■ レインタクト 第16幕<1>
水瀬 拓未様


 朝、校門で芹菜を見かけた咲紀は、声をかけるために駆け寄ろうとして、足を止めた。
 芹菜の隣を並んで歩く人物。
 それは思いがけない組み合わせだった。
「……」
 驚いたときの表現として、声も出ない、なんて言うけれど、本当なんだな、なんて他人事のように自分の状態を認識する。
「並木結花……」
 無論、咲紀も彼女の全てを知っているわけではないし、まして、そのどこまでが本当かも分からない。
 結花について咲紀が知っている事実といえば、彼女が寮生であり、芹菜のルームメイトであることぐらいだ。
 そう、だから――ルームメイトなのだから――別に、一緒に登校することぐらい、珍しい事ではないのだけれど、
「初めて、だよね……」
 声に出してしまったのは、それを誰かに否定してほしかったから、かもしれない。
 芹菜が結花と一緒に登校するなんてこと、この一年で一度もなかったはずだ。
 少なくとも咲紀は見た事がない。
「誰? あの子」
 咲紀のすぐ側で、別の女生徒の呟く声が聞こえた。
 思わず振り返ると、二人組の女生徒が、並んで歩く芹菜と結花を訝しそうに眺めていた。
 結花の知名度は学園全体でも五指に入るだろう。
 だが、芹菜は取り立てて有名というわけでもない。
 そんな二人が、ともすれば友人以上では、なんて勘ぐりたくなる雰囲気で登校してきたのだから、そんな発言も当然だ。
 実際、何人もの生徒が二人のことを見ていた。
 話題の人物にまつわる噂で盛り上がるのが好きな女生徒は、この学園にだって何人もいる。
 咲紀自身も、そういう類の話が嫌いだ、とは言い切れない。
「……」
 胸のざわつきを抑え込むように、ぎゅっと手を握った。
 芹菜と結花が一緒に登校するに至った経緯は分からない。
 この場合、一緒に登校したということはもとより、その理由が不透明であることこそが厄介だ。
 噂は、憶測や推量を食べて成長していく。
 たった一度、一緒に歩いていただけなのに、数日後にはあることないこと騒ぎ立てられていてもおかしくはない。
 急に現れた美夜に驚異と畏怖を覚えたばかりなのに、次は並木結花だなんて、神様はよほど意地悪なのかもしれない。
「……でも、私は私だって、決めたばかりだもんね」
 だれかと張り合うために彼女を好きになったわけじゃない。
 立ち止まり、半ば呪文のようにその言葉を繰り返す。
 気付けば、芹菜の姿も結花の姿も見えなくなっていた。

 結花に付き添うと本当に狐の気分を味わうことになるんだなと、芹菜は妙なところで感心していた。
 もっとも、化かされたような気持ちを味わったのは、他でもない自分なのだけれど。
「あんな例えが出てくるのも無理ないのかな……」
 席が埋まり始めた朝の教室を眺めつつ、そんなふうに独りごちてしまうのも、今朝の事を思い出せば仕方のない事だろう。
 結花と共に校内を歩くことで向けられた視線は数知れず、これ見よがしの内緒話をする生徒も少なくなかった。
 有名人気分を味わった、といえば聞こえだけは良くなるだろうが、居心地はけして良いものじゃない。
「有名税、って言葉は聞くけど……」
 見せ物っていったほうがしっくりくるな、と思う。
 実のところ、並木結花が有名である、という話は芹菜にとってあまり実感の湧かないものだった。
 確かに下級生には人気があるのかもしれないが、あのルックスならそれも当然かな、なんて漠然と思っていた。
 けれど、それも昨日までだ。百聞は一見にしかず、体感した視線はなによりも結花の知名度を証明していた。
 本人は涼しそうな顔をして登校していたが、あんな状況に慣れっこになれる自信、芹菜にはない。
 人の視線があんなに怖いものだとは知らなかった。
 そして結花は、そんな環境に自らをずっと置いてきたのだ。
「……みんな、知らない顔があるんだな……」
 図書館で、自分のことを好きだと言った咲紀。
 昨日の夜、ありがとうと呟いた里奈。
 そして、素直じゃないと笑った結花。
 そのどれも、ついこの間まで芹菜が知らなかった一面だ。
 自分の中にも、そんな顔があるのだろうか――――そんなことを考えようとした時、
「おはよー」
「あ、おはよ」
 教室に入ってきた咲紀が、まっすぐに自分の所へやってきた。
「今日さ、並木さんと登校してなかった?」
「あー……うん」
 一瞬迷ったけれど、ごまかすようなことでもない。
「見てた?」
 芹菜が聞き返すと、咲紀は溜め息をついた。
「注目されてたんだから」
「それは、知ってる」
 向けられていた視線が多すぎて分からなかったけれど、あの中に咲紀もいたんだ、なんて、他人事のように納得する。
「今朝、向こうから誘われてね」
「……え? 並木さんが? 芹菜を誘ったの?」
「そう」
 驚いた咲紀を見て、目が点になるという表現を思いついた人は偉いなぁ、なんて事を思ってしまう。
「同じ寮生同士だし、同室だから」
「そりゃ、そうだけど……」
 それならこの一年に似たような事があってもいいはずだ、という言葉を、咲紀は飲み込んだ。
「……ね? なんか、あった?」
「まぁ……色々と」
 言葉を濁したのは、話せない、からじゃなく、芹菜自身、どう伝えて良いものか分からなかったからだ。
 呟いた芹菜の表情に曇りはなく、
「……そっか」
 だからこそ咲紀は、それ以上追求しなかった。
 心の中がどうしようもなくちらかっていて、他人に見せたくない時だってあるのだし、それなら、少し待てばいい。
「そういや今日はお昼、どうする?」
 自分でも露骨かな、と思いつつ、咲紀は話題を変えた。
「え? あ、うんと……購買でパンでも買おうかな、って」
 言われるまで昼食のことなんてすっかり忘れていた芹菜は、少し思案してから、無難な答えに行き着く。
「ご一緒しても?」
「あ、今日は……ちょっと」
 なんとなく一人で食べたい気分だったので断ると、
「了解」
 咲紀は落胆する素振りも見せず、そこで会話は終わった。
 言葉を交わすリズムが、ほんの少しだけぎこちない気がする。
 その原因が自分にあると分かるだけに、芹菜は歯がゆかった。
「……ね、咲紀」
「ん?」
 自分の席に向かおうとする咲紀に声をかけた芹菜は、きょとんと振り向いた親友に向かって、
「ありがと」
 自分の気持ちとして、感謝の言葉を伝えた。