赤いくつ
Written by : 愛良
[14] トモダチと呼べる人


「ぁ……はっ……んぅ……いい〜……いいのぉ〜」
かおりんが喘いでいる。男の人が腰を振っている。カメラを抱えてそれを真剣に撮っている人、待機する人、指示をする人、化粧を直す人、数人が周囲を取り囲んでいる。私もその中に混ざって見学していた。
 もう何度目だろう。流石に、制服を着た私はその場に違和感があったけれど、スタッフ達も既に慣れていて、何とも思ってない様子だったりする。私も平然とその撮影風景を眺めている。
 かおりんはやっぱりキレイだ。顔の造作も体のラインも、仕草さえも全部キレイだ。私は初めて自分の容姿や体型にコンプレックスを抱いた。中学校という狭い世界の中で井の中の蛙だった自分が恥ずかしい。思った以上に私は鼻ぺちゃで目が大きすぎて唇が厚ぼったかった。胸はそこそこあるけれど、ウエストがくびれていない。かおりんは容姿も体型も私の憧れだった。
「未来ちゃぁん……お水……ちょうだいぃ?」
かおりんが潤んだ瞳のまま、私に言う。素っ裸なのに、何の恥じらいも無い。私も、見ていて違和感を持たない。
「はい」
ペットボトルをそのまま手渡すと、かおりんがそれを口許に持っていく。顎がのけぞって、白い喉元がこくん、と揺れるのが凄くキレイだと思う。
「……んっ、んっ……んぁ〜〜……圭ちゃぁん……今日の、凄くハードっ」
かおりんは500mlのペットボトルを一気飲みした後、圭ちゃんを仰ぎ見ながらそう言った。
「しょーがないだろ、このお嬢さんが納得しないんだから」
圭ちゃんの手が私の頭を大きな手でぽふぽふと撫でる様に叩いた。
「んぅ〜〜〜……未来ちゃんたら、厳しいんだからぁ」
ぷぅ、と膨れてかおりんが私を見つめ、そして、ぷっと笑った。
「で、今日のはちょっとマシ?随分マシ?」
悪戯っぽく訊ねるかおりんはやっぱりキレイだった。



 AV女優のかおりんとAV監督の圭ちゃんは親友同士だとかおりんが言った。親友よりも戦友かも知れないとも言ったけれど、それ以外は何も無いのよ、とかなりしつこく念押しされた。親友と戦友の違いが何なのか私にはよく分からなかったけれど、恋愛関係と言う訳では無いらしい。恋愛というものも親友というものも言葉でしか分からない私には、とにかくこの二人は仲がいいんだ、と思った。

 私は例のビデオを撮られたあの日以降、かなりしつこく圭ちゃんとかおりんに逢いたがった……と言うのは少し語弊があるかも知れない。圭ちゃんはハッキリ言って最初どうでも良かった。かおりんに逢いたいと思っていたのだけれど、かおりんにはもれなく圭ちゃんが付いてきたから、必然的に圭ちゃんとかおりんに逢いたがった、と言うことになる。出来れば毎日でも逢いたいくらいだった。かおりんは最初、私を傷ついた子供の様に扱っていたけれど、やがてその態度はすぐ止めてくれたし、圭ちゃんははなから私を対等に扱ってくれていた。私も、この二人の前なら何の飾り気もなく喋られた。私達は大抵喫茶店やファミリーレストランやファーストフード店で食事をしたり喋ったり、ゲームセンターに行ったり、およそ私くらいの年齢の子が遊ぶであろう場所へ連れて行ってくれた。そして、大抵私よりも本気で私よりも無邪気に、真剣に、そこで二人は遊んだ。つられて、私も遊んだ。遊園地や水族館や動物園も連れて行ってくれた。情緒教育の一環、とか何とか言いながら、圭ちゃんはジェットコースターを飽きずに五回も乗り回したし、真剣にペンギンの物真似をしたし、かおりんはくらげを愛おしいと言ってはそこから離れようとはしなかった。
 それらの全てのお金は、圭ちゃんが出してくれた。払うと言っても受け取ってくれなかった。先に貰ってある、とだけ言っていた。私は何となくそのお金が何なのか分かったけれど、何も言わなかった。それが一体いくらでその内いくら使って、後いくら残っているのか全く分からなかったけれど、それでもそのお金を圭ちゃんが使っていると一言言ってくれるだけで、私の気持ちは彼らと対等になれた。
 私は、とにかく良く笑った。顔の筋肉が筋肉痛になるくらい、良く笑った。楽しい、という感情を爆発させるのは、とても爽快で清々しい気分だった。
「未来ちゃんは笑うと少し顔がくちゃっとなるけど、そっちの方が澄ましてる綺麗な顔より全然可愛いよ」
と、かおりんはいつもそう言った。それが嬉しくて私は更に自分の中にある「喜び」の感情を引き出すように心掛けた。「楽しい」と思えることが世の中に沢山あるのだと言うことを知った。
 私はいつの間にか売春をしなくなっていた。勿論俊樹とも全く接触していない。誘ってくることは何度もあったけれど、俊樹にだけは決して触れられたく無かった。そうこうしている内に、俊樹は結局公立高校を受験していた。施設にそのくらいの余力があったのかどうなのか、俊樹に聞く気にもなれず、来年に迫った自分の受験を考えると多少の不安感はあったけれど、俊樹が行けたんなら、私も行けない筈がない。そんなことより私は遊ぶことに全力投球していた様な気がする。



 ある日、逢いたい逢いたいとお願いしても、どうしてもダメだと圭ちゃんとかおりんに言われ、淋しさに打ちひしがられてしばらく「逢いたい」を言わなくなった事があった。圭ちゃんとかおりんは、私が拒絶されたと思って傷付いたんじゃないかと思ったらしく、二人で悩んで相談した挙げ句、現場に連れてきてくれた。
「いい?未来ちゃん。……見たくなかったら出ていってくれてもいいし、見たかったら見ててもいいの……でもね、理由はコレだったのよ。……私、自分の仕事未来ちゃんに言って無かったでしょう?……言えなかったの。自分の仕事を恥じてるから言えなかったんじゃないのよ?……私はね、私の仕事に誇りを持ってるわ。何にも恥ずかしい事なんて無い。……でも、未来ちゃんに及ぼす影響を考えると言えなかったの……近しい大人って私達くらいでしょう?……そりゃ色んな人を見ればいいと思うわ……けど、安易に未来ちゃんが自分の将来を考えちゃう様な、そんな影響の元にはなりたくなかったの。……分かる?私の言ってること」
かおりんは、現場へ向かう車の中で、そんなことを言っていた。

 ハッキリ言って、ショックだった。何がショックって、あのかおりんが、とても醜く見えたのがショックだった。猛々しい男の一部を迎え入れて嬌声を発しながら腰を振るかおりんが、何だか滑稽だった。
 確かに、自分がしていたセックスを考えてみれば、手順としてはああで声もこうで……って言うのは分かったけれど、見ていてこんなに奇妙な事だったとは知らなくて、私はあまりのショックに目をひん剥いていたのだ。
 圭ちゃんが、そんな私の表情を見て訝しんで
「未来、どうした?」
と訊ねてきた。
「……き、気持ち悪い……」
と、私は蒼白な顔をして答えた。
何だか凄く気持ちが悪かった。胸の辺りがムカムカした。
男に媚びる様な視線を送るかおりんが、気持ち悪いおばさんに見えた。あれが、くらげの水槽の前にへばりついて離れようとしなかった、あの可愛くて綺麗なかおりんだろうか。ゲームセンターで対戦ゲームをして圭ちゃんに負けた後本気でぷぅと拗ねていたあのかおりんだろうか。いつもにこにことして優しい香りのする、あのかおりんだろうか。
 ぬらぬらと汗でてかった肌がかおりんを違う生物の様に見せた。喘ぐかおりんの言葉が、声が、不快に耳に突き刺さる。肌と肌が打ち合う音が、べちょべちょ響いて吐き気を催す。
「未来?大丈夫か?」
「……あんまり、大丈夫じゃないかも……」
現場にいるみんなは真剣な表情だった。カメラを回しているのはあの日、私の足首を押さえた人だった。女の人がバスタオルと化粧品らしきモノを手に携えて待機している。レフ板を持った男の人の目も真剣だった。誰一人として欲情した目でその行為を見ている人は居ない。圭ちゃんだって、あの時のあの顔をしていた。
 ぞくっと全身に鳥肌が立った。
圭ちゃんが、凄く怖い人に思えた。かおりんが腰をくねらせ、揺さぶって、自分の中に出たり入ったりしている男を追い掛ける様に喘いでいる。
 いつも一緒に遊んでいるかおりんじゃなかった。
 いつも一緒に遊んでいる圭ちゃんじゃなかった。
私は一人、突然見知らぬ人の中に連れてこられた様な恐怖感を味わった。
 圭ちゃんの目はかおりんを見ていない。……あの日の圭ちゃんもこんな目をしていた。

 突然、私は胃液が逆流してくるのを感じた。
私も醜いんだ、と自分の思いが至ったからだと思う。あんな風にして、私も腰を振った。あんな風にして、私も嬌声を上げた。目の裏に、かおりんと男性の姿が私とおじさんの行為とかぶって、まざまざと描き出された。更に醜悪だった。更に醜かった。
「未来?」
私は口を押さえてトイレへ駆け込んだ。逆流してくる胃液を抑えられず、トイレの便器に突っ伏す様にして爆発的に駆け上がってくる嘔吐に身を委ねる。げぇげぇと、身体の底から内臓全てが口から出てきているんじゃ無いかと思うくらい、その嘔吐は続いた。



「……やっぱり、連れてこない方が良かったかな……」
ふと気付くと、そんな啜り泣く様なかおりんの声が聞こえた。
「ショックだったんだよ……きっと。……どうしよう……」
私は目を瞑ったまま、身体に与えられる振動に身を委ねてその声を聞いていた。悲しげに響く声が切なくて、私まで悲しい気分になる。
「この時期ってのは……色んな現実を目の当たりにして傷付いたりする年頃だからなぁ……」
圭ちゃんが息を吐き出しながらそう言っている。多分煙草でも吸っているんだと思う。ヘビースモーカーだからなぁ、圭ちゃん。
「何か思い出しちゃったかな……未来ちゃん……吐いちゃうなんて……」
ドキっとした。……そうだ、私は吐いて吐いて吐き続けて、かおりんが心配したあまり、撮影どころじゃなくなって、寝かしつけられて、それで……
 ふっと目を開けた。そんなに高くない所に窓と天井が見えた。圭ちゃんのワンボックスカーの中だったみたい。身体の振動は車のものだった。
「……ぁ、気が付いた?」
私はかおりんの膝の上に頭を置いていた。覗き込むかおりんの目から、私は一瞬ふい、と目をそらした。かおりんがまた醜く見えたらどうしよう、と言う恐れからだった。多分、かおりんは私が目を逸らした事に気が付いただろう。それでも、ふわりと頭に優しい手が添えられ、ゆっくりと髪の毛を撫で始めてくれた。
「大丈夫か?」
運転席から圭ちゃんが声を掛けてくれる。
「……ぅん……」
私は消え入る様な声で返事をした。
「帰れるか?送ろうか?」
煙草の煙を吐き出しながら喋る、独特の呼吸で圭ちゃんが訊ねてくれる。
「……ぅぅん……大丈夫、帰れる……」
そう言う遣り取りの間も、かおりんの掌はゆっくり私の髪の毛を梳かし付けている。
「無理すんなよ。……何だったら、かおりんの家にでも泊まるか?お前、その調子じゃ一人で帰れないだろう?」
「……でも……」
「あたしは全然構わないよ……未来ちゃん、ウチ泊まる?」
かおりんの優しい声が頭上から降り注ぐ。普段だったら一も二もなく泊まりたいって言うだろう。普段はそう言うことを暗にほのめかしても二人して帰れって言われていたし、私も素直にそれに従っていたのだから、こんなチャンスは滅多にない。
……でも。
「まだ顔色悪いし……施設の方に連絡くらい入れてあげるよ?」
「そうそう、お前はたまには甘えるって事を覚えた方がいい。……かおりんの家で休ませて貰え」
「……ぅん……」
私は恐る恐ると言う感じで、かおりんの膝元から顔を上げた。にこっと微笑むかおりんと視線がぶつかって、ほっと安心した。……やっぱり今までの、可愛くて優しいかおりんだ……。
「ね、決定。未来ちゃんがウチに泊まるの初めてだねー」
無邪気な微笑みでかおりんが私の頭をぎゅっと抱きしめる。何だか甘くてふんわりとしてどこか照れくさい様なその抱擁が、私は大好きだった。







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