■ レインタクト 第12幕<2>
水瀬 拓未様


 放課後を待って、真奈美は美夜に自分の疑問を尋ねた。
 美夜は最初こそ戸惑ったものの、ことが芹菜についてなのだと知って、自分に分かる範囲ならと頷いた。

 芹菜さんに恋人はいるの?
 いまは、いないと思います。
 芹菜さんとの関係は?
 少し遠い親戚、でしょうか。
 芹菜さんのこと、好き?
 はい、とても。

 真奈美の疑問は簡潔で、美夜の答えもまた、明解だった。
 話すうち、真奈美も芹菜のことが好きなんだという気持ちが伝わってきて、美夜は自然と笑みを浮かべていた。
 咲紀や真奈美や――――たくさんの人に好かれている芹菜。
 人を好きになることより好かれることのほうが難しいのに、あの人は、こんなにも人から想われている。
 そんな芹菜に大切にされ、愛されていた美優は、どれほど幸せだったのだろう。
「……一緒に帰りますか?」
 あまり話したことのない級友を下校の路へと誘う言葉遣いは、少し丁寧過ぎたけれど、真奈美は嬉しそうに頷いた。

 実はご近所さんであることが発覚し、他の友達と帰るよりも長い時間、美夜と真奈美は影を並べて歩いた。
 世の中は、話してみなければ分からないことが多い。
 目と目で気持ちが通じ合うこともあるけれど、気持ちを言葉に変えることが出来るからこそ、人は人と解り合える。
 だから、言葉を交わすのは楽しい。
「そうだったんだ……」
 帰り道、美夜の語る芹菜との関係を聞きながら真奈美が漠然と考えたのは、もし突然自分がいなくなったら兄はどう思うだろう、ということだった。
 それから、ふと思い出して尋ねてみる。
「ね? 芹菜さんの回りに……こういう人、いない?」
 身振り手振りを少し交えて、特徴を伝えると、
「咲紀さん、です。きっと」
 真奈美の説明する人物が誰であるか、美夜はすぐに分かった。
「その人と芹菜さんがどういう関係か……知ってる?」
「関係って……」
 友達という言葉をあえて使わないことで、真奈美は自らの質問に他意があること示した。
 美夜はそれを理解した上で、
「親友、だと思います。……それから、たぶん、私たちからすると、ライバル……になるのかも」
 昨日、一緒に下校した時の事を思い出した美夜は、微笑みながら頭を撫でてくれた咲紀の言葉を、そのまま真奈美に伝えた。
「そっかぁ……」
 ほんの少し拗ねるようにうつむいた真奈美は、
「……なんで、同じ人を好きになるんだろうね」
 はぁ、と溜め息を吐き出しながら呟いた。
「素敵な人だから、じゃないですか? 好きになった人が、それだけ魅力をもっている裏返し、です」
「ぅわ、なんて大人な……」
 真奈美が思わず呟いた直後、二人は顔を見合わせて笑った。
「真奈美さんは、どうやって芹菜さんと知り合いに?」
「あたし?」
 帰路を歩む足と同じように、二人の話は止まらない。
「あたしが知り合った切っ掛けは……」
 そう言った真奈美は、結花に誘われて寮へ行き、そこで芹菜と出会い、翌日、バレッタを預かるまでの経緯を打ち明けた。
 そこにはほんの少しだけ、芹菜と肌を重ねたことを自慢したい気持ちが混ざっていたかもしれない。
「そう、そんなことが……」
 けれど、真奈美の話を聞きながら美夜が考えていたのは、芹菜のことではなく、結花のことだった。
 あの寂しそうな目が、どうしても気になって仕方ない。
 唇を奪われたことに対しての驚きやショックよりも、今はただ、去り際に見てしまった表情の理由が知りたかった。
「……並木先輩って、どんな人でした?」
「え? どんな、って……」
 思いがけない美夜の質問に、ええと、と真奈美が考え込む。
「……噂通り、だった……かな。でも、どうして?」
「少し、気になることがあって」
 問い返されて、美夜は言葉を濁す。
 結花とキスをした――された――ことを話すのに抵抗があるわけじゃなく、真奈美を誤解させることなく、自分の抱いている感情を伝えられる自信がなかった。
 そこで少し会話は途切れて、
「……難しい、っていうか……大変だね、人を好きになるって」
 不意に呟いた真奈美の言葉に、美夜は頷いた。
「美夜ちゃんは、今まで誰か好きになったこと、ある?」
「……はじめて、かもしれません」
 小学生の頃、友達との会話で好きな人がいるかどうか、話題になることはわりとあった。けれど、そのとき自分がなんて答えたのかは、よく覚えていない。
 そんな曖昧なものを初恋とは呼べない。
 呼びたくない。
「真奈美さんは?」
 なんとなく聞き返すと、
「……あたし、妹なんだ」
 真奈美の呟いた妹という言葉に、美夜がびくっと反応する。
「妹、って……」
「あ、違う違う。あたしが、妹なの」
 自分をじっと見て呟いた美夜に、誤解させるような言い回しだったと気がついて、真奈美が慌てて首を振った。
「兄がいるの。少し、歳が離れてて……あたしにとってはもっとも身近で、もっとも理想的な異性だった。好きだったし、好かれてたと思う。でも、兄さんのことを考えるより、芹菜さんを想うほうが……ずっとずっと、切なくて苦しい」
 家族という、兄妹という関係が与えてくれた安心感。
 血という、分かつことの出来ない繋がり。その上に成り立っていた優越感を、はたして恋に分類してもいいのかどうか。
 芹菜に出会って、気付いたことがたくさんある。
「兄さんと禁断の……とか、まったく考えなかったわけじゃないけど、ね。でも……どうやったって、あたしを女として扱ってくれないことは、分かってたから」
 誰よりも一緒に居たから、可能性がないことも知っていた。
「……芹菜さんに触れられたとき、一瞬だけど、兄さんのことを思い出したの。なんでだろうってずっと不思議だったけど……美夜ちゃんの話を聞いて、そうだったんだ、って思った」
 正直、真奈美は美優が羨ましいと思った。
 けれど、美優と出会い、そして別れたからこそ今の芹菜があり、真奈美はそんな芹菜に恋い焦がれた。
 自分は美優になれないし、なることもできない。
「……ね? 美夜ちゃん」
 難しく考えることはやめよう、と真奈美は思い直した。好きだという気持ちがこの胸にある限り、自分に素直でいたい。
 焦る必要はない。
 だって、芹菜と知り合ってから数日しか経ってない。
 これからもっと、きっと、いろんなことがある。
「もしまた、芹菜さんたちとお昼を一緒に食べる機会があったら、そのときは誘ってくれる?」
「もちろん。芹菜さんも咲紀さんも、きっと喜びます」
 真奈美に頷きながら、美夜は思う。
 その席に結花も誘うことができたら、どんなに素敵だろう。
「ご飯を食べるなら、大勢のほうが楽しいですから」
 自分や真奈美はもちろん、咲紀や芹菜が結花と並んで食事をする姿を思い描きながら、美夜は微笑んだ。