■ レインタクト 第16幕<3>
水瀬 拓未様


「寂しいなら、相手をしてもかまわないけど?」
 芹菜から話を聞き終えた結花は、真顔のままそう言った。
 夕食を終えた寮の部屋で、どこからどこまでを話したものか悩んだ芹菜は、結局、子供の頃の話から切り出した。
 美優の話を聞いても、美夜の話を聞いても、結花は表情を崩すことなく――まるで音楽でも聴くように――瞼を閉じたまま、最後まで口を挟まなかった。
 相づちなく進める話はかえって独り言のようで恥ずかしく、すべてを話し終えた芹菜が大きく息を吐いた直後、
「寂しいなら、相手をしてもかまわないけど?」
 結花の呟いた台詞がそのようなものだったから、あっけにとられることしばし、芹菜がその言葉の意味するところをうまく飲み込めないでいると、
「冗談だと思ってるんでしょう? でも、本気よ?」
 固まったままの芹菜を見つめて、結花は笑った。
 悪戯っぽい笑みは呟いた台詞とはまるで真逆で、冗談めかしたその笑顔に、ようやく芹菜の金縛りが解ける。
「……人の話、聞いてた?」
 絞り出した返答は、照れ隠し半分、呆れ半分だ。
「もちろん。その上で言ってるんだけど」
「……」
 こちらがようやく打ち返した言葉を、結花は余裕綽々、涼しい顔できわどい場所に叩き込んでくる。
 昨夜、唯と話したときは暗い部屋で二人並んで横になっていたこともあって、言葉は自然と出てくれた。
 勢いが手伝ってくれた、という部分もあるのだろう。
 だが、昨夜と今では状況が違う。
 明かりをつけた部屋で結花と向き合い、自分の過去を話すというのは、芹菜にとってかなり気恥ずかしい。
 その挙げ句、あんな台詞を面と向かって言われては、これはもう、照れるなと言う方が無理だった。
 いつからか分からないぐらい前から、頬が熱い。
「結花、あたしをからかって楽しい?」
「からかうなんて……それなら、いまからする?」
 ふふっと笑った結花の声が、一段低くなる。
「はいはい。……もう、そんなつもりないくせに」
 はぁ、とわざと大きく溜め息をつきながら結花を見て、自分の気持ちにも、会話にも区切りをつけた芹菜に、
「……芹菜はきっと、ロマンチストなのね」
 ぽつりと、結花がそんな呟きを漏らした。
「あたしが? ロマンチスト?」
「ええ。……だって、そうして自分を縛っているんだもの」
 自分を縛る、という言葉に芹菜の心臓が跳ねる。
「……それ、他の人にも言われた」
 告白してきた咲紀に告げられた、呪縛というワード。
 自分は、そんな事を意識したことすらなかった。
「芹菜、律儀なのよ。……自分を律することに慣れている人は、ロマンチストだと思う。自分の行いを嘘にすることは、自分が信じているものまで嘘にすることだから」
 思いがけない結花の話に、芹菜はぽかんと口を開けた。
 結花はそんな芹菜にかまわず、話を続ける。
「誰もあなたに、美優ちゃんを嫌いになれ、だなんて一言も言ってないでしょう?」
「それは、そうだけど……」
「あなたにとっては、好きという気持ちも、キスも、それ以上も……全て、美優ちゃんのものなのよ。彼女を好きだった自分に嘘をつきたくないから、他の人を好きになることが怖い」
「……」
 それは、自分でも至ったことのある結論だ。
「それが良いか悪いか、そもそも善し悪しという物差しで測るべきものなのか……私は知らない。でも、芹菜自身が今の自分を嫌だと感じるなら、無理にそれを守る必要はないでしょう?」
「……まるでカウンセラーみたい」
 素直に感心して呟いた芹菜に対し、
「基本、父の受け売りよ。……会ったことはないけれどね」
 一方通行の手紙だけでその存在を知っている自分の父の存在に触れた結花は、
「うちの両親は離婚してるの」
 芹菜から視線を逸らさず、さらにそう続けた。
「離婚の原因は父の浮気だった、って聞いてる。きっと、他人から見れば父は悪い男でしょうね。生まれたばかりの娘と妻がいて、それでも他の女性を好きになったのだから」
 淡々と語る結花の口調を聞いていると、彼女がその娘であることを忘れてしまいそうになる。
「……でも、誰かを好きになることそのものは、けして悪い事なんかじゃない。もっと惹かれ合う相手と出会うだろうから、今はあの人と付き合えない、なんて……私は間違ってる、と思う」
 めずらしく結花の言葉がぼやける。
 けれど言い淀んだことが、かえって芹菜を安堵させた。
「誰かを恋しいと思う気持ちがあって、自分を好きだと言ってくれる人がいる。それは素敵なことなんだから。……悩むぐらいならいっそ、全員と付き合えばいいのよ」
 それも楽しそうでしょう、なんて笑って付け足した結花は、
「誰かを好きになったからといって、あなたが美優ちゃんを好きだった時間は、けして嘘にはならないのだし」
 そう結んで、話を終えた。
「……」
 なにかを言おうとして、心の中で言葉をつなげて、なんだか違うと取り消して、また、言葉を探す。
 無言のまま、それでも芹菜は、自分をまっすぐに見つめる結花になにかを伝えたくて懸命に胸の内をさぐった。
「……あなたがルームメイトで良かった」
 気の利いた事が言えない自分に少し落胆しながら、それでも芹菜は、それが素直な感想なんだからと思い直す。
「そんなことを言っても、私は変わらないわよ」
「知ってる。結花は結花でしょう?」
 真奈美を挟んで言い合ったかと思えば、その頬に平手打ちをしたこともあった。
 囁かれる声にどきりとしたことも、長い黒髪に目を奪われたこともある。
 ひとつ話をするたびに彼女の新たな一面を知り、それが積み重なって、今の二人へとたどり着いたのだろう。
 芹菜と結花、どちらかが変わったわけじゃない。
 変わったとすれば、きっと関係のほうだ。
「……そうだ。ひとつ、お願いがあるんだけど、いい?」
 それはふとした思いつきで、深い考えがあったわけじゃなく、そうなったらいいな、という程度の頼み事だった。
「別に、かまわないけど」
 内容を聞き、それをあっさりと承諾した結花は、
「楽しい時間になるといいわね」
 そう言って、屈託なく笑った。