■ レインタクト 第17幕<3>
水瀬 拓未様


 夕暮れに染まる学園の校舎、職員室と記載されたプレートの掲げられたドアの前までやってきた里奈は、
「失礼します」
 ノックをしてからドアを開け、そして、息を呑んだ。
 その人物と遭遇する可能性があることを、まるで考えていなかったわけじゃない。
 けれど実際にそうなれば、頭の中で考えていた様々な予測なんて簡単に吹き飛んでしまった。
「あら上坂さん、あなたも提出?」
 女性教員の言葉と共に、振り向いて自分を見つめた後輩。
 その目に、自分はどんなふうに映ったのだろう。
「丁度良かった。笹木さんもさっき来たばかりなのよ。一応、前にも説明はしたけれど、おさらいの意味も含めて……」
 そこから先、教師が何を言っていたのか、里奈はあまり覚えていない。
 ただ、じっと時が過ぎるのを待っていた。

「ありがとうございました」
 提出した書面に不備もなく、それぞれ寮長として問題なしと太鼓判を押してくれた教員の話も終わり、二人は自然と揃って職員室を後にした。
「……お疲れ様でした」
 先に唯が頭を下げたので、
「あ、うん。お疲れ、さま」
 里奈は弾かれたように、自分も頭を下げる。
 何とも言えぬぎこちない空気こそ、二人の関係を物語っているといっても過言ではなかった。
 かつて水泳部の先輩と後輩だったにも関わらず、二年前の一件を切っ掛けにして疎遠になった二人。
 学年が違うこともあり、こうして互いが寮長にならなければ、会話のないまま里奈が卒業していた可能性は十分にある。
 だから、というわけでもないだろうが、
「……先輩は、どうして寮長になったんですか?」
 唯はそんな質問を口にすると、昇降口に向けて歩き出した。
 確かにいつまでも職員室の前にいるわけにもいかないと――向かう先も同じだったので――里奈はその隣に並ぶ。
「あたしは推薦でね。別に、断る理由もなかったから」
 それは事実だったけれど、里奈の本心として、寮長であれば結花と自然に接点がもてるかもしれないという期待がゼロだった、といえば嘘になる。
「……その、唯ちゃんは?」
 名前を呼ぶまでに少し間が空いたのは、はたして以前のように呼びかけてもいいのかどうか、少し迷ったからだ。
 唯の素っ気ない態度に、どうしても距離を感じてしまう。
 もしや昼休みのことが彼女の耳に入っているのではないかと思うと、手に汗がにじんだ。
「そのほうが、いろいろと融通が利くと思ったんです」
「そう……」
 どんな融通なのか、聞き返さなくても分かった。
 点呼時に結花が自室にいなかったことは何度もあったし、その行き先がどこなのか、里奈だって考えなかったわけじゃない。
 むしろ、里奈にとって不可解な事は別にある。
 そのことを気にしながら、けれど尋ねることも出来ず、唯の影を追うように歩いていた里奈は、
「……昨夜、結花さんと一緒だったんですよね?」
 出し抜けにそんなことを言われて、びくっと足を止めた。
「え、と」
 即座に頷くことができなかったのは何故だろう。
 嘘をつく理由はないのに、それでも一瞬、言葉に迷う。
 それから刹那の間に、あれこれと考えた里奈が、
「一緒、だった」
 そう言って肯定すると、唯は立ち止まり、振り返った。
 じっと里奈を見つめるその目には、迷いがない。
 水泳部の先輩後輩として過ごしていた頃から歳月は流れ、少女はそれぞれ、違う時間を過ごしてきた。
 背が伸び、雰囲気からあどけなさが消えていく中で、それでも唯の瞳には、あの日と変わらぬ強さがある。
「先輩は、結花さんが好きですか?」
 呟きは小さいけれど、よく通る声だった。
「……うん、好きだよ。あなたと同じように」
 二年前とは違う答えを返す想いに迷いはなく、
「それなら……少しだけ、私の話、聞いて下さい」
 そう呟いた唯に、里奈は黙って頷いた。