■ レインタクト 第18幕<2>
水瀬 拓未様


 整理する、という言葉がある。
 乱れた状態をととのえたり、不要なものを取り除く場合に使われるそれは、実際の荷物や品物に限らず、人間関係や、人の気持ちにも当てはまる。
 芹菜はいま、気持ちを整理しながら歩いている。
 これから向かう先で、そうしておかなければ受け止められないだろう話が、おそらく待っているからだ。
「急にごめんね」
 自分の隣を歩く美夜に声をかけると、彼女は首を振った。
「いえ。今日は母も家にいましたから」
 夕暮れ前の住宅街を歩く美夜は、そう言うと、目の前の交差点を、こっちです、と言って左に折れた。
 芹菜があたりの景色に見覚えがあったのは、以前、咲紀の家に遊びに行ったときに通ったことがあるからだろう。
 繁華街と違い、用がなければ訪れることのない区画なので、芹菜がこのあたりに来るのは久しぶりだった。
「美夜ちゃんは、ずっとこのあたりに住んでるの?」
「いえ、四年ほど前に越してきたんです。といっても、以前住んでいた場所も同じ市内だったんですけどね」
 そう言った美夜は、
「ここです」
 四階建ての小さなマンションの前で立ち止まった。

 白石砂織に会って話を聞こう。芹菜がそう思い立ったのは、結花に自らの過去を話した昨夜の事だ。
 こういうのは勢いも大事だからと、翌日――つまり今日――の昼休みには中等部校舎で美夜を探して声をかけ、放課後にあなたの家に行ってもいいか、と尋ねた。
 突然のことに美夜は驚いたが、その後、すぐに校内の公衆電話から連絡を入れて砂織の許可をとりつけてくれた。
 それが、数時間前の出来事になる。
「足下、気を付けてください」
 少し急な階段を上って三階までやってくると、手前のドアの脇に、白石、という小さな表札が出ていた。
 鍵を取り出した美夜が、ノブにそれを差し込んで回す。
「おかえり、美夜」
「母さん」
 鍵を回す音を聞きつけたらしく、ドアを開けたそこには一人の女性が立っていて、芹菜と美夜を出迎えた。
「いらっしゃい。経緯は美夜から聞いてます」
 芹菜を見つめて目を細めた女性は、
「……来てくれてありがとう。白石砂織です」
 そう言って、頭を下げた。
 物腰は柔らかく、小さめの眼鏡をかけているせいか知的な印象を受ける。
「えっ、あ、その……こちらこそ、急なお願いをして」
 想像よりも穏和な雰囲気と、思いがけず優しい表情で微笑まれたことにどぎまぎしながら、芹菜は自分も頭を下げた。
「あの、はじめまして、桜野芹菜といいます」
 あらためて名乗った芹菜をリビングへと通した砂織は、美夜に着替えてくるよう言いつけて、冷蔵庫の中を覗き込む。
「美夜から電話もらったあと、近所でシュークリーム買ってきたんだけど……甘いの、好き?」
「あ、はい」
 にこにこと支度をする砂織を見ていると遠慮するのも悪い気がして、芹菜は素直に頷いた。
「飲み物は紅茶で良い? 他にも用意できるけど」
「紅茶、好きです」
「ふふ、そう。紅茶ならちょっとしたものが用意できるわよ」
 ティーパックではなく、缶入りの茶葉を取り出して微笑むあたり、紅茶には一家言あるのかもしれない。
「はい、お待ちどおさま」
 待つこと少し、良い香りをまとった湯気を立てるカップと、パイ生地のシュークリームが芹菜の前に並ぶ。
「あの、ありがとうございます」
 まるで喫茶店のような持てなしに戸惑っていると、私服に着替えた美夜がリビングに現れた。
「あ……」
 初めて見る美夜の私服姿に、思わず息を呑む。
 彼女はその髪に、白いリボン――芹菜が美優のために買い、けれど渡すことができなかったもの――を結っていた。
「あら、そんなの持ってた?」
「芹菜さんからもらったの。……変?」
「変じゃないけど……少しズレてる。じっとして」
 砂織は美夜のリボンを直すと、満足げに頷いて、
「ほら、美夜も座りなさい」
 もう一組、紅茶とシュークリームを用意した。
「わたしは美夜たちの叔母にあたるの。美夜と美優を産んだのがわたしの姉さんで、美夜たちの父親である慎一さんのお姉様が、あなたのお母様である裕子さん。……ここまでは、美夜から聞いたのよね?」
「はい」
 芹菜は神妙な顔で頷く。
 数日前に美夜から聞いて以来、頭ではそうなのだろうと分かっていても実感が伴わなかった話。
 けれど、こうして学園外の場所で砂織と出会い、向き合ったことで、じわじわと胸に去来する不思議な感覚があった。
「わたしも当事者ではないから、分からない事もあるの。あくまでもわたしが見聞してきた話だということを忘れないでね」
 前置きとしてそう断った砂織は、
「姉さんが美夜たちを身ごもったのは、まだ卒業まで少し遠い、高校在学中の頃だった」
 そうして、昔話を始めた。