■ 美少年幽霊奇譚 第 5 章 やまね たかゆき様 翌朝のテレビのトップニュースは、見るまでもなかった。 『意識不明のYu‐ki、奇跡の目覚め!』 そんなテロップが画面いっぱいに映し出されている。 笑ってインタビューに答えている夕樹くんはすっかり元気そうだった。もともと頭を強く打って意識不明だったこと以外に、大きな外傷はなかったらしい。 ブラウン管の中の夕樹くんは、ひどく遠い存在に思えた。 ううん。 あれは、夕樹くんじゃない。 あそこにいるのは、アイドルの『Yu‐ki』だ。 私はすぐにテレビを消した。バイト先に体調が悪くて休むと電話を入れて、そのままベッドにもぐり込んだ。 朝食も食べずに眠って、夕方目覚めた時には枕が濡れていた。 翌日からは一応普通の生活に戻ったけれど、気分はどん底まで落ち込んだままだった。 どうして、こんなに落ち込むのだろう。 いつも狭さに不満を感じていたアパートの部屋が、どうしてこんなにがらんと広く感じるのだろう。 夕樹くんと一緒にいたのは、ほんの半月くらいのこと。 向こうはもともと、私なんかとは別世界の人間。元の、平凡な日常に戻っただけではないか。 もちろん、その理由はわかっている。 それがわからないほど子供ではない。 だけど、考えないようにしていた。 考えれば、悲しくなるだけだから。 そう言い聞かせても、考えずにいられない。 ……好き、だった。 夕樹くんのことが、好きになっていた。 一緒にいることが、楽しかった。 六つも年下で、自分勝手で、ちょっとエッチで。 だけど……好きだった。 当然だ。相手は、あのYu‐kiなのだ。 顔がいいとか、歌が上手いとか、プロダクションがお金を遣っているとか。本物のスターは、それだけでは生まれない。本物は、人を惹きつける「なにか」を持っている。 夕樹くんは本物だ。半月も一緒にいたら、好きになってしまうに決まっている。 好きになっちゃ、いけない相手なのに。 違う世界の人間なのに。 時間が、忘れさせてくれると思っていた。 だけど、実際にはその逆だった。 二日、三日、そして一週間。 だんだん、寂しくなる。どんどん、会いたくなる。 見るまいと思っても、Yu‐kiの出る番組をチェックしてしまう。 やり場のない想い。 切なくて切なくて、胸が張り裂けそうになる。 だから―― バイトから帰ってきて、私の部屋の前に座っている男の子の姿を見た時は、ついに幻覚を見るほどになってしまったのかと思った。 「遅い。待ちくたびれたぞ、里子」 唇を尖らせて、その幻覚が立ち上がる。声も、はっきりと聞こえた。 私は、その場に立ちつくしていた。 「なにぼんやりしてンだよ? さっさと鍵開けてくれよ。ずっと外で待ってたんだから。北海道って、夏でも夜になると寒いんだなー」 夕樹くんは私の手から鍵を取り上げて、勝手に部屋の扉を開けた。私がまだ呆然としているのを見て、腕を掴んで強引に中に引っ張り込んだ。 「な……んで?」 「なんでってことはないだろ。里子に会いに来たんだよ。まだ身体が本調子じゃないからって嘘ついて、オフにしてもらって」 掴まれた手首が熱い。 しっかりとした感触がある。 幻覚じゃない。霊体じゃない。 「本……物?」 本物の、生身の夕樹くんだった。 「本物だよ。だから、こんなこともできる」 「きゃっ」 玄関で靴も脱がないまま、力いっぱい抱きしめられた。 私を掴まえている力強い腕。体温。身体にかかる重み。 全部、本物だ。 「やっぱり、身体があるっていいなー。里子の身体って、柔らかくて暖かくて、いい匂いがする」 夕樹くんは私の胸に顔をうずめて言った。Tシャツの生地を通して、熱い息がかかる。 「ちょっ……夕樹、くん……」 息が苦しい。 力いっぱい抱きしめられて、心臓は破裂しそうなほどに激しく脈打って。 「会いたかったんだ」 夕樹くんが顔を上げる。私の顔に、近づいてくる。 私よりも少しだけ身長が高いんだって、今初めて気がついた。 「里子、愛してる」 耳元でささやかれた。 一瞬で、全身の血液が沸騰してしまいそうになった。 「だから、エッチしよう?」 「……え?」 「言ったじゃん。身体がないと気持ちよくないから、今度は生身でエッチしようって。夏休みが終わらないうちにって、強引に休みを取って来たんだからな」 「夕樹くん……ってば……」 涙が溢れそうだった。 もちろん、悲しいんじゃなくて。 こうして抱きしめられて甘い言葉をささやかれたら、そのまま夕樹くんの腕の中で泣き出してしまいそうだった。 だから、顔を見られないようにうつむいた。 「……かったら」 泣きそうになるのをこらえて、なんとか声を絞り出す。 「え? なんだって?」 「……エッチしたかったら……そこのコンビニで避妊具買ってきなさいよ! この前みたいに中で出したりしたら許さないからねっ!」 私は一気に叫ぶと、強引に夕樹くんを引き離して回れ右させて、そのお尻を蹴飛ばした。 夕樹くんは慌てた様子で、そのまま駆け出していく。 おかげで、真っ赤になって涙でぐしゃぐしゃの顔を見られずに済んだ。 こんな不細工な顔、夕樹くんには見られたくはない。 『里子、愛してる』 ちょっと気取った声が、いつまでも耳の中で反響していた。 反則だ。 あの顔で、あの声で、あんなこと言うなんて。 どんな女の子だって、とろけてしまう。六歳年上の私だってイチコロだ。 ……愛してる、だって。 ああ、もう! いつまでも浸っている場合じゃない。 一番近いコンビニまで、片道徒歩三分。きっと初めての買い物だろうから、コンビニで二分。合計八分。 いやいや。あの勢いだったら、きっと五分とかからずに帰ってくる。 その前にさっとシャワーを浴びて、下着を替えて。ついでにちょっとでもお化粧する時間はあるだろうか。 私はばたばたとバスルームに駆け込んで、着ているものを脱ぎ捨てた。 ……別に、ね。 そんな簡単に、させてあげるつもりじゃない。 夕樹くんのことは、嫌いじゃない。 ……はっきり言って、好きだけれど。 泣きたいくらいに、好きだけれど。 それでもやっぱり、まだ恋人でもなんでもない男の子に、簡単に身体を許すほど軽い女ではないつもりだ。 男女のお付き合いには、それなりの順序ってものがある。いきなり「エッチしよう」なんて言われても、私はそんな女じゃない。 第一、夕樹くんはどこまで本気なんだろう。戻ってきたら、まずそれを問いつめなきゃいけない。いくら相手が、抱かれたことを友達に自慢できるような人気アイドルだからって、弄ばれるのはごめんだ。 だけど……。 もう一度あの顔で「愛してる」なんてささやかれたら、きっと簡単に許してしまうような気がする。 ……ううん、やっぱりダメ。 一度じゃダメ。 せっかくだもの、十回くらいは言って欲しい……かな? <おわり>
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