■ レインタクト 第14幕<2>
水瀬 拓未様


「結花さんを最初に見たとき、私はまだ……子供でした。今でもそんなに変わらないですけど、今よりもっと、子供だった」
 結花との関係を聞かれて、自分は妹だと唯が告げたとき、芹菜が見せた複雑な表情の理由。
 それが、今の唯になら分かる。
 芹菜にとって唯一の存在、特別な関係。
 それを何よりも示す言葉が、妹なのだと。
「……好きな人とどんな関係を望むのか、それは人それぞれだと思うんです。好きでいて欲しい気持ちと、嫌われたくない気持ちは、似ているようで、違うものだから」
 今夜、唯が聞いてしまった芹菜の告白は、おそらく今まで誰にも話したことがないだろう、芹菜にとっての秘匿に違いない。
 だから、気持ちには気持ちで応えたいと、唯は思った。
 別に頼んで語ってもらったわけじゃないのだし、そうするいわれはなにひとつない。
 ただ黙って聞いて、眠っていれば良かったのかもしれない。
 でも、そんなことはもう、出来そうになかった。
「はじまらなければ終わらない。私は、そう思っていたんです」
 少女が何よりも恐れたのは終局だった。
 片思いのままでいる限り、気持ちを誰かに悟られない限り、それを否定する存在がいない限り――――それは、永遠なんだと。
「でも、私は告白してしまった」
 心がグラスで、想いが水ならば、あのとき、自分の想いはすでに溢れていたのだろう。
 誰にも知られることの無かった、知らせることの無かった想いは、自分でも信じられないほど一気に弾けてしまった。
「廊下で抱きしめて、キスをしたんです。あの時は本当に、結花さんの事以外……考えられなかった」
 拙かった告白は、けして素直に受け入れられたわけじゃない。
 結花はきっと拒みたかった。
 事実、いろいろな言葉で断ろうとしていた。
 その心に踏み込んだ自分は身勝手だったと思う。
 でも、そんな自分を、結花は最後には許容してくれた。
「だから、あの人の側にいたいんです。いつでもじゃなくていいから……いつまでも、側にいたいんです」
 自分に恋をする結花を、唯は今でもうまく想像できない。
 あの声で耳元に優しく囁かれるたび、嬉しくて、寂しかった。
「私が妹になりたいと言ったとき、結花さんは最初、冗談だと思ったみたいです。でも、すぐに頷いてくれたし……なにより、理由を聞かないでくれた」
 妹がいいのかと問い返されて、嘘の理由を答えた後、結花がそれを問いただすことはなかった。
 本当は自分の真意に気付いていたんじゃないかとも考えたけれど、その答えは結花の心の中にしかないし、知る必要もない。
 結花は、妹でいたいと想う自分を受け入れてくれた。
 それだけで唯は幸せだったのだから。
「……芹菜さん」
 今夜、初めて名前を呼んだ。
 呼んでみたかった。
「私は美優さんも美夜さんも知りません。だから、二人がどれだけ似ているかもわかりません。……でも、ただ似ているという理由で好きになれるほど、人の気持ちは簡単じゃないと思います」
 自分がこんなことを言っていいものか分からない。
 でも、言わなければ伝わらない事を、彼女は知っていた。
「美優さんがどんなふうに思い、感じるか。それを確かめる術がないのだとしたら、胸を張っていればいいと思います。……何かあったとき、それを美優さんのせいにしないように」
「美優の、せいに……?」
 小さな声で問い返した芹菜に、唯は頷く。
「芹菜さんが苦しいのは、それだけ美優さんを好きだったからで、それはとても素敵なことだと……そう、思うんです。でも、その気持ちのせいで芹菜さんが自分自身を嫌うことを、美優さんは望んでいないはずだから」
 誰かを想う気持ちは、大きくなるほど、嬉しく、つらい。
「私が結花さんを好きなのも、妹になりたいと望んだのも、私がそう思っていたからで……けして、誰かに頼まれたり、誰かに決められたわけじゃないんです」
 気持ちがまったく後ろを向かなかった、と言えば嘘になる。
 でも、最後には前を向いて決めたという自負はあった。
「……聞いても、いい?」
 ずっと黙って唯の話を聞いていた芹菜が口を開く。
「結花に好きな人が出来たら……唯ちゃんは、つらくない?」
「そのときになってみないと分からない……って言ったら、ズルいですか?」
 大丈夫と答えることは出来たし、その自信もあったけれど、唯の口は自然とそう聞き返していた。
 質問を質問で返された芹菜は、小さく首を振る。
「……その時になって、初めて分かることもあるから」
 美優を失ったときもそうだったし、咲紀から告白されたときもそうだったし、結花の頬を叩いた時もそうだった。
 想像すら及ばない現実は、そうなってみないと分からない。
「もし、つらかったら……その時は、先輩が慰めてくださいね」
 唯がくすくすと笑ったので、芹菜もつられて微笑んだ。
「今夜は唯ちゃんと話せて良かった。……うん、良かった」
 噛みしめるように二度、同じ言葉を呟きながら頷く。
「また話したくなったら、いつでも来てください。今度はもっとちゃんと、おもてなしをしますから」
 冗談とも本気とも取れる曖昧な口調で唯が呟くと、
「ありがと。今度くることがあれば、その時は外が明るいうちにお邪魔するから」
 芹菜はそう言って、瞼を閉じた。

 夜更け、いつのまにか寝入っていた唯は、自分の肩にこつん、と何かが触れる感触で目が覚めた。
 見ればそれは、芹菜の手のひらだった。
「……みゆ……ぅ」
 どこか猫の鳴き声に聞こえなくもない、本当に小さな呟きが聞こえて、唯はやや躊躇ってから、
「先輩……?」
 そっと呼びかけてみる。
 けれど、少し待ってみても反応はなく――――それが寝言だったのだと気付いた。
 暗闇の中で目をこらして芹菜の表情を見つめてみるが、うなされているような様子はない。
 むしろその寝顔に、唯は知らず知らず目を細めた。
 どんな人であろうと寝ているときは無防備で、そんな姿を会ったばかりの自分に見せてくれた芹菜。
「……」
 小さく息を吐いた後、芹菜の手を包み込むように握る。
 手のひらの温度はあまり変わらなかったけれど、そこには確かにぬくもりがあって、触れた瞬間、ほんのわずか芹菜が笑んだような気がして、唯も思わず笑んでしまった。
 今頃、結花は里奈と何をしているのだろうかと――――正直、眠る前はそればかりを考えてしまうかもしれないと不安だった唯にとって、芹菜の寝顔がこんなにも自分をほっとさせてくれるだなんて、思ってもみなかった。
「……おやすみなさい、芹菜さん」
 手を握ったまま、瞼を閉じ、唯は眠りへと落ちていく。
 今夜という時間に感謝しながら。