■ レインタクト 第17幕<2>
水瀬 拓未様


 時は過ぎ、昼休みを迎えたカフェテリア。
 先日の下校時、真奈美との会話中にみんなで昼食を一緒に、という提案を受けた美夜は、そのことを芹菜に伝えたくて、会えたらいいな、ぐらいの心積もりでカフェテリアまでやってきた。
 運良く、そこに芹菜はいた。
 だが、中等部の生徒たちに囲まれている芹菜を見て、美夜は声を掛けてよいものかどうか迷ってしまう。
 この時点で美夜は、芹菜と結花が一緒に登校し、それが一部の生徒間で話題になっていることを知らなかった。
 次々と芹菜に声をかける少女たちを見て、理由を知らぬ美夜が気後れを感じていたとしても無理からぬことだろう。
 適当な席に座ることもできず、カフェテリアの片隅で、ただじっと芹菜を眺めるしかできない美夜。
 そんな彼女の存在に芹菜よりも先に気付いた人物こそ、ある意味、騒動の発端ともいえる結花だった。
「どうしたの?」
「えっ?」
 不意に声をかけられて驚いた美夜は、声がしたほうへ振り向き、そしてまた驚いてしまう。
「あっ……」
 思わず声が漏れ、その後が続かない。そんな美夜の隣に並んだ結花は、ちらりと芹菜のほうに目をやると、
「芹菜に用事? ずっと見ていたようだけれど」
 そう言って、美夜の反応を窺った。
「あ、えと……」
 ずっと、という言葉を聞き、美夜が思わず目を伏せる。
 芹菜を見つめる自分を見られていたことが、なんともいえず恥ずかしくて、返答に窮してしまう。
 そんな美夜に対して、
「……よければ、私が声をかけましょうか?」
 結花は、問いかけを重ねた。
 三つめとなる質問。三度目の正直ではないけれど、声を掛けながら、結花は美夜の反応や仕草を観察していた。
 こうして美夜と話すのは、強引にキスをして以来である。
 もし彼女が、自分を嫌うような素振りを少しでも見せるようなら、それは自らの過ちが引き起こしたものであると甘受し、黙って立ち去るべきだ、という覚悟が結花にはあった。
 だが、会話――と呼んでいいものか分からないが――を少し交わしてみても、美夜にはその気配がない。
 だから結花は、もう少し踏み込んでみることにした。
「遠慮しないで。それに、この前のことを気にしているのであれば平気よ。芹菜とはもう、こじれていないから」
「でも……」
 声をかけられた事はもちろん、何故、そんなふうに自分を気遣ってくれるのかが分からず、美夜の戸惑いは消えない。
 もし、彼女が何か企んでいたら。
 この親切そのものが罠で、芹菜の側まで一緒に行った後、この前のように強引にキスされでもしたら。
 脳裏に浮かんできた、そんな可能性を否定しつつ、
「……この前のことは、その……」
 そこまで言ってから、美夜は口ごもってしまった。
 真っ先に思い浮かんだのは、気にしてません、という言葉だけれど、それでは嘘になってしまう。
 どう言えば自分の感じている気持ちが伝わるか分からず、美夜が発言に窮していると、
「あなたにも謝らなくてはいけないわね。いきなり奪うような真似をして、本当にごめんなさい」
「えっ……?」
 思いがけない謝罪に、美夜は顔をあげ、結花を見た。
 いったい彼女になにがあったんだろうという意識が、興味となって、美夜の戸惑いを好奇心に変えた。
 よく見れば。
 本当に同一人物なのだろうかと疑いたくなるほど、目の前の結花には、あの日帯びていた鋭さがない。
「私は、その、別に……」
 もう一度会ったら話がしてみたいと思っていた。
 でも、いきなりその機会が与えられてしまうと、なにを言えばいいのかも分からない。
「……この前の事は、私も、悪かったんです」
 結局、そう言うのが精一杯で、このままでは芹菜に声をかけるどころではなくなってしまいそうだった美夜は、
「あの、だから、その、謝られても……困ります」
 そう言って、会話を切り上げようとした。
 その気配を感じたのだろう、
「そう。……でも、謝るのは強引にしてしまった事について、だけよ? キスをしたことそのものについては、謝らないから」
 結花がくすりと微笑む。
 その唇の艶やかさが、あの日のキスの感触を不意に思い起こさせて、美夜は跳ねる心臓を必死におさえつけた。
「さ、芹菜に用があるんでしょう? 私も伝えたいことがあるから、一緒に行きましょう」
 にこっと微笑んだ結花が、芹菜に歩み寄っていく。
 わざとなのだろう、芹菜の視界に入らないよう、彼女の背後へとに回り込むようなかたちで、結花は近づいていった。
 と、すぐに周囲がざわめきたつ。
 カフェテリア中の視線がすべて結花を向いた――――といえば大げさかもしれないが、それに近い感覚を、結花のすぐ後ろを付き従っていた美夜は、自らの肌で感じた。
 しかし、
「芹菜」
 結花は平然と芹菜の名前を呼ぶ。
 彼女にとって幾多の視線が向けられる状況など日常であり、それで自分の行動が揺らいだりはしない。
「今日はやけに人気者ね」
「あのね、結花。誰のせいだと――――」
 振り向いた芹菜が、美夜を見つけ、思わず固まる。
「……あの、こんにちは」
「美夜……ちゃん」
 芹菜が呆然としている理由は、美夜にも推測出来た。
 もし逆の立場だったら、自分も同じ反応をするだろう。
「さ、どうぞ」
 いつのまにか椅子を引いていた結花に促され、美夜はその席に腰掛ける。
「すみません、ありがとうございます」
 そう言って頭を下げた美夜の耳元に、
「ごゆっくり、ね」
 椅子を直すふりをして軽く屈んだ結花が、そっと囁く。
 思わず顔をあげた美夜のほうには振り向かず、
「話し掛けられずに困っていたようだから、お連れしたの」
 芹菜にそう説明した結花は、他意はないわよ、と微笑んだ。
 いきなりの事にきょとんとしている芹菜と、囁きが利いたのか、同じくはっとしている美夜を眺めた結花は、
「お邪魔になるといけないから、私はこれで」
 思わず、そんな台詞を呟いていた。
「今朝のこと、中等部の子たちには私からも説明しておくから」
 付け足したその一言こそが、さきほど美夜に対し、芹菜に伝えたいことがある、と結花が告げた事柄だった。
 その後、自分の側に集まってきた後輩たちに対し、結花は芹菜との関係を、寮生活における良きルームメイトだから、と誇張することなく伝えたのだが――――思いがけず彼女たちの関心は、すでに別の事柄へと移っていたのである。