■ レインタクト 第16幕<2> 水瀬 拓未様 昼を過ぎ、今日も賑わいを見せているカフェテリアの一角で、芹菜と数名の少女たちが会話を交わしていた。 「あの、すみませんでした」 「いいのいいの。気にしないで」 ぺこぺこと頭を下げる中等部の生徒に対し、芹菜はどこか困った表情で手をぱたぱたと振っている。 「それじゃ、失礼します」 そう言い残し、小走りに去っていく後輩たちを眺めつつ、芹菜は何とも言えぬ表情で息を吐いた。 声をかけられた理由は、今朝の咲紀と同じものだ。 「……さすが結花先輩、ね」 思わず漏れた芹菜の呟きに、皮肉は込められていない。 どこからどうやって情報が伝わったのか、昼食を済ませてカフェテリアでくつろいでいたら、代わる代わる中等部の生徒たちがやってきて、結花との関係について聞かれた。 寮では同室、今朝は時間があったから一緒に登校したのだと伝えると、ほとんどの生徒は恥ずかしそうに顔を赤くして、さっきのように謝っては去っていく。 いまの女の子たちで四組目。人数に違いはあれど、全てグループでやってきては、代表の子が質問してくる形だった。 カフェテリアは学園の中でも数少ない中高ともに利用できる区画なので、話し掛けやすいのだろう。 芹菜にとって救いだったのは、声を掛けてくる少女たちに切羽詰まったものが感じられなかったことだ。 どちらかといえば、偶然見かけた有名人にサインをください、と頼むような雰囲気に近い。 立て続けにやってきた中等部の子たちによる嵐もようやく過ぎ去って、すっかりぬるくなった缶紅茶に手を伸ばす。 と、にわかにカフェテリアの空気が変わった。 なんだろう、と視線を巡らせるよりも早く、 「芹菜」 背後から掛けられたその声に苦笑する。 振り返らなくても誰なのか分かってしまうのは、手品でも超能力でもなく、その声音を知っていたからだ。 「今日はやけに人気者ね」 周囲のひそひそ声など気にも掛けず、彼女はそう言うと芹菜の隣の椅子を引いた。 長い黒髪がさらっと揺れるたび、独特の香りがする。 「あのね、結花。誰のせいだと――――」 ひょうひょうとした物言いに、文句のひとつでも言ってやろうと、そこでようやく結花を視界に収めた芹菜は、 「……あの、こんにちは」 振り向いた瞬間、別の人物を見つけて固まってしまった。 「美夜……ちゃん」 思いがけない組み合わせに、呆然と呟く。 「さ、どうぞ」 椅子を引いた結花は、その席を美夜に勧める。 「すみません、ありがとうございます」 結花に対して軽く頭を下げた美夜は、そのまま腰掛けた。 「話し掛けられずに困っていたようだから、お連れしたの」 ふふっと笑った結花が、他意はないわよ、と付け足す。 「お邪魔になるといけないから、私はこれで。今朝のこと、中等部の子たちには私からも説明しておくから」 そう言い残してテーブルを離れた結花を、顔見知りなのか、中等部の女子が数名、さっと取り巻いた。 それに対して結花は嫌な顔ひとつせず、その子たちを引き連れる格好で、カフェテリアを後にする。 「……本当、人気があるんですね」 「みたいね」 芹菜も美夜も、後輩に囲まれている結花を目の当たりにする――意識して眺める――のは初めてだったから、その姿が消えるまで、なんとなく目で追いかけてしまった。 振る舞いからして、結花のそれは絵になる。 そういった光景を目にした下級生が、連鎖的に結花に憧れを抱いたとしてもおかしな話じゃないな、と思えるほどに。 「芹菜さん。……並木先輩と、なにかあったんですか?」 少しのやりとりとはいえ、さきほどの芹菜と結花の間に険悪なものがなかったことは、美夜の目にも明らかだ。 二日前の夕方に起きた一件の鮮烈さを思えば、頬を叩いた側と叩かれた側が、あんな雰囲気で会話するとは思えない。 「まあ、その……あった、というか、ある、というか……」 自分の過去をまだ伝えていない手前、結花とはもうひと波乱ありそうな気がして、芹菜は答えを濁した。 妹を愛していた、なんて結花に言ったら、彼女がどんな反応をするのか、想像もつかない。 「和解……ううん、仲直り……とも違うのかな。でも、もうぎくしゃくはしてないから」 どうしても結花と自分の関係に当てはまる言葉が見つけられず、芹菜は首を捻りながら美夜に告げる。 キスの件に関しては美夜も当事者なのだし、心配してくれたのは明らかなので、その点に関してはきちんと説明したかった。 「……で? あたしのことはともかく、ご用はなに?」 わざわざ結花に連れてきてもらったほどだ、さぞ火急の用件なのだろうと美夜を促せば、 「その、急ぎ、というわけではないのですけど……」 そんな前置きをしてから、美夜は本題を切り出した。 昨日、真奈美と下校したとき、芹菜たちと一緒に昼食を食べられたらいいのに、という話をした事についてである。 「予定や都合もありますから……早めに伝えたほうが、いいかなと思って」 もちろん、芹菜に異論はない。 「咲紀にはあたしから話しておくね」 料理を作るのが好きな親友がこの誘いを断るとは思えないし、会食は来週にでも実現することだろう。 「それと、芹菜さんのことを義母に伝えました」 「あっ……う、ん」 すっかり忘れていた――それとも、知らず意識しないようにしていたのか――事が話題に出て、芹菜は息を呑んだ。 目の前の少女と自分が、実は赤の他人ではなかったことを今更ながら思い出し、急にそわそわとしてしまう。 「義母は、芹菜さんさえよければ遊びに来て欲しい、と。ただ、いきなりの事で戸惑っているだろうし、気持ちの整理がついてからでかまわない、との事でした」 「……そう」 頷きながら、芹菜はまだ名前しか知らぬ人物――美優と美夜の叔母であるという白石砂織――について、思いを巡らせた。 「ええと、その……砂織さんがどんな人か、聞いてもいい?」 名前で呼び表したのは、美夜が義母、という言葉を使っていたからだ。 お母さんとは呼ばない理由に、なにか立ち入ってはいけないことがあるかもしれないと、無意識に避けた。 「厳しいけど、優しい人ですよ」 「あの……仲は、いいの?」 失礼な質問と知りつつ、いずれ会うことになるのなら確かめておいた方がいいはずだ、と聞いてみる。 「はい。もちろん、怒られることもありますけど……理由もなく叱られたことはありません」 美夜はそう言って、にこっと笑う。 自慢するでもなく、かといって謙遜するでもなく、砂織を心から敬愛していることが一目で分かる笑顔だった。 それだけで、俄然、白石砂織という人に会いたくなる。 自分には知らない事がたくさんある。 いや、知らされなかった、というべきだろうか。 美優に双子の姉がいたことはもちろん、そんな美優と実は親戚だったこと、母親に弟がいたこと。 葬式の記憶をひっくり返してみたけれど、白石という名前があったかどうかなんて、あの状況で覚えているはずもなかった。 父親がそれらの事情全てを知らなかった、とは考えにくい。 あえて言わなかった、と想像したほうがしっくりくるけれど、そうなると理由が分からなかった。 それらの疑問に、砂織は答えをくれるのだろうか。 「近いうちにお招きにあずかります、って伝えていてくれないかな。……必ず、行きますからって」 「はい」 話に区切りがついて辺りを見回せば、昼休み終わり間際のカフェテリアはすっかり静かになっていた。 「すみません、こんなギリギリまで……」 「いいのいいの」 ぬるい紅茶で少し渇いていた咽を潤すと、芹菜は空になった缶をゴミ入れに片付けた。 「それじゃ、またね」 「はい」 美夜と手を振り合って別れ、芹菜は自分の教室へ向かう。 真奈美と肌を重ね、咲紀から告白され、美夜という少女と出会い、唯から言葉をもらった。 どれかひとつとっても、美優を想い続ける自分を見つめ直す切っ掛けとしては充分なものだろう。 それでも、どうしても――――美優以外の誰かに、好きだと、そう言える自分がうまく思い描けなかった。 それなのに、日増しに体は熱を帯びて、夜な夜な疼く。 抗おうとすればするほど、考えは乱れてしまう。 「……結花なら、なんて言うかな」 教室に戻る途中で芹菜が脳裏に思い浮かべたのは、黒髪のルームメイトだった。 自分の全てを話した時、彼女はどんな感想を抱くのだろう。 |