赤いくつ
Written by : 愛良
[10] 五枚の紙幣


 俊樹が生徒会長になるのはとても苦労しただろう事は、同じ境遇にいる私には容易に想像出来た。彼は計算高く自分を演じている。自分の殻を守りつつ、その殻を決して気付かせない演技は、その辺のTVに出ている俳優よりも見事だった。毎日の様にお互いを、互いの欠けた何かをそれで補うかのように貪り合う俊樹とは全く違っていた。多分、これは俊樹が私だけに見せる連帯的な安心感から、演じる枠みたいなモノを外しているのだろうと思っていた。
 そうして勝ち取った他人からの信頼を盾に見事生徒会長という、いわゆる学校の頂点に登り詰め、更に彼はその先まで見通しているかの様だった。
 思春期というのはとても残酷な時代だと思う。子供の残酷さを残したまま、大人の狡猾さを徐々に覚え始め、陰湿さを増していく。学校と言うのが集団の心理を産むのか、「普通」ではない者を容赦なく弾き出そうとする傾向があった。私と俊樹は環境の面で仕方なく「普通」にはなり得ない。施設に預けられ育てられていると言う、容易に弾き出し、蔑みの対象に出来る環境にいた。たかが肉親がいないだけで、簡単に彼らは私達を「普通ではない劣った者」として見ようとする。人は自分よりも弱いと位置づけた人間を更に深い不幸に突き落とし、それを見て安心する様なところがあるのかも知れない。その代わり、強者に対しては尊敬と羨望と少しの揶揄を込めて、憧れ、と言う名の元に上へと弾き出し、「自分たちとは違う」と下から見上げるような弾き出し方をする。俊樹は見事に、上へと弾き出された。彼の計算は見事に「普通」の生徒よりも一枚上手だった。
 私は、俊樹という素晴らしいお手本を間近に見、それを参考にしようと思った。彼らは常に他人の隙を窺っている。少しの隙も見せた途端に、「普通」という名の元、「普通」ではない私達を叩き落とそうと狙っている。足下をすくわれ、奈落へ突き落とされるのだけはごめんだった。その為には、人望と言う信頼は強固な鎧になると俊樹を見ていて痛感した。私は学校で品行方正で勉強が出来てそのくせ親しみやすい生徒になろうと努力した。以前から高かった私の評判は、体育教師の事件があった騒ぎに乗じて跳ね上がった。

 だが、演じると言う事はその分、歪みも生じやすくなるのかも知れない。

 ある時、施設のお使いで都心に買い物に出掛けた。数年間軟禁に近い生活で世間から取り残されていた私はその時初めて一人で電車に乗った。最初はそんなに混んでいなかったのが、都心に近づくに連れ徐々に人が多くなり、混み、他人と他人との体の密着度が高くなっていく。私は段々気分が悪くなっていった。空気が濁っている、と思った。口を押さえ、青白い顔で電車のドアの近くにもたれかかり、下を向いていた。ドアが開く度に滑り込んでくる外の新鮮な空気を欲していた。押し合いへし合いされた体は居場所を求め、押し潰され、私は間違いなく人いきれに酔っていた。大勢の人が私を押し潰し、電車の揺れに身を任していると、ドアの近くから押し流され、やがて電車の中央の方へと人波にさらわれて行く。四方八方を人に囲まれ、私は怖い、と感じた。それは、今までに感じたことも無い様な不安感で、私はどこかに救いを求めた。

 その手が、腰の辺りを這い回っていたことを私はその時から感じていた。けれど、こんなに大勢の人混みで、誰がどこに触れていたとしてもおかしくはない状況で、それが痴漢だとは私は気付かなかった。気付くには私にはあまりにも知識が無さ過ぎた。
 腰を這い回っていた手は、やがて這い上がり、セーラー服の裾から中に滑り込んできた。背後から腕は前に回り込み、お腹の辺りをその熱く汗ばんだ手が直にくすぐる。もう片方の手がスカート越しにお尻に触れた。それは単に当たっていると言う感じではなく、確かに意志を持って私のお尻を鷲掴みにしていた。
 電車の中でのその行為に、私は何故か安堵した。「電車の中」という私にとって非日常な環境下で、「男の欲望に晒される」という日常に触れたからかも知れない。私はなるべくその手に意識を集中した。その手に体を委ねた。そこから、電車の中の混雑や雑音、人いきれが消えていくような気がした。
 その手の持ち主は最初、あまりに私が素直だったので驚いた様だった。おそるおそる、反応を確かめていたのが、その内徐々に調子に乗ってきた。お腹の辺りをくすぐっていた手が、どんどん這い上がり乳房を下から持ち上げた。何と言うのだろう。私はその行為に、間違いなく拠り所を見つけた様な安寧を感じていた。支えられている……と言う安心感に、ほっと溜息を吐いたくらいだった。
 スカート越しに私のお尻を鷲掴みにしていた掌は、スカートの裾から滑り込んで、太股を直に撫でさすっている。電車の中で踏ん張るために少し広げていた足の隙間を、その手は確実に狙って、内股へと進入してきている。とん、と背中にその手の持ち主らしい体が触れた。私はもたれかかるようにしてその体に身を預けた。その途端、ぐっとセーラー服の中の手が私の乳房を鷲掴みにし、体を引き寄せた。包まれている様な感じが私を襲って、ほうっと溜息を吐くと、その手は一瞬びくりとして、動きを止めた。……が、溜息以上の事を私がしそうにないと察知すると、また手が無遠慮に動き始める。内股を撫でさすっていた指がゆっくりと上へ伸びて行く。やがて下着に触れたその指は、ゆっくりと足と足の真ん中を下からくすぐるように指で弾いていた。
「んっ」
と声を挙げると、手の持ち主はびくっとして、その手を一瞬引っ込めた。私は、声を出してはいけないのだと少し焦り、身を固くしてその手が再び進入して来るのを待った。……が、その手は私に触れたまま、躊躇している様だった。私は更に焦り、体をぐいぐいとその手の持ち主に押しつけ、お尻を突き出す様にした。触ってくれ、と無言の懇願だった。男の手は、私のその行為の意味を悟ったのか、今度は躊躇することなくスカートの中を迷うことなく真っ直ぐに太股から内股を伝って、下着の真ん中へと進入してくる。割れ目の辺りを正確に指でこすりながら、焦ったように下着の隙間から指を差し入れてくる。
 その時の私が濡れていたのかどうかは自分ではよく分からない。けれど、その指が直に私の下半身に触れた瞬間、私は感じていた電車内での不安が全て消え去った。雑音が消え、澱んだ空気は淫靡な匂いへと変わる。それは何というか、自分の所定位置に戻ったような気さえした。
 男の指は、遠慮無く私の陰唇をくすぐったかと思うと、その指を伸ばし、中へ入り込んできた。少しだけぴくん、と体を震わせ、声を出してはいけいと我慢しながら、私は中を押し進む指に意識を集中した。膣壁をゆっくり擦り上げる指は熱く、乳房を鷲掴みにしている指はゆっくり乳首を弄び始める。
 間違いなく私は感じ始めていた。時折腰をくねらせ、その指を更に呑み込もうとし藻掻いている。背中越しに感じる荒い息が心地よく服を通して私に伝わってきた。男の熱いおちんちんが太股の辺りに押しつけられているのが分かる。どうせなら、もうこのまま貫いてくれればいいのに、と思うと焦れったささえ感じた。

 とん、と背中を押され、はっと気付くと、私は人波に押し流され、今度は電車から吐き出された。新鮮な空気が肺に大量に流れ込んでくる。冷たい空気が頬を撫でる。私はその心地よさにほぉっと溜息を吐いた。……が、次の瞬間に、その私の手首を掴み、ぐい、と引っ張る人がいた。私をずっと触っていた男だった。手首を掴んだ手の感触でそれを瞬間的に察知すると、私は引っ張られる方向へ向かって歩いていた。

 男は無言で私を駅のトイレへ引っ張り込むと、壁に手を付かせ、お尻を突き出させた。スカートを乱暴にまくり上げ、下着をぐい、と下に降ろすと、自分のいきり立ったもので何度か割れ目を擦り上げ、そして一気に私を貫いてきた。
「ぁぅっ……」
声を漏らそうとしたら、その大きな手が私の口を塞いだ。私は、ここでもまだ声を出してはいけないのだ、と悟り、唇をきゅっと噛み締め、声が漏れ出るのを我慢した。
 男は激しく腰を私に打ち据え、その熱いペニスで私の膣内を掻き回した。電車の中での行為に興奮していたのだろう、はぁはぁと言う荒い息が便所の個室に充満する。
 私は、あんなに焦れったい程それを欲しいと思っていたのに、案外気持ちよくないな、と微かに思っていた。それよりも、途中の駅で降ろされてしまった事の方が心配だった。この駅はどこなんだろうと考えている内に、男は案外早く「ぅっ……」と呻いたかと思うと、私の中へ遠慮無く熱い精液を放出させた。脱力した掌が、私の口から滑り落ちた。



 無言で慌ててトイレから出て行こうとした男を察知して、私はくるっと振り向き、その手を掴んだ。
「待って」
男はスーツを着たサラリーマン風で、思ったよりも案外真面目そうな人だった。おどおどとしたその目は視線を彷徨わせ、私の手を振り解こうと乱暴に掴んだ腕を振り回している。
「わ、私は悪くない。君が誘ったんだ」
男はそう言って、乱暴に振り回した手で、私の肩をどん、と勢いよく突いた。私は個室の壁で背中を打ち、こけそうになりながら、
「待って」
とトイレから足早に逃げていく男を、服を整えながら追い掛けた。
 早足で歩く男に走って追いつき、その服の裾を掴むと、どろり、と下着の中、男の精液が流れ出るのを感じた。男の服を掴んだまま
「ぁ……」
と私が呟くと、何事かと男がおどおどとしたあの目で私を見る。私は上目遣いにその男の目を見ながら
「おじさんのが……出てきた」
と呟くと、男の瞳の奥が卑屈に揺れた様な気がした。……それは、以前おじさんの所に住んでいた時、おじさんが連れてきた男達が、その行為を終えた後に見せた瞳と似ているような気がした。
 男は、慌てて財布を取り出すと、そこから何枚か紙幣を取り出し、私に握らた。私が何のことか分からずにいると、男は無言でその場から走って逃げていった。私は、その男の走っていく滑稽な程細くて卑屈な背中と、手の中の紙幣を交互に眺め、そこにしばらく突っ立ったままだった。一万円札が五枚あった。

 目的地の駅まで案外近い事を駅員に尋ねて知った私は、各駅停車の電車の中、座っていた。ここだと息が出来る、とほっとしながら、私は渡された五枚の紙幣に付いて考えていた。何故、あの男が私に紙幣を渡したのかよく分からないままに、それでも五万円という大金に私は戸惑った。普段、施設でお小遣いと言うモノを貰っていない私は、それが、人に告げてはいけないものだと直感的に悟っていた。
 ふ、と。赤い靴を買って貰った時の事を思い出した。おじさんは私に靴を買ってくれた後、私を抱いた。……この五万円はそれと似た様なものなのではないか?
 そう思うと思い当たるような気がした。おじさんは私をいい様にする度に色んなものを買ってくれたではないか。おじさんが連れてきた男は、おじさんにお金を払ったと言っていたんじゃなかったか?

 ……もしかして、私、お金貰えるの?

 スカートのポケットの中に無造作に押し込まれた五万円を、私はスカートの上からそっと触った。……その考えは、甘美な確信に変わった。







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