■ レインタクト 第1幕<2>[改定版]
水瀬 拓未様


「芹菜、お昼だよ」
 午前中の授業が終わって昼休みのチャイムが鳴ってもなお窓の外を焦点の定まっていない瞳で見つめていた芹菜に、声が掛かる。
「咲紀…」
 芹菜、と呼ばれてそれが自分の名前であることに気付くまでちょっとの時間が必要で、それから芹菜はずっと左に向けていて痛みを感じる首を自分を呼ぶ咲紀に向けた。
「もう昼食の時間ですよ、旦那」
 すると、視力が悪いからと学校にいる間は黒いフレームの眼鏡を掛けている咲紀が笑いながら自分の顔を間近で覗き込んでくる。
「あっ、もうそんな時間…」
 咲紀の言葉に腕時計を見て、芹菜は針が正午になっているのに気付く。すると咲紀は、芹菜の前の席の椅子に、まるで馬乗りのような格好で背もたれを前に腰掛けた。
 持っていた大きなお弁当箱の入っている巾着を、咲紀は芹菜の机の上に置く。
 花梨女子の高等部には付属の学生寮があるものの、基本的に希望者のみの入寮で全寮制ではない。そのため昼食は、寮生は学生食堂で済ませるのが一般的である。自宅から通っている生徒は基本的にお弁当か購買部で昼食を購入するが、料金さえ払えば学生食堂も利用できる。またその逆で、寮生がお弁当や購買部で昼食を済ませる事も可能だ。
 アルバイトも出来る花梨女子の基本は、自由な校風にあるといっていい。
「…芹菜、雨の日はいつもそやって窓の外ばっかり見てるよね」
「そうかな…」
 巾着の中のお弁当箱を取り出しながら呟いた咲紀の言葉に、芹菜は首を傾げる。そんな彼女に、咲紀はお箸を差し出した。
「そうだよ、授業の時もぼんやり窓の外を見てて。…ホント、それなのに芹菜は成績いいんだもん、羨ましい」
「あたしは咲紀の料理の腕前の方が何倍も羨ましいよ」
 わざと落ち込んで見せる咲紀からお箸を受け取り、芹菜はそう言って小さく笑う。
 寮生である芹菜は本来学生食堂で昼食を済ませるのだが、週に一度はこうして自宅通学の咲紀が早起きして作ってきてくれるお弁当を一緒に食べるのが恒例になっている。
 いくら生徒に評判のいい花梨女子学園の学生食堂とはいえ、メニューのローテーションはある程度決まっているので、たまには変化を求めたくなる。そんな時、咲紀のお弁当が芹菜にはありがたい。
「今回の目玉はポテトとカニのクリームコロッケに、味付けが絶妙なだし巻き卵。これはすっごく美味しいよ」
 まるでお花見弁当のように豪華な三段のお弁当箱を芹菜の机に広げながら、咲紀が自慢げに説明する。彼女の手作り弁当はすっかり冷めているはずなのに美味しそうな匂いがしてきて、芹菜の食欲が擽られた。
「じゃ、いただかさせていただきます」
「どうぞどうぞ」
 お箸を伸ばして、芹菜は咲紀の自信作であるというクリームコロッケを口に運ぶ。
「どう?」
 よほど自信があるのか、にこっと笑って問い掛けてくる咲紀。口をもぐもぐと動かしていた芹菜は、やがて左手の人差し指と親指でOKのサインを示した。
「でしょう? 仕込みにたっぷり時間を掛けたんだから」
 芹菜の合図を見て嬉しそうにそう言った咲紀は、自分もクリームコロッケを食べる。
 その後、本当に美味しいものを食べていると無口になる、という人間の習性で、二人はもくもくとお弁当を食べた。
 薄味の五目ご飯に人参のグラッセ、ツナのサラダ、トマトベースのロールキャベツ。三人分はありそうな量の昼食を、二人はあっと云う間に食べ終えてしまった。
「ふぅ…。ごちそうさま」
 言って箸を置いた芹菜に、咲紀が笑う。
「おそまつさまでした」
 綺麗に空になったお弁当箱を重ねると、咲紀はそれをお箸と一緒に巾着にしまう。
 それを見つつ、芹菜は背伸びをするようにゆっくりと椅子から立ち上がった。
「今日のは特別美味しかったから、ジュースおごったげる。何がいい?」
「ホント? じゃね、レモンティー」
 財布を取り出して芹菜が問い掛けると、咲紀は嬉しそうに速答した。それを聞いた芹菜は了解、と笑って教室を出ていく。
 そんな芹菜の後ろ姿が今朝の昇降口で見たものよりも何処となく元気に思えた咲紀は、微かに笑みを零した。
「…ちょっとは芹菜の役に立ってるのかな、あたしのお弁当も」