秘密の夢
【 第2話 】

「珍しいなぁ、まゆが学校帰りにくるなんて。明日テストでもあるのか?」
 5つ年上の従兄は、そんなふうに笑いながらティーバッグの紅茶を淹れてくれた。
「テストじゃないんだけど、教えてもらいたいことがあって……」
 語尾をにごしてしまう私に気づくことなく、彼は
「あ、そういやまゆが聞きたいって言ってたCD、戻ってきたぞ」
と、部屋中に散乱している堆積物の中から目当てのものを掘り起こしはじめた。
 6畳一間のヒロ兄の部屋は、ベットがその半分を占め、残りのスペースにテーブル代わりのこたつ(さすがに布団ははずしてある)とオーディオセット、それから大きめのテレビ、それらを取り囲むようにCDと雑誌と本が積み上げられている。救いはゴミが少ないことで、散らかっているけれど不潔なカンジはしない。本とCDでできた穴ぐら、というのがいちばん正しいだろう。狭いけれど本好きの私にとっては居心地のいい、遊びにくるといつまでも居座ってしまうけっこうお気に入りの部屋だった。
「まゆがウチにくるのって、だいたいそんな時ばっかだからな。……うーん、おっかしいなぁ、ない……受験勉強とかいうなよ、大学受験なんて俺もう全部忘れちまったんだから」
 ごそごそとあちこちをかき回している広い背中をみつめる。
 ヒロ兄には従兄のよしみで私の高校受験の時に家庭教師をしてもらった。いまでもときどき試験の勉強を教えてもらったり、携帯のメールでやりとりしたり、全然色気のある関係じゃないけれどかなり仲がいい。もっともヒロ兄にしてみれば、年の離れたイトコというよりは田舎に残してきた智佳ちゃんみたいな妹がもう一人こっちにもいるような気分なんじゃないかな。そういえば、前に私がベットの隙間からえっちな本を見つけたときなんか、慌てて本を取り上げて真っ赤になってへどもどして「智佳みたいなこと、すんなよ」って言われたこともあったっけ。…ってことは、きっと智佳ちゃんにもおんなじ事やられたことあるんだな。
 ほんとの妹みたいに可愛がってくれるヒロ兄をおどろかすのかとおもうと、ちょっと申し訳ない気がする。でも他に頼れる人がいないんだから仕方ないよね。
 なんて言いだすかに頭を絞りながら、私は熱くなっている頬をそっと押さえた。
 顔が見えないのが―――見られないのが、こんなに有り難いことだなんて思わなかった。
「……ねー、ヒロ兄って、けっこうもててたよねー?」
「なんだ? 恋愛相談か? まゆにもとうとう好きなヤツができたんだ?」
 ようやく一枚のCDをひっぱりだして、ヒロ兄は顔をあげた。そのちょっとからかうような顔をまのあたりにしたらとたん、顔がかぁっと赤くなるのを感じて私はあわてて目線を落した。
「……うん、そうなんだけど」
 思いだしたように手元のマグを取り上げて、淹れてもらった紅茶をひとくちすする。
 万が一にも断られるとは思ってないけど……でも笑い飛ばされてしまったらどうしよう。ぐるぐるとそんなことを考えているうちに、どんどん心拍数があがって、耳元できこえるくらいの大きな音になっていく。ちゃんと心臓って動いているんだなぁ、そんな風に考えてしまうのは、自分への照れかくしなのかもしれない。
「めっずらし〜。まゆが赤くなるのなんて、はじめてみたぞ」
 ちょっと人の悪い笑みを浮かべて一本とったつもりになってるヒロ兄に、おおきく深呼吸をしてみっつかぞえてから、爆弾を落す。
「あのね、私が好きになったのって、女の子なの。どうやったら、女の子を気持ちよくしてあげられるか、私に教えて」



 ヒロ兄はたっぷり1分くらい、まじまじと私の顔を見て、黙り込んでいた。
 もしかしたら「うっそ、冗談だよっ」って言うのを待っていたのかもしれない。でも、これは冗談なんかじゃ、なかった。
「ちょ、ちょっとまて。真弓………それ、本気でいってんの?」
 まゆ、ではなく、真弓とヒロ兄は言った。ヒロ兄がマジになっている証拠だ。怒ってるときや、真面目な話をするときだけ、ヒロ兄はきちんと私を真弓と呼ぶのだ。
「本気じゃなかったら、こんなこと恥ずかしいこと言えるわけないでしょ!」
 恥ずかしさと緊張で知らず口調がきつくなってしまった。それでヒロ兄は私が本気なのだとようやく気づいたようだった。目線をそらして、軽く頭を振る。
 でも、もう引きかえせない。
 ヒロ兄が何を言いだすのかこわくて、なにかに取りつかれたように私はいいわけをはじめた。
「ほんとに、その子のこと好きなんだもん。そりゃ女同士だけど、女の子好きになるのって、変なこと? おかしい?」
「いや、そうじゃない。……そうじゃなくて、お前」
「好きだから、気持ち良くなってほしいし、もっともっと、喜ばせてあげたいんだもん。そういうのって変なの?」
 どきどきする心臓に気をとられて、自分が何を言っているのかもだんだんわからなくなってきた
「全然、変じゃない」
 ヒロ兄は落ち着かない様子で煙草をくわえ、ちょっと目を伏せて先に火をつけた。思わずみとれてしまう。何回見ても、この仕草だけは見飽きない。
「……教えてって簡単にいうけど、それがどういうことだか、わかってんのか?」
 ためいきをつくようにゆっくりと煙を吐きだしたあと、ヒロ兄は目線をあわせないまま、静かに尋ねた。
「うん」
「男とやると痛いんだぞ。知ってるか?」
「………うん」
「俺は男だから、男のやり方しかできないぞ」
「でも、気持ちよくしてくれるでしょ?」
 私の言葉にヒロ兄は苦笑した。
「参ったな。断られると思ってないだろ」
 ヒロ兄は私に甘い。私はそのことをよく知っていた。だからこそ、私はヒロ兄を選んだのだ。
「ヒロ兄に、教えてもらいたい」
 答えるかわりに、最後の駄目押しをした。こういうのをきっと確信犯というのだろう。
「すげー殺し文句。行く末コワイなぁ、おまえ」
 ヒロ兄はちょっと苦しそうに眉をよせて煙草を消すと、テーブルごしに私の頭を引き寄せた。最初は軽く触れるだけ。間をおかずに再び重ねられた唇の間から、熱くぬめる舌が滑り込んできて、いままで知らなかった感覚を私に教えた。
 夢の中のキスをカウントしなければ、生まれてはじめてのキス。ちょっと苦い煙草の匂いがした。
「全部教えてやるから、おまえ、悪い女になるなよ」
 そう言って離れた瞬間のヒロ兄の顔を、たぶん私は一生忘れないと思う。
 私は言われる前に立ち上がると、その場で着ていた服を脱ぎ始めた。
 一枚一枚、着ていたものが本とCDの上に落ちていく。
 制服のベスト、ブラウスとリボン、そしてミニのプリーツスカート。
 いつ見るか分からない夢のために、こんな風に自分の体をはって覚えようとするなんてばかばかしいと思われるかもしれない。どうあがいても、あのミヤはただの夢の中の存在で、決して本当に触れあえる日なんて来ないとわかっているのに。
 でも夢でもいい。夢だけでもいいのだ。あの可愛いミヤに会えるのなら、触れることができるのなら、なんだって構わない。
 最後に薄い胸からブラをはずし、床におとしてそのまま顔をあげる。
 あと一枚しか残っていない私の身体をヒロ兄はまぶしそうに目を細めて見上げた。
「きれいだな」
 かすれた声に、男の欲望の色を見つけて私は安堵する。
 ヒロ兄も立ち上がって、狭い部屋の真ん中で私と向かいあう。
「まゆ……」
 きつく抱きしめられる。苦しいけど、なぜだかひどく安心する。その背中を抱きかえして、広く頼りがいのある胸に頬をすりよせた。煙草まじりのヒロ兄の匂いにつつまれて、私は今までにないくらい、血が騒ぐのを感じていた。
「……全部、教えて……」
 私の声も、かすれていた。