■ レインタクト 第19幕<2>
水瀬 拓未様


 芹菜は、ずっと黙って美夜の話を聞いていた。
 何度、彼女を抱きしめて、慰めの言葉をかけようと思ったか分からない。
 けれど芹菜はそんな自分を戒め、彼女が自ら言葉をとめるまで、ただじっと聞くことに専念した。
 その、理由。
「……美優がね、亡くなる前の夜に、あなたのことを見かけたって話をしてくれたとき、あの子はすごく……綺麗だった」
 記憶に焼き付いて離れない、色あせぬ姿。
「……実をいうとね、あたしはあの夜、会ったこともない、名前しか知らない美優のお姉さんに、すごく嫉妬したんだよ」
「私に……?」
「そう。……もっとも、あの時のあたしが想像した美夜という人は、ものすごく漠然としていて……自分が逆立ちしたって勝てっこない女性なんだ、って感じだったんだけどね」
 もちろん本物の美夜も素敵だと付け足した芹菜は、
「……そのぐらい、あなたの事を話す美優は綺麗だった」
 噛みしめるように、そう呟いた。
「だからね、あたし、怖くなって。話を続けようとする美優を抱きしめて、もういいよ、って言ったんだ」
 自分にとって手の届かない時間、関係。
「……あの時のあたしも、美夜ちゃんと似たような事を考えてた。続きは、もっと美優が大人になってからでも良い、って。いつか、いつか……って」
 言葉を絞り出すように話す美優の様子があまりにもつらそうで、だから芹菜は、美優を抱きしめてしまった。
「でも……止めちゃいけなかったんだね。苦しそうだなって、あたしが勝手にそう感じていたあの時、美優は懸命に、あたしに何かを伝えようとしてたはずなんだから」
 それに気がついたのは、少し前。
「さっきまで美夜ちゃんが話していた声の様子も、かすかな震えも……同じなんだ。あの夜の、美優と、ぜんぶ、おんなじ」
 街灯の下、自分を呼び止めた美夜の顔。
 自分を部屋に招き入れたあとの、悲壮といっても大げさではない、決意と不安に満ちた、揺れている瞳。
 それらは全て、あの夜の美優とよく似ていて――――だから芹菜は決意した。
 彼女が自ら言葉を結ぶまでは、どんなに辛そうであっても、その話に横やりを入れることなく聞き届けよう、と。
 それは昨夜、自分がされたばかりの方法でもあった。
「……後悔していたのは、あなただけじゃないんだよ」
 事故に遭った時、美優が考え事をしていたとしたら。
 そのせいで事故に巻き込まれたとしたら。
 それが前の日の夜、言いそびれた事についてだったら。
「もしかしたら、美優を殺したのはあたしなのかなって……そんなことを考えたこともあった」
「それは」
 思わず美夜が語気を強めると、
「うん。……美夜ちゃんの言いたいこと、分かるよ」
 芹菜は穏やかな声を乱すことなく、静かに応えた。
「例えば……咲紀にこの話をしたとして、なんて言われるか、簡単に想像できるから。あたしだって、もしいま立場が逆だったら、美夜ちゃんが思ってる言葉を口にすると思うんだ」
 だから、だれにも話したことはない。
「美優も……同じ気持ちだったのかもしれないね」
 自分がいかに姉の優しさに甘えていたのか。
 両親が亡くなった夜、美夜に責められながら、美優は姉がどれほど自分のために我慢していたのかを知った。
 だから、泣くのをやめた。
 だから、我が儘を言わなくなった。

 だから――――どう接したらいいのか、分からなくなった。

「ほら、よく双子って、離れていても心が通じ合ってる、っていうじゃない? 美優もきっと……あなたに謝りたい、って思ってたんじゃないかな」
 それはあくまでも芹菜の想像だ。
 でも、根拠ならちゃんとある。
「だって美優は、あなたのことを嫌ってなんかいないから」
 はっきりと言い切った。
 美夜と、自分と――――なによりも、美優のために。
「美夜ちゃんの事を話す美優、綺麗だったよ。嫌ったり憎んでいる人の事を話すとき、あんなに綺麗なわけがないもの」
 微笑んで、そう告げる芹菜。
「……あ、ぁ……」
 美夜の体に声が浸透していく。
 ゆっくりと嗚咽のような声を漏らした美夜は、やがて、むずかるように泣き出した。
「ひ……っ、う……くっ……」
 芹菜がその髪を、何度も何度も優しく撫でる。
「泣き方が美優にそっくりだね……」
 今夜、初めて美夜にしっかりと触れた芹菜は、美夜の背中に手を回すと、そのまま自分の方へ抱き寄せた。
「……でも、美夜ちゃんは美夜ちゃん。美優は美優。あたしは、二人とも好きだよ」
 囁いた芹菜は、美夜の震えが収まるように、彼女の背中を、親が子供をあやすような手つきで撫でる。
 その静けさを破って、コードレスの子機が鳴りだした。
「……出る?」
「……」
 芹菜の問い掛けに、美夜はふるふると首を振る。
 おそらくは砂織からの連絡だろうし、こんな涙声で出たら、いらぬ心配をかけてしまうだけだ。
 芹菜もその意図が分かったので何も言わず、やがてリビングのほうから、留守電に切り替わったことを示す電子音が響く。
 ドア越しに、メッセージを吹き込む砂織の声が聞こえてくる。
 その内容は、今夜は帰れそうにないけど心配しないで、というものだった。
「……そう、だ……芹菜さん、寮に戻らないと、門限が……」
 ふと思い出したように美夜が呟く。
 その声に、芹菜は部屋にある時計へ目をやり、時刻が寮の門限である九時寸前であることを確かめた。
「これはもう、今から帰っても間に合わないかもね」
 さして慌てる様子もなく言った芹菜に、美夜が目元を拭いながら、よろよろと起きあがる。
「それなら、私の自転車がありますから、それを」
「大丈夫。……実は、保険かけてあるから」
「……え?」
 思いがけない言葉に、美夜が芹菜を見つめる。
 少し悪戯っぽく笑いながら、芹菜はそれを見つめ返した。
「さて、ここで問題。あたしはさっき、借りた電話でどこにかけていたでしょう?」
「え? 電話って……」
 そういえば、と思い出す。
 でも、そこから推理しようにも、さっきまで泣いていたせいか、頭はまだ少しぼけっとしていて上手く働かない。
 きょとんとしている美夜を見て、芹菜は微笑んだ。
「うちの寮長にね、今日は帰れなくなるかもしれないから、そうなったら外泊扱いにしといて、って頼んでおいたの」
 予感があったからこそ、里奈に連絡を入れた。それでも、確実にこうなると考えていたわけじゃない。
 ただ芹菜は、ある人物がよくやる行動を思い出して、それを真似てみたらどうだろうと――――そう思っただけだ。
「……昨日、意地悪なルームメイトに言われたの。悩むぐらいならいっそ、全ての人を好きになればいい、って」
 彼女に比べればこういった台詞は不得意だから、はたして自分が思い描いた展開になっていくかは分からない。
 それでも、自分の気持ちに嘘をつかなければ、自分の言葉に偽りを混ぜなければ、美夜を笑顔にすることは出来るはずだ。
 かつて美優と、そうであったように。
「……ほら、こっち向いて」
 涙の跡をたどるように頬に添えた手を動かして、少し強引に、美夜の視線を自分に向ける。
 結花と過ごした時間がなければ、いまこうして美夜にキスをすることすら、自分は躊躇っていたに違いない。
 台詞だけじゃなくてやり方まで似てきたな、なんて心中で苦笑しながら――それでも結花に感謝しつつ――芹菜は、美夜に見えるように、ゆっくりと、薄く唇を開いた。
「……私は、美優の代わりですか?」
 その唇に向かって、美夜は思わず問い掛けていた。
 芹菜の答えは分かっていたけれど、それでも、聞かずにはいられなかった。
「違うよ」
 ゆっくりと首を左右に振った芹菜は、
「誰も、誰かの代わりになんて、なれないよ」
 優しい口調で、自らの胸へ刻むように囁いた。
 言葉を受け取った美夜が、そっと瞼を閉じる。
「ん……」
 久しぶり口づけは、軽く触れただけで柔らかさが唇に満ちて、甘さと痺れが同時にやってきた。
 懐かしくて、愛しくて、それでいて、鮮烈な感覚。
 肩に置いた手にかかる髪の細やかさや、ほんのわずかに漏れた息の熱さが分かるぐらい、神経が敏感になっていく。
 崩れ落ちるように二人の体は倒れて、少女たちの体を受け止めたベッドが、小さく鳴いた。
 けれど唇は離れず、より、深く交わる。
 そんな芹菜の制服を、美夜がくっと掴んだ。
 思いがけず強い力で引っ張られ、舌が自然と触れ合う。
「あ……っ」
 予想外の行動に、芹菜が思わず漏らした声。それすら自らの口へ含むように、美夜は自分から唇を滑らせた。
「ん、ふっ……」
 絡み合う舌がもたらす音に、頭がだんだんと白くなる。
 美夜の肩に置いていたはずの手は、意識しないまま動き、やがて彼女の腰に触れていた。