった。かすかな暖かみを感じる。
 実際に手で触れられるほどの強い刺激ではない。温かい息を吹きかけられたような、微妙な感覚だ。
「や……あ……やだ、やめて……」
 そんな、私の声は無視される。
 夕樹くんの手が、乳房を揉むように動く。
 やっぱり、かすかな刺激が伝わってくる。
 むず痒いような曖昧な触感。だけどそれは幻覚ではなく、確かに存在している。
 夕樹くんの動きが、そのまま神経に伝わってくる。
「……んっ!」
 ちくりと刺すような、かすかな痛みを感じた。夕樹くんが指先で、乳首を摘んでいる。そのまま、ころころと転がすように動かす。
 もう一方の手は、乳房全体をパン生地のようにこね回している。
「や……あ、ん……やめ、て……お願い」
 もちろん、いくら言ってもやめてはくれない。
 それどころか、両手で胸を弄びながら、谷間に顔を埋めてきた。
 唇を押しつけ、舌を伸ばす。
 軽く、噛む。
 実際に触れられるよりはずっと微弱な刺激。それでも少しずつ、私の身体は熱くなってきていた。
「は……ぁ、ねぇ……夕樹くん、お願い……もう、やめ……」
 これ以上されたら、取り返しのつかないことになりそうだった。
 今ならまだ、ちょっとした悪戯ということで済ませられる。
 だけど夕樹くんは、最初から冗談で済ませる気などなかったのだ。
「下も、見たいな」
 仔猫のような笑顔で言う。
「……っ!」
 それはいけない。胸だけならまだしも、それはもう冗談では済まされない領域だ。
「ね、脱いでよ」
「い、や……ダ……メ」
 この場において、私の意志は無関係だった。
 また、手が勝手に動き出す。
 パジャマのズボンの、ウェストのゴムに手をかける。
「いや……イヤ……やめて、ダメ……」
 腰が浮く。
 膝を曲げて、脚を上げて。
 パジャマは簡単に脱げてしまう。
「あ……ぁ……だめ……」
 ベッドの上に仰向けになったまま、パジャマの前をはだけて、下はショーツ一枚。
 顔が熱い。こんな姿を男の子の目にさらすのは一年半ぶりだ。
 痛いほどに夕樹くんの視線を感じる。じっと、全身を舐め回すように見つめている。
「脚の形もキレイだ。やっぱりスタイルいいよ。すごく、キレイだ」
「や……、やぁぁっ!」
 夕樹くんの手が太股に触れる。顔もその後を追ってくる。
 手のひらで太腿を撫でて、顔を擦りつけて。
 ちゃんと感触が伝わってくる。むしろ胸を愛撫されていた時よりも、はっきりとした感覚があった。
 私の身体が敏感になったのだろうか。それとも夕樹くんが、私の神経を上手に刺激するコツを掴んできたのかもしれない。
「あ……あっ、……ぁあっ!」
 夕樹くんの顔が、だんだん上に移動してくる。ショーツに顔が押しつけられる。
 いけない。このままでは本当にいけない。
 身体の芯が、火照ってきている。薄布で隠されている女の子の部分は、もう、熱い蜜で潤んでいる。
 言うまでもなく、私は経験豊富な方ではない。男性経験といえば、高三の時に付き合っていた彼ひとりだけだ。
 ちょうど二年前の夏休みに初体験して、彼と別れたのが冬。肉体関係を持っていたのは、ほんの数ヶ月間のこと。
 それでも一応、セックスが気持ちいいと思えるようになるくらいの回数は、彼と身体を重ねていた。
 一度快感を知ってしまった女の子の常として、彼と別れた後も自慰はたまにしている。独り暮らしを始めてからは、少し回数が増えたような気もする。
 もちろん、夕樹くんが居着いてからはそんなことはしていない。だから、あからさまな言い方をすれば、今の私はいわゆる「溜まっている」状態で、普段よりも感じやすくなっていたのだと思う。自分で直に触れるのよりもずっと繊細な刺激であるにもかかわらず、私の『女』の部分は熱く濡れていた。
「あ、んっ……やぁ……だ、あぁんっ!」
 どんなに堪えようとしても、声が漏れてしまう。それは徐々に、鼻にかかったように甘く、艶っぽい声に変化していく。
 こんな声、出したくない。
 感じていることを夕樹くんに知られてしまったら、本当に取り返しのつかないことになってしまう。もう、歯止めが効かなくなってしまう。
 だけど、どうにも我慢できないのだ。二年分成熟した女の身体は、未熟な高校時代よりもずっと素直に、異性の愛撫に反応してしまう。
「……全部、見せてよ」
 顔を上げた夕樹くんが、反応を窺うように私の顔を覗き込んで言った。力なく首を左右に振ったけれど、手は、意志とは無関係に動きはじめた。
「だ……めっ! それはっ……やっ、お願い、いやっ! ……やだっ、やだぁっ!」
 私はぶんぶんと首を振った。思い通りに動かせるのは、首から上だけだ。
 手も、腰も、脚も。みんな私を裏切って、小さな布を簡単に脱ぎ捨ててしまう。
 それどころか……
「やっ……やだっ、やだっ、やめてっ! だめっ! お願いっ、だめっ!」
 脚が、左右に開いていく。股関節が動く限界まで、いっぱいに。
 女の子の一番恥ずかしい部分を、まともにさらけ出してしまう。
 私は、ベッドの上で大の字にされていた。
「いやぁ……やだよ、こんなの……。ばかっ……夕樹のバカぁっ!」
「へぇ、女の子のって、こんな風になってるんだ。写真やビデオじゃなくて、本物を見るのって初めてだ。なんか感動するなぁ」
 脚の間に屈み込んで、夕樹くんはまじまじと観察している。これが生身であれば、息がかかるほどの至近距離だ。
 恥ずかしい。
 恥ずかしい。
 彼とのセックスだって、そこをまともに見られるのは恥ずかしいのに、こんなの……。
「なんか流れ出してる。これ、濡れてるの?」
「……ばかっ! 知らない!」
 もう泣きたい。
 いや。涙はとっくに溢れだして、シーツを濡らしている。
「里子って毛深い方だね。こうして裸になると、普段よりもずっとエッチな身体してるや」
「あっ……」
 夕樹くんの指が、ヘアに触れる。手ぐしで髪を梳くように。
 その指は、茂みの奥へと滑っていく。
「ここは、ビデオで見たのよりずっとキレイだな。やっぱり、AV女優とかより経験少ないから?」
「や……だってば……あっ、あんっ!」
 指が、触れた。
 割れ目をなぞるように、前後に動く。
「あっ、やっ……やんっ、だ……やぁっ! ……は、ぁん、や、め……てぇ」
「可愛い声だね。可愛くて、そしてエッチだ。ビデオなんかよりずっといいよ。もっと聞きたい。もっと、エッチな声聞かせて」
「あぁっ、あぁんっ!」
 指の動きが加速していく。濡れた粘膜が絡みつく。
 別な指もそこに加わって、クリトリスを刺激する。
「やっ、あっ……あっ! あぁっ、あんっ、あんっ、あぁんっ! やぁ……やめ……やっ、あぁぁんっ!」
 実際に触られているわけじゃないのに、くちゅくちゅと湿った音がする。
 脚をいっぱいに開かされているため、膣口から愛液が溢れてお尻の方まで流れてくる。
 神経が受ける刺激は、初めの頃よりもずっとはっきりとしたものになっていた。自分で触るのよりも、何倍も気持ちいい。
「やっ……やぁぁっ! あぁんっ……だめっ、だめぇっ! あっはぁぁっ……あんんっ……あんっ、あぁんっ!」
「すごいすごい。里子ってば、すごい感じてる。ね、そんなに気持ちいいの?」
「やぁ……いやぁ、あんっ……んんっ!」
 新しいおもちゃに夢中になっている子供みたいに、夕樹くんは一心不乱に私の秘所を弄んでいる。
 気が遠くなりそうな快感。
 意識が真っ白になりかけたところで、不意に愛撫が止まる。
「ねぇ、そろそろいい?」
「……え、え?」
 ぼんやりとした頭で、目を開ける。夕樹くんの顔が目の前にあった。
「オレ、里子とエッチしたい」
「――っ!」
 いつの間にか、夕樹くんの姿も全裸になっていた。
 昔の彼よりもすらりとした、まだ少年らしい身体。それでも股間では、男性の象徴が大きく反り返っている。
「……だ……め。それは……ダメよ、夕樹くん……」
 いけない。
 こんなの、いけない。
 相手は恋人でもなんでもなくて。
 六歳も年下の中学生で。
 人気アイドルなんていう、私とは縁のない世界の人間で。
 しかも今の彼は、実体を持たない生霊で。
 つまりこれは、異常すぎるシチュエーションだ。
 そもそも今の状況は、私が望んだものではない。
 夕樹くんが無理やり、私の動きを封じて陵辱している。言ってみればレイプも同然だ。
 なのに。
 強く、逆らえなかった。
 どうしてだろう。
 相手が実体じゃないから?
 格好いい美少年だから?
 一緒に暮らして、気を許した相手だから?
 恐怖心とか嫌悪感とかは、まるで感じない。
 ただ、それなりに真面目な生活を送ってきた私としては、恋人でもない相手とセックスするのには抵抗があった。
 それに一応は常識人のつもりであるから、生霊なんかとセックスするというのも問題がある。
 そもそも普通の女の子としては、合意の上ではないセックスなんてしたくはない。
 やっぱり、許しちゃいけない。
 少なくとも、今夜は。
「ね……だめ……やめて、お願い……」
「やだ」
 夕樹くんの身体が、私の上に重なってくる。
「オレ、里子とエッチしたい」
「だめ……そんなの……ダメ」
「里子ってば、オレのこと子供扱いしてるだろ? 早く大人になりたいんだ。オレを大人にしてよ」
「大人とか子供って、そーゆー意味じゃない……ダメ、よ……ねぇ?」
 私の声から、だんだん力が失われていく。
 結局、最後の一線を越えることについて、私の口からは一度も「いや」という言葉が発せられることはなかった。
 正直に胸の内を明かせば「いや」ではなかった。
 積極的にして欲しいと望んでいたわけではない。だけど、嫌じゃない。
 だから「ダメ」としか言えなかった。
 その言葉が夕樹くんを止める役には立たないことも、わかっていた。
「あ……」
 夕樹くんの身体が重なってくる。
 びくっ!
 私の身体が震える。
「あ……ダメ、あぁ……だめ……だ、め……あ、あ……あぁぁぁっ!」
 挿入。
 夕樹くんが、中に入ってくる。
 二人の下腹部が、ぴったりと密着する。
 それは、不思議な感覚だった。
 相手は実体ではない。
 だから、上に重なる男性の身体の重みがない。
 相手の体温がない。
 本来の結合にあるべき、異物に膣を押し拡げられる挿入感がない。
 なのに、硬い男性器で膣壁を擦られる感覚だけは、普通のセックスよりもむしろ強いくらいに感じていた。
「あぁぁっ、あぁぁっ、だめぇ……だめぇっ! あぁんっ、あんっ、あんっ!」
 夕樹くんが、腰を激しく前後している。下半身を深々と貫かれて、奥に打ちつけられる。
 物理的な接触はなにもないのに、濡れた粘膜が激しく摩擦されることで生まれる快感だけは、剥き出しの神経に直に伝わってきた。
 休むことなく押し寄せてくる快感の波。
 そのリズムに合わせて、収縮を繰り返す膣。熱い蜜を、止めどもなく溢れさせている。
 両手で乳房を鷲掴みにして、抽送を繰り返す夕樹くん。身体が破裂してしまいそうなほどの快感を、私の中に注ぎ込んでくる。
「あぁっ! ひぃっ、いいっ! あぁっ、だっ……めぇ……ぁ……ぁ……」
 気が遠くなる。
 頭の中が真っ白になる。
 気持ちいい。
 苦しい。
 だけど、気持ちいい。
 息もできないほどに、気持ちがいい。
 こんなの、したくないのに。
 無理やり犯されてる……のに。
 だけど相手はとても格好いい男の子で。
 女の子の憧れの的で。
「は……ぁ……、……っ! あっ……ぁっ! あぁぁ……、……っ!」
 肺の中が空っぽになって、最後は声も出せなかった。
 息も絶え絶えの状態で、私はかつてない絶頂を迎えていた。






「あ……ふぅ、ん」
 頭の中にかかった靄が、少しずつ晴れてくる。
 肺はまだ酸素を貪っていて、汗ばんだ乳房が大きく上下に揺れている。
 お尻の下のシーツが、ひんやりと冷たく濡れていた。その液体がなんであるかに気がついて、また頬が熱くなった。
 いつの間にか、手足は自分の意志で動かせるようになっていた。だけど今は、全然力が入らない。
 それでもなんとか、のろのろと身体を起こす。
 夕樹くんはベッドの上十センチくらいのところに、座った姿勢で浮かんでいた。
 だけど、どうしてだろう。
 なんとなく、不機嫌そうな表情だ。
「……夕樹、くん?」
「なーんか、物足りねーな。期待はずれっつーか」
「な……な、なんですってぇっ?」
 あまりの暴言に、朦朧としていた意識が一瞬ではっきりした。頭に大量の血が昇ってくる。
「ふ、ふざけるんじゃないわよ! 無理やりあんなことしておいて、物足りない? 期待はずれ? 悪かったわねっ! あんた、何様のつもりよっ!」
 どっと、涙が溢れてきた。
 こんなの、あんまりだ。
 自分の身体に過剰な自信を持ったことなんかないけれど、こんなひどい侮辱は初めてだ。
 傍にあった枕を掴んで、力いっぱい投げつける。それは夕樹くんの身体をすり抜けて、背後の壁にぶつかった。
「な、なに怒ってるんだ?」
 夕樹くんが慌てた様子で目を見開く。
「当たり前でしょ! 誰だって怒るわよっ!」
「な……なんだよ。最初ちょっと強引にしたことか? だけど、里子だって気持ちよさそうにしてたじゃないか」
「そんなことじゃない! 今の台詞っ!」
 枕はもう投げてしまったので、パジャマの上下とショーツを、ひとつずつ丸めて投げつけた。そんなことをしてもなんの役にも立たないけれど、そうせずにはいられなかった。
「なによっ! どうせ私の身体なんて、期待はずれで物足りないわよっ! だったら、巨乳グラビアアイドルとでもエッチすればいいじゃない!」
「え……?」
 一瞬、夕樹くんは呆けたような表情を見せた。
「あ……そのこと? それ違うっ! 誤解っ! 早合点っ! 里子の身体は最高っ! ホントだって!」
 ばたばたと、身体の前で両手を振る。
「問題は、オレの方なの! つまり、実体がないから、せっかくの初エッチなのにあんまり気持ちよくなくって。生身の時のつもりでいたから、拍子抜けというか、期待はずれというか……」
「え……?」
 他に投げるものはないかと捜していた私は、そこで手を止めた。夕樹くんの手が、頬に触れてくる。
「ほら、やっぱり感覚って、肉体に付随するものなんだよな。こうして里子に触れても、ほとんどなにも感じないんだ。先刻は興奮してたから、そのことを忘れて生身の時のつもりで……だから、物足りないって」
「……ホントに?」
「里子にはなんにも問題なし! すっげーエッチで、エロエロで、可愛かった。その辺のAV女優なんて比べものにならないくらい!」
「そ、そんなのと比べられたって、嬉しくなんかない。バカ!」
 私はぷいっと後ろを向いた。
 これは照れ隠し。自分の勘違いに気づいて、恥ずかしくて顔を合わせられなかった。
「……里子」
 背後から、夕樹くんの声がする。
「オレ、帰る」
「え?」
 突然の言葉に、慌てて振り返る。
 普段から半分透けている夕樹くんの身体は、今はさらに薄くなっていた。
「ゆ、ゆ、夕樹くん! ど、どうして急に? だって、帰れるの?」
「帰れるよ、もちろん」
 見ている間に、夕樹くんの姿が薄れていく。
「だって、最初に会った時……」
 戻ろうとしても、戻れないって。
 そう言ったはずだ。
「ああ。あれ、ウソ」
「う、嘘って……」
「そう言わないと、里子オレのこと追い出しただろ? いつだって戻れたんだ。オレがその気になりさえすれば」
「そ、そんな……」
「今まで、その気にならなかっただけさ。じゃあな、里子」
「ちょ……待ってよ! 夕樹くん!」
 あまりに唐突な展開にうろたえている私の前で、夕樹くんは消えていった。
「今度は絶対、生身でエッチしよーな」
 そんな最後の台詞は、姿は見えなくて声だけがかすかに耳に届いた。
 後に残されたのは、全裸の私と、乱れたベッドと、床に転がった枕とパジャマとショーツ。
 私は呆然と、夕樹くんがいた空間を見つめていた。
「……な……んで、急に……?」
 ちゃんとお別れも言わないまま、唐突に。
 勝手に居着いて、無理やりエッチして、さっさと帰っちゃうなんて。
 こんなの、いくらなんでも突然すぎる。
 ベッドの上で膝立ちのまま呆けていると、なにかが内腿を滴り落ちるような気がした。
 手で、それを拭い取る。
 膣から流れ出たそれは、液体のような、柔らかなババロアのような、不思議な物体だった。思いのほか量が多くて、私の手をべっとりと白く汚している。
 それがなんであるかは、すぐにわかった。
「……なにが、気持ちよくない、よ……ちゃんとイってるんじゃない……中で出したりして……ばかぁ」
 本物の精液と違って、匂いもなにもない。きっと、妊娠の心配もないだろう。
「……ばか」
 手の中で淡雪のように消えていくそれを、そっと口に含む。
 雪のような、綿菓子のような、不思議な舌触りだった。