■ レインタクト 第1幕<4>[改定版]
水瀬 拓未様


 一日の授業の終了を告げるチャイムが校舎に鳴り響き、あちこちの教室から少女たちの溜め息が聞こえてくる。昼を過ぎた頃から静かになっていた雨も完全に降りやみ、役目のない傘は閉じられたままで家や寮に帰る少女たちの手に握られていた。
 雨上りの空は綺麗で、夕日の染まり方がいつもよりも遠くに伸びている気がする。図書委員としての仕事がなく、文芸部の部室に顔を見せる気分にもなれなかった芹菜は、いつもよりも早い時間に鈴蘭寮に戻っていた。
 鈴蘭寮は高等部付属の寮で、校舎と同じく三十年の歴史がある。中等部設立の恩恵を受けて少し改築されたため、四階建ての外観は小綺麗な印象を受けた。
 そんな建物が学年ごとに三つあり、一年生の寮から順に、月、星、雪、という名前が付いている。ちなみに二年生である芹菜は鈴蘭寮・星で生活しているわけだが、来年度で三年生になると鈴蘭寮・雪に移動するかといえば、そうはならない。月が二年、星が三年になり、一年生は昨年度の三年生が卒業して空いた雪に入ってくる。
 その理由は、毎年引っ越しをしていては面倒だから、という単純なものらしい。
 全寮制ではないために一つ一つの建物自体は大きくないけれど、それでも一階には一度に五十人が食事の出来る食堂に二十人まで入浴可能の浴場がある。二階から四階までが生徒たちの部屋になっていて、二人部屋の室内には二段ベッドと質素な机に椅子、そして簡易的な流し台がある以外、他の物はその部屋の生徒の持ち込みにより千差万別である。
「やっぱりこんな早い時間だと、みんな帰ってないか…」
 大まかに分けて自分の部屋まで靴を履いていくマンションのような寮と、玄関で靴を脱いでスリッパに履きかえる寮の二種類があるが、この鈴蘭寮は後者である。蓋のついていない下駄箱に靴をしまい、芹菜は他の下駄箱にまだあまり靴がないのを見て呟いた。
 ずっと使っている水色のスリッパに履き替えて、芹菜は階段を昇る。芹菜の部屋は四階なので昇るのがきついけれど、微かに筋肉のついた脚線美は、きっと毎日のように繰り返しているこれの成果なのだろう。
 四階まで昇った芹菜は廊下を歩いて、自分の部屋である四〇五号室と書かれた札のある部屋の前で立ち止まる。
 ノブに手を掛けてドアを開けようとするけれど、芹菜は部屋の中から聞こえてくる話し声にそれを躊躇した。
「…ん……やぁ…っ…」
「どこが…?」
「だって…ぇ……恥ずかし…ぃ」
 それは間違いなく、少女の喘いでいる声とその少女に囁く違う少女の声で。
「……」
 またか、という半分呆れた表情で溜め息をつくと、芹菜は軽く咳払いをしてからドアを少し大げさにノックした。
 それからちょっとの間をおいて、芹菜がドアを開ける。すると室内では二人の少女が、まるでドアを開けて入ってきた芹菜に気付いていない様子で抱き合っていた。
 芹菜よりも長く、真っすぐに腰まで流れる漆黒の髪と、悪戯っぽく笑っている小悪魔のような瞳。そして制服を着ている上からでも判る、少女と呼ぶのを躊躇してしまいそうなほどの艶美さを帯びる身体の線。
 美人と呼べる芹菜に引けを取らない彼女こそ、芹菜の同居人である並木結花である。
 彼女は自分が抱き寄せている、髪が短く可愛らしい少女の耳元へ、芹菜が見ているのを知っていて口付けた。
「…んっ」
 キスに対して小さな吐息を漏らした少女は下着姿で、近くに花梨女子中等部の制服が脱ぎ捨てられているのを見ると、どうやら中等部の生徒らしい。
 その事に気付いたらしく、芹菜はスリッパを脱ぐと結花と少女の側に歩み寄った。
「また中等部の子なんか連れ込んで…。日も沈まないうちからなにやってるの」
「なにって、見て判らない?」
 自分に話し掛けてきた芹菜に答えながら、それでも結花は自分の腕の中で子猫のように鳴いている少女への愛撫を忘れない。
 部活にも委員会にもとくに所属していない結花は、時折こうして後輩である中等部の生徒を芹菜のいない時間帯を狙って寮の部屋に招いては抱いていた。
 それを芹菜が知ったのは去年の夏頃だったのだが、初めの頃こそ室外からのノックや、わざと足音をたてて合図すれば中断してくれた結花も、最近では、見られているほうが相手の女の子がより感じてくれる、と言ってやめてくれない。
 そんな事が繰り返されるうち、次第に芹菜も、結花が何をしていようと多少のことでは動じなくなってしまった。
 彼女の魅力は異性よりも同性、つまり女性の、それも年下に強いらしく、本人もそれをよく理解し、さらに利用しているので始末が悪い。それでいてそんな結花を軽蔑したり嫌いになったり出来ないのは、自分も美優とそういう関係であったからだと芹菜は思う。
「判ってるし止めないから。結花、そういう事は他でお願い」
 芹菜は言いながら落ちている中等部の制服を拾うと、結花と少女の間に割って入る。
「ほら、貴方もこれを着て」
 頬を薄く染めている少女に、芹菜は制服をほとんど強引に手渡した。少女は戸惑っているようで、芹菜と結花を交互に見ている。
「あのっ…」
「ここであったこと、見なかったことにしてあげるから。……貴方も、こんなお姉さんに遊ばれてないで家に帰ったほうがいいよ」
「遊んでるとは随分だけど……ま、いいわ。その子は芹菜にプレゼントしてあげる」
 芹菜の言葉にそう返して、結花はそのままゆっくりと立ち上がった。
「だからその子をどうしようと芹菜の勝手だけど……真奈美には紅茶に混ぜてブランデーを飲ませてあげたから、かなり過敏になって感じてると思うわよ」
「ブランデー?」
「そうよ。とっときのね」
 思わず聞き返した芹菜に対し、結花はそれがなに? という感じで平然と頷く。
「だからその子、その場から立てないかも知れないけど……言い出したのは芹菜だもの、きちんと責任とって、真奈美を家まで送ってあげてよね」
 そしてそれだけ言うと最後に悪戯っぽく笑い、結花は部屋を出ていった。
 もちろん部屋に残されるのは芹菜と、そして結花が真奈美と呼んでいた少女だけ。
 気まずい雰囲気になっているのを肌で感じながら、芹菜は自分の制服を持ったまま足を崩して座り込んでいる少女を見つめた。
「…あの、えっと……真奈美ちゃん、でいいのかな…?」
 芹菜が問い掛けると、少女はこくん、と小さな動作で首を頷かせる。
「立てる…?」
 恐る恐る聞いてみると、真奈美は芹菜の予想どおり首を左右に振った。
「そう……だよね、やっぱり…。真奈美ちゃん、あんまりお酒強そうじゃないし、頬なんか綺麗な色してるもの…」
「あの、すいません…」
 溜め息混じりに呟いた芹菜に、潤んだ瞳の真奈美が頭を下げる。そんな彼女に、芹菜は慌てて首を左右に振ってみせた。
「いいのよ、別に貴方が謝らなくても。…もとはと云えば結花がいけないんだから…」
 芹菜は刺激にならないよう、真奈美の背中にそっと自分の片手を添える。それからもう片方の手も使って芹菜は真奈美の身体を支えようとするけれど、彼女の身体は震えるばかりで考えどおりに動いてはくれない。
「……。我慢、できない…?」
 小刻みに肩を震わせている真奈美の頬に手で触れて、その熱さに驚きながら芹菜が問い掛ける。恥ずかしそうだったがそれでも頷く真奈美の両手から、今までなんとか持っていた制服が零れ落ちた。
「…あの、身体が…おかしくなりそうなんです…。熱くて、とまらくっ…て…」
 何処となく苦しそうに打ち明けた真奈美の額には、うっすらと汗が浮かぶ。そんな、可愛さの中にも相反する大人びた魅力を重ねつつある真奈美の表情を見つめ、芹菜の心はかなりの迷いに襲われていた。
 どう触れてあげれば、彼女がそのジレンマから開放されて楽になるのか。芹菜はその方法をよく知っている。
 けれどそれをしてあげたら、真奈美に美優をだぶらせて、これからも彼女に妹を求めようとしてしまう自分がいそうで怖かった。
 なにより今日、学校のカフェテリアであんな事があったばかりだから。
「…先輩…っ…」
 ふわっと揺れる真奈美の柔らかい手が、不安そうに自分の手のひらを握ってきた。
「真奈美ちゃん…」
 そう、確かに怖い。けれど目の前で自分にすがりついてくる少女を放っておけるほど、芹菜は自分が強いとは思えないから。
「…あたしで、いい?」
 問い掛けると、真奈美はなんとか頷いてから芹菜の身体にもたれてきた。そんな不安定な身体を包むようにそっと受けとめると、芹菜は真奈美の肩に口付ける。
「…唇はゴメンね。あたし……唇へのキスだけは、決めてる人にしか出来ない…」
 真奈美にというより、脳裏に一瞬だけ浮かんできた美優に対して呟く芹菜。それから真奈美の取れかけている下着のストラップと肌の隙間に指を忍ばせて、芹菜はそれを肩越しに滑らせた。



 溶かした水飴のように、潤みを帯びている真奈美の瞳。その微かに見開いた瞳に映っている芹菜は優しく、そして柔らかく真奈美を包み込んで囁いた。
「ここにきて、真奈美ちゃん。だいじょぶ、あたしがいるから…」
「…ぅん…っ」
 熱く火照って自分ではどうしようもない感情に囲まれながら、真奈美は小さく頷く。全身を芹菜に任せれば、あとは自分を貫く心地よい流れに感情を委ねてしまうだけ。
「…あぁぁ…っ…だ…めぇぇ…っ!」
 震える声に重なるように、身体が激しく動く。身体の置き場所に困るほど、感情のうねりが大きくなって。
 ゆっくりと力が抜ける瞬間の、その刹那の衝動に全てが吸収されていく。
「…んっ…ぅ…」
 呼吸するのが苦しいのは、すっかり渇いてしまった喉のせいだと真奈美が気付くのに少しの時間が必要で。
「…可愛かったよ、すっごく」
 耳元で聞こえた芹菜の声が嬉しくて、真奈美は芹菜の頬に自分から口付ける。そのお礼にと、芹菜が真奈美の頬にキスをした。
「お風呂、入ってくといいよ。それと、下着はあたしの貸してあげる」
 部屋の中、床の上で寝転がっていた芹菜はゆっくりと身体を起こすと、まだちょっとぼんやりとしている真奈美に手を差し出す。その手を握って、真奈美は起き上がった。
「…ちょっと待ってね、いま探すから」
 足を崩して座っている真奈美に、芹菜はそう言って立ち上がる。部屋の隅に置かれた、机よりもやや背の低いチェストの引き出しを引いて、芹菜はその中にしまわれている下着から真奈美に似合いの物を選んでいった。
「……うん、これならサイズがちょっとくらい違っても平気だと思うな」
 薄い紫色で、レースや刺繍は控えめのキャミソールの揃いを真奈美に差し出す芹菜。
「ありがとうございます…。あ、えと…」
 下着を受け取った真奈美が、何かを言おうとして口ごもる。それが何を意味するかすぐに判った芹菜は、くすくすと微笑んだ。
「あたしの名前は芹菜よ。桜野芹菜」
「ありがとうございました、桜野先輩…。あの、あたしは中等部の三年生で柳瀬真奈美っていいます」
 芹菜に名前を教えてもらい、真奈美が改めてぺこっと頭を下げる。それを見た芹菜は、ちょっと照れ臭そうに笑った。
「いいよ、芹菜で。それに先輩っていうのもやめて。その呼ばれ方、なんか苦手なの」
「えと……じゃ、芹菜…さん」
 少し緊張しながら呟いた真奈美に対し、芹菜はもう一度、頷くように微笑む。
「寮長にはあたしが言っておくから、一緒にお風呂、入りにいこっか」
 窓の外では薄紫の綺麗な夕闇が微かに残る雨雲を引きずって、星も見えそうな、けれど夜になれきれない空がある。
「背中、流してあげるからね」
 そんな吸い込まれそうな雨上りの景色を見付け、芹菜は軽く背伸びをした。