■ レインタクト 第1幕<3>[改定版] 水瀬 拓未様 三十年ほどの歴史がある花梨女子学園は、もとは花梨女子高校という名前で高等部しか存在しなかった。しかし八年ほど前に中等部の校舎が建設され、学校名を女子高校から女子学園へと改名して今に至る。 そのため少し古さを感じさせる高等部の校舎と違い、中等部の校舎はまだ新しく、設備も新しいものが揃っている。 その中等部の開設にあたり、学生食堂や体育館、プールなどは増改築が行なわれた為、中等部と高等部が共同で使用している施設も中等部の校舎と同じで新しい。 そして花梨女子の中で自動販売機があるのは、そんな学生食堂の一階と、その二階に設けられているカフェテリアだけである。 カフェテリアと云われると聞こえはいいけれど、実際はホテルのロビーのようにいくつかのテーブルとそれを囲むように椅子が置かれていて、飲み物は自動販売機で購入するというシンプルなものだ。 雰囲気がいいのと大きな窓から見える中庭が人気で、放課後になるとここに残って読書や宿題をしている生徒をよく見かける。 「さすがに、今の時間は混んでるなぁ…」 芹菜が自動販売機目当てでこのカフェテリアに来たときには、彼女も着ている白いブラウスに紅のネクタイ、紺のブレザーにグレーに薄く黄色のタータン・チェックのプリーツスカートという高等部の制服の少女たちと、基本的なデザインが同じでも紅のネクタイではなく藍色のリボン、紫のブレザーにプリーツスカートはクリーム色に薄緑のタータン・チェックという中等部の制服の少女たちがカフェテリアの椅子をほとんど埋めていた。 演劇祭や体育祭、文化祭といった行事をほとんど共同で行なうほど、中等部と高等部の生徒は仲が良い。そもそも年齢や学年の差からくる上下関係そのものが、花梨女子自体に存在しないからだ。 そういった上下関係を築かないのが花梨女子の教育方針らしく、少しでもそれに反しそうな者は入学時や転入時の面接であっさりと落とされる。花梨女子に受かるのは難しいと噂されるのも、おそらくはそれがもっとも大きな要因となっているのだろう。 学力がいくらずば抜けていても、それだけで花梨女子の制服は着られないのだ。 「えっと、咲紀がレモンであたしは…」 自動販売機に五百円を投入し、芹菜はアイスのレモンティーを選んでボタンを押す。がらごろがこん、と落ちてきたレモンティーの缶を回収すると、自分は何を飲もうかな、と芹菜は自動販売機とにらめっこになった。 「ここのミルクティーは美味しいんだけど、この前に飲んだばかりだし…。となるとバナナセーキか苺ミルクか…」 ちょっと迷って、それから芹菜は二つのボタンに両手の人差し指をそれぞれ添える。どうやら二つのボタンを同時に押して、出てきたほうに落ち着く、という結論らしい。 「せぇの…」 出来るだけ同じタイミングで二つのボタンを押そうとしたその瞬間、芹菜の背中に軽い衝撃が伝わってきた。思わず押してしまったボタンの購入ランプが赤く光り、苺ミルクが落ちてくる。それと同時に、芹菜の持っていたレモンティーの缶が手から滑り、かっこーん、と派手な音をたてて床を転がった。 「ごめんなさいっ」 驚いた芹菜が振り返ると、そこに中等部の制服を着た少女が一人、頭を下げていた。 衝撃の原因は、その少女がぶつかってきたためらしい。 「あの、本当に申し訳ありません」 「わざとじゃないんから、謝らなくてもいいよ。ね、頭あげて」 芹菜に言われるまま、深く頭を下げていた少女がゆっくりと顔を見せる。そして彼女の顔を見た瞬間、芹菜は息を呑んだ。 「嘘…」 芹菜が呟いてしまったのも無理はない。 柔らかそうな白い肌と、愛らしい唇。胸元まで伸びている長い栗色の髪は簡単に束ねられ、何より淡くて素直な色を宿した大きめの瞳が見せる優しさは。 「美優…」 二年前の雨の日に突然いなくなってしまった、芹菜の妹にそっくりだった。 「あの…」 少女はどうして芹菜が自分を見て驚いているのか判らない様子だったか、とりあえず床に落ちているレモンティーの缶を拾う。落としたせいでちょっとへこんでしまったその缶を、少女は芹菜にそっと差し出した。 「ごめんなさい、これ…」 「あ、うん…」 少女からレモンティーの缶を手渡されたとき、芹菜と少女の手が一瞬だけ重なる。その手の暖かさも、美優と同じもので。 「あの、貴方…」 「いっけない…! 遅れちゃう!」 彼女の名前を聞こうと芹菜が口を開くけれど、少女は自分の腕時計を見て、慌てて下へ降りる階段の方へと駆け出していった。 なにか急ぎの用事があるらしく、少女は小走りにその場から立ち去ろうとしたが、急に途中で立ち止まると芹菜の方に振り向いて、また頭を下げる。 「本当に、どうもすいませんでしたっ」 大きくはないけれどよく通る綺麗な声でそう言うと、少女は階段を駆け降りていく。そんな彼女を追い掛けようとする芹菜の足に、こつん、と何かの当たる感触がした。 「…?」 思わず立ち止り、芹菜が足元を見る。と、どうやらその少女が自分とぶつかった時に落としたらしい髪留めが転がっていた。 しゃがみこんで、芹菜はそれを拾う。よく見れば、その髪留めは美優が見せてくれたあの髪留めとよく似ているものだった。 革製の、小さなバレッタ。それには美優の物と同じく焼き印で【m.k】と。 「これ…」 驚くというよりも、背中を寒気が走り抜ける、芹菜はそんな感覚に襲われた。 死んだはずの美優と瓜二つの少女が突然に現われ、そして美優の見せてくれた物と同じバレッタを落としていく。 それはまるで何かを暗示しているようで、芹菜は拾ったバレッタを見つめたまま、力なく自動販売機に寄り掛かってしまった。 唯一、少女の手渡してくれた、へこんでいるレモンティーの缶の冷たさだけがこれを現実の出来事であると証明していて。 自分を落ち着かせるために、何度か首を左右に振る。それから手に持っていたバレッタをブレザーのポケットにしまい、芹菜は自動販売機の取り出し口に放っておかれた苺ミルクとお釣りを手に取った。 色々な気持ちが交錯してなかなか進まない両足を動かし、芹菜はカフェテリアから階段を使って学生食堂に降り、そこから渡り廊下を歩いて、高等部の校舎へと戻っていく。 「……」 その時、ちょっと後ろ髪を引かれる想いで芹菜は中等部の校舎へ続いている渡り廊下を見つめた。 二年前まで、自分も使っていた渡り廊下。その先にある真新しい中等部の校舎に、妹の生き写しのような少女が通っている。 その事実が、なにより芹菜を迷わせた。 ブレザーのポケットの上から手を重ねるとそこにはバレッタの感触がある。 夢ではない、という思いが芹菜の心を満たす。そしてなにより、彼女にもう一度逢いたいという想いがあるけれど。 もしも逢えたとして、自分は彼女に何を求めるのだろう。 それに。 「…いくら似ていても。あの子は、本当の美優じゃない…」 芹菜は呑み込んでいた息を静かに吐き出すと、後ろ髪を引くその想いを断ち切って咲紀の待つ教室に戻るために歩きだした。 でも。 普段は遠いなんて感じたことのない自分の教室までの道程が、妙に長く感じられて。自分以外の生徒たちの話し声がどこか遠い国の言葉のように虚ろな耳に聞こえてくるたび、芹菜はもしかしたら、という気持ちに囁かれて何度か後ろに振り返った。 しかしもちろん、そこにあの中等部の制服を着た少女の姿があるはずもなく。 そのたびに芹菜は、断ち切ったばかりの想いとそれに迷わされている自分の隙間だらけの心に躊躇した。 どんなに嘘をついても、騙そうとしても、美優を欲しがってしまう自分の心。 それは、苦しいほどに切ない。 「こんな顔、咲紀に見られたら……きっと何があったのって言われるな…」 雨が降っているせいで薄暗い、外の風景が見える廊下の窓。その窓に映る自分の顔を見た芹菜はそう呟くと、軽く唇を噛んだ。 「…よしっ」 二年C組の教室のちょっと手前で立ち止まると、右手に持っている苺ミルクの缶で頬をぽんぽん、と叩いて芹菜は気を取り直す。 昼休みということもあり開け放たれている後ろのドアから芹菜が教室に入ると、咲紀は芹菜の席に座って退屈そうな表情で窓の外を見ていた。 「ごめん、遅れて」 「芹菜…。もう、レモンティー買ってくるのに何分掛かってるのよぅ」 冗談ぽく怒った咲紀は、小走りで自分に駆け寄ってきた芹菜からレモンティーの缶を受け取る。それから彼女はその缶を何気なく開けようとして、小さく首を傾げた。 「これ、へこんじゃってるよ」 「えっ…? …あ、ごめんね。それちょっと途中で落っことしちゃって。だから…」 自分の呟いた言葉に対して、人差し指を自分の髪に絡ませながらちょっとどぎまぎとした対応を見せる芹菜。 そんな彼女を見て、咲紀は何かに気付いたようだったが、あえて。 「…ふぅん。芹菜も意外にドジなんだね」 と呟き、くすっと笑った。 |