赤いくつ
Written by : 愛良
[9] 排除


 夏を過ぎ秋が来て、一学期に中くらいだった私の成績が一気に伸びた。勉強することの楽しさを覚えたのと、やはり心のどこかに勉強は大事だと言う気持ちが根付いていたからだと思う。俊樹には相変わらずセックスの代償として勉強を教えて貰っていたし、去年一年間で小学生が習うべき事を集中的に勉強したそのやり方が役に立ったのだと思った。私の存在感は夏休みを過ぎた頃から、クラスだけじゃなく学年の中でも……いや、下手をすると学校中でも目立つ様になっていた。美人で聡明で圧倒的な存在感を持つ人間が、誰からの妬みや嫉みすら寄せ付けない事を私はこの頃くらいから感じるようになっていた。
 クラスの誰もが、私に一目置いている。女同士の足の引っ張り合いも、同等であればこそのもので、存在感が大きくなった相手に負けると分かっている勝負を挑む様なバカな事は誰もしなかった。
 それでも、私は細心の注意を払った。体育教師と関係を持った事がバレては全てが不意になる、と思った。
 あの日の放課後以来、少しは彼も注意を払っていた様だったが、根が単純なのか、それとも脳味噌すら筋肉で出来ているのか、夏休みを過ぎ、二学期が来ると、また徐々にあからさまに私を見るようになってきた。あまつさえ、授業の合間に私を誘うような事さえしでかすようになっていた。
 体育用具室に授業の準備をしに行くと、先回りをしてそこで待ち伏せ、私を背後から抱きしめて自分の股間をお尻に擦りつけてきたり、廊下ですれ違う時にすっと手を伸ばし、胸を触ってきたり。私はその度にひやりとした。誰かに見られてはたまらない、と思った。確立し始めた今の学校内の地位を、頭の悪い同性の女達に引きずり降ろされるのはごめんだった。噂になるような事さえも起こしてはならない。私は何度も、体育教師との逢瀬の時、口が酸っぱくなるくらいに
「それだけはやめて」
とお願いをした。
「大丈夫。誰も気付いて無いだろ」
と大口を開けて笑いながら、相変わらず上達しない彼のセックスに私は辟易としていた。誰も気付いてないのは、誰のおかげだ、と言いたくなった。それくらい、彼は自己中心的で愚鈍だった。その証拠に、私がどんなに感じる所で嬌声を張り上げたとしても、彼は何も見ても聞いてもいない。脳内オナニーの道具として私がここにいるのだ、と毎回思った。それは、おじさんが連れてきた男達にも言えたことだったけれど、彼らの方がまだ、私の反応を見てくれていた。それは、ナマモノとしての性愛の対象がここにいる、と言う感触を確かめる為の行為だったとしても、まだその方がマシな位だった。
 私は、この男とこの後二年以上も同じ学校に在籍していたら、いつか綻びが出てくるだろうと思った。そんなことはあってはならない。私は焦った。これ以上、この男がエスカレートしない内に手を打たなくては。どんなに注意したところで、どんなに細心の注意を払ったところで、誰かに見られでもしたら一巻の終わりだ。どうするべきかと思案していたところに、その朗報は舞い込んだ。

 「先生が好きなの……」
同級生の女の子が私に相談を持ちかけて来たのだ。妙に落ち着いて大人びていると言われていた私は、こういう相談をよく受けていた。まことしやかに、素敵な大人と素敵な恋愛をしているに違いない、と言う噂が流れていたらしい。それは決して学内の体育教師という身近な存在ではなく、どこか夢物語と憧れを混ぜ合わせた様な儚い噂だった。そう言う噂ならいくら流れても構わない。私の今の地位を脅かすような類のモノではなく……いや、むしろその噂があるからこそ私の存在感が更に謎めいたものになる様な噂は歓迎だった。
 そう言う噂が立っていたからこそ、余計に私への恋愛相談は絶えなかった。恋愛など一度もしたことなど無い。誰かを好きという感情すら持ったことが無い私が、その相談事を親身になって聞くのは、我ながら滑稽な事だといつも思っていた。
 彼女が私にそう相談を持ちかけてきた時、私は一瞬自分の耳を疑った。
「先生って……体育の先生?」
「うん……」
「だって……あの先生、あんまりいい噂聞かない……でしょう?」
一見爽やかで何事も根に持たないタイプの体育会系、と言うのは確かに恋に恋する中学生にはモテるタイプかも知れない。けれど、殆どの女の子達は彼を嫌っていた筈だった。恐らく、彼の中の異質なインナーワールドを敏感に感じ取っているからかも知れない。私でさえ、あの男には嫌悪感すら抱く。
「みんな誤解しているのよ……先生は優しいし、親身になってくれるし……」
「でも……相手は先生よ?」
私は言葉を選びながら、心の中で舌なめずりをした。彼女の背格好を値踏みするようにゆっくり見回し、案外私と体型が似ていることに気付いた。
「だって……好きになったらたまたま先生だったのよ……」
「歳の差だって……あるでしょう?」
「愛に歳の差は関係ないと思うの……」
私は小躍りしてしまいそうだった。盲目的に彼女はあのゴリラの様な体育教師に恋している。情けない男であればある程、自分の中で愛することで彼を助けてあげられる、と思い込める女の様だった。つくづく男を見る目が無い自分を後悔するのね、と思いながら
「そう……だったら、ゆっくり先生に近づいて行くべきだわ。突然だったら、先生の立場もあるもの、どんなに気持ちが通じても、立場を考えてあなたをはねのける可能性があるわ」
「好きになったら、立場も越えるわ」
「気持ちは越えても……先生は大人だから。あなたの事を考えて、身を引いてしまう可能性もあるわ」
 言葉とは何て便利なものだろう。最近私はそう思い始めていた。人は勝手に言葉を自分の中で変換し、自分の都合の良い様に理解する。私は嘘は言っていない。彼女と体育教師が好き同士になれるとは一言も言っていないにも関わらず、彼女は既にそうなった先のことまで思いを馳せているようだった。
「だから……ね、様子を見ましょうよ。焦らないで。ね?」
こくん、と頷く彼女はまだまだ幼い子供だった。一つの歳の差と言う理由だけではなく、本質的に私は既にもう、この頃には少女ではなく、女、だったのだと思う。

 それから、私と彼女は常に行動を共にした。彼女は格好のスケープゴートになってくれた。体育教師がちょっかいを掛けてくる様な隙を彼女が埋めてくれたし、彼が私に粘っこい視線を送ってくればくる程、彼女を煽る材料となった。
「ほら……また先生があなたを見てる」
そう言えばいいだけだった。後は勝手に彼女が解釈し、想像し、暴走してくれるだけだ。
私は慎重に、機会を伺った。



「いやーーーー、先生、やめてーーーー」
担任の先生と放課後、廊下を歩いていた時、体育教官室から女生徒の悲鳴が聞こえた。はっとして駆け寄ろうとすると、先生は
「君はここにいなさいっ」
と私を押しとどめて、慌てて体育教官室へ走っていった。
廊下の向こうの密室から、男性二人の怒鳴り声と、女生徒の啜り泣く声が聞こえてくる。私はその時の快感を忘れない。



「アイツ、生徒にランボウしようとしたんだってー」
「やだ。信じられない。フケツー」
「逮捕されたんだって。淫行罪って言うんだって」
「だって、生徒だよ!? 何考えてんだろー」
「イヤらしい目であたしら見てたじゃん?」
「やだー。そんなヤツに一瞬でも教えられてたなんて、ゾッとする」
 季節は既に冬と呼べる頃になっていた。学内ではそんな話が飛び交った。私も同級生と一緒になって
「信じられないわ……教師なのに」
と形の良い眉をひそめて相槌を打っていた。
学校の先生達は慌てていて、TV局が何を訊ねても答えないように、と学校放送が入った。どこから漏れたのか、生徒の親が学校を訴えたのか。結局体育教師は教育委員会に掛けられ教員免許剥奪の処置が施され、この学校から姿を消した。女生徒の方も、噂に絶えられず学校を移った。私は気の毒そうに時折涙を流し、彼女と仲良かった者の心痛を級友に訴え、同情を集めた。

 私はあの日、体育教師に呼び出されていた。放課後、また可愛がってやるから、と言う言葉に艶やかな微笑みを返しながら、同じ時間帯に担任の先生から進路の事で呼び出しを受けていたことは黙っていた。そして、さも後から気付いた様に女生徒に、その旨を伝えて欲しい、と言っただけだった。彼女は、私が先生と会う機会を作ってくれたのだと誤解し、嬉々として体育教官室へ赴いたのだろう。
 私は、その日体育教官室が真っ暗にしてあることを知っていた。ここのところ、彼はそう言う乱暴なレイプまがいのプレイを好んでいた。教官室のカーテンを引き、身を潜め、私が来たらどこからか手を伸ばし、押し倒す。何度それで体を色んな所にぶつけ、痣が出来たことだろう。それでも私はそのプレイが私も気に入った様に振る舞っていた。
 そして、あの日。私と背格好が似ている彼女のシルエットを体育教師は勝手に私と勘違いし、カーテンを引いて暗い闇に包まれた物陰から彼女を掴み、押し倒し、口を塞ぎながら服を引き裂いた。そこで、女生徒に手を噛まれ、手を離した隙に、大声で叫ばれたらしい。勿論、進路の話を終え、その近くの廊下を担任と歩いていたのも計画の一つだった。あまりに上手く回った歯車に私は信じられないくらいの達成感を味わった。体育教師も女生徒も、決して私を責められない。体育教師は勝手に勘違いし、女生徒は勝手に彼に夢見ただけだったのだから。私はそれが、おじさんの所で暮らしていた時に、もう一人の女の子を男が買いに来た時に感じたあのゾクゾクするくらいの残酷な快感と似ていると思った。

 そんな混乱の中、次期生徒会長が決まった。俊樹だった。



[10] につづく




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