赤いくつ |
Written by : 愛良 |
◆ [18] 夕日に染まる函 ◆ |
「あら、どうしたの?こんな時間に」 かおりんの優しい声が少しだけ苛立った。 「お?未来か?……この不良少女」 圭ちゃんがかおりんの横から顔を出す。 ……どうして、かおりんの家に圭ちゃんがいるの…… 私はぼんやりとそんなことを思っていた。 「……ん?……どうかしたか?未来。いつもなら『私をその辺の女の子と一緒にしないでくれるぅ?こう見えても全国トップ100の頭脳なのよっ』って言うクセに」 からからと圭ちゃんが笑う。肩までの髪を後ろで一つに束ねて、いつもGジャン羽織って。まだまだ若いとか言いながら、遊び疲れて翌日に筋肉痛が出ちゃう様なおじさん。 「……あれ?」 「あら?」 「やっぱおかしい」 「うん」 かおりんがふわりと動く。背後からスパイシーな匂いが立ちこめる。TVの音も聞こえてくる。 「……帰る」 私は何を期待したんだろう。そこに私の居場所なんて無いのに。何を錯覚したんだろう。圭ちゃんはただのおじさんなのに。 くるり、ときびすを返した途端、ぐい、と腕を捕まれた。 「丁度良かった〜。特製カレー食べてって」 ムッとして振り返ると、かおりんがにっこり微笑んでそう言った。 「その後、俺と対戦してくれ。……かおりんに勝てないんだ。けど、未来なら勝てそうだしな」 圭ちゃんがにやりと笑ってそう言った。 ……なんて呑気な、と思った私は、子供だったと思う。 服だけ持って出た私にお金なんてあるはず無くて、記憶だけを頼りにかおりんの家まで歩いて訪ねて来た頃には、時間はとっくに夜の10時になっていて、そんな時間に来るだけでも二人には驚くべき出来事だったに違いないのに。しかも、上はTシャツに下は制服のスカートだったりしたら。そのスカートが汚物で汚れていたら、何かあったと気付くに違いないのに。 それでも私は色んなところがその時ささくれ立っていたのだと思う。 「ぁ、ぁ、未来、たんまっ……うああああ、ひでぇぇぇぇ」 黙々とかおりん特製のカレーを食べた後、圭ちゃんとオセロゲームをする。マグネットタイプのゲーム盤。見かけた時にあまりに懐かしくて買ってきてしまった、と圭ちゃんは言っていたけれど、てっきテレビゲームの対戦モノだと思っていた私は少し拍子抜けした。 かちゃかちゃかちゃ、と無表情で右端と上端、そして斜めを黒から白へ変えていく。 「圭ちゃん、ほんっと弱い〜」 かおりんが圭ちゃんと私の間でケラケラと明るく笑う。……何の悩みもなさそうな笑顔。 「うるさいっ……未来、もう一回しよう、もう一回」 「……」 「ほらぁ、圭ちゃん。未来ちゃん疲れてんのよ。ね?……もう寝る?」 ふんわりと微笑むかおりん。ピンク色のエプロンが何とも可愛い。特製カレーの匂いに混じって、いつものかおりんの匂いが鼻腔を刺激する。 「あ〜〜〜〜くそぅ……かおりん、ビールっ」 煙草を取り出しながら圭ちゃんはそんなに悔しくなさそうに言った。 「はいはい。……未来ちゃんは何飲む?……ハーブティ入れようか?」 かおりんがにこっと笑って訊ねてくれる。私は首を左右に振った。圭ちゃんが煙草を口にくわえたまま、オセロ盤を片付けている。 「……なぁ、未来……」 かおりんがビールを片手に冷蔵庫から私達の傍に戻ってきて、圭ちゃんはそのビールを受け取り、プルリングを開ける。 「……前にも言ったかも知れんがな。お前、もちっと甘えてもいいと思うんだわ」 プルリングを開けるプシュっと言う音が聞こえてきて、そのまま圭ちゃんはそれを手に持ったまま言う。 「……お前が甘え方ヘタクソなのは、お前のせいじゃない。周囲に甘えさせてくれる大人がいなかったんだからな」 私は圭ちゃんが何を言いたいのかよく分からなくて黙って聞いていた。かおりんも、黙って神妙な顔で聞いている。 「……だからさ、今日お前がここに突然来たのは、俺ら嬉しかったんだぜ?」 圭ちゃんがかおりんの顔を見て、なぁ、と言う感じで視線を合わす。かおりんはその視線を受けて、無言のまま微笑んで頷く。……それがまるで、会話が無くても意志疎通が図れている様で、私は何となく辛くなった。 「俺ら、大人って言う程デキた人間じゃないけどさ。それでも、お前が頼ってきてくれるんなら、出来る範囲のことはしてやりたいって思うしさ」 やっと、ビールを口に運ぶ圭ちゃん。ごくごくごく、と反らした喉仏が揺れる。 「……」 「……ねぇ、未来ちゃん」 それでも無言で下を向く私の肩に、そっと手を置くかおりん。ふわりと優しい感触が、服の上からもじんわりと肌に染み込む。 「言いたくなかったら何も言わなくていいの。……でも、私達はあんまり頭がいい訳じゃないから、察してあげるって事が出来ないの……だから、どうしてウチを訊ねて来てくれたのか……良かったら教えて欲しいの」 ずるいなぁ、とふと思う。かおりんはずるい。美人でスタイルも良くてふわりと優しくてよく気が付いて。何でも持ってる。圭ちゃんの優しい言葉だって。 「……あ、そうだ、その前に施設に電話した方がいいかな?……今日、泊まって行くでしょう?」 かおりんの言葉が、今の私に苛立ちを募らせる。持て余しそうになる位、自分が嫌になる位、何故かは分からないけれどかおりんの言葉は私の中のドス黒いモノを掻き回す。 「……圭ちゃんも……泊まるの?」 「ん?」 「……シない?」 「え?」 「セックス……しない?私泊まったら……」 言うつもりの無かった言葉が口から突いて出る。あの時、覗きながら果てた情けない自分を晒した様で、一瞬後悔が沸き起こる。……全部、かおりんのせいだ。何故かそう思う。その感情が八つ当たりであることを分かっていながら止められない。情けない。最近の私はとても情けない。爆発する感情をコントロール出来ない。 「二人がシないなら泊まる。……するなら、その辺のおじさん捕まえて何とかする」 「……あちゃぁ……」 「……見てたんだ……」 シマッタ、と言う表情で二人が天井を仰ぎ見る。心の中がちくりと痛くなる。 「……シない?」 いつの間にか瞳に涙が溜まり始めていた。声が震えそうなのを抑えながら、それだけぶっきらぼうに言い放つ。 「……ま、今日はしないわね」 「……だな。今日はしないな」 かおりんと圭ちゃんがあっけらかんと言った感じで言うのが耳に入る。 「……シない?」 涙を堪えるとつんと鼻に痛いモノが抜けていく。声が少しだけ震えている。私は膝の上で握りしめた拳をじっと見つめていた。 圭ちゃんがぽん、と頭に手を置いた。ごつごつとしているけれど、大きくて温かくてじんわりと心の何かをほぐしてくれる様な手。目から溢れた涙の玉が、ぽたん、と握りしめた拳に落ちる。 「シない。……だから安心しろ。な?」 あの夜、かおりんに向けて発していた優しい口調だった。圭ちゃんのその声に私は二粒、三粒と涙を拳に落とす。 圭ちゃんの優しい口調が私に向けられた事がとてつもなく嬉しかった。かおりんではない。ちゃんと私に向けて言ってくれた。……それが何よりも嬉しかった。と同時に、それだけでは足りないと思った。もっともっと圭ちゃんを独り占めしたい気持ちが沸き起こってくる。 ……これは何だろう? 私はその気持ちを何と言うか分からなかった。肌から擦り込まれる様に圭ちゃんの優しい言葉が染み込んでくる。 ……この気持ちは何だろう? 私はふと、かおりんが今ここにいなければいいのに、と思った。圭ちゃんの隣にいつも当然の様にいるかおりん。そのかおりんがいなければ、圭ちゃんの優しさは全て自分の方へ向けられるのに、と。今ここにかおりんがいるだけで、圭ちゃんの優しさの矛先が自分だけのモノじゃ無いことを思い知る。それが嫌だと心の底から思った。……そして、次の瞬間そう思った自分がとてもみっともなくて恥ずかしい人間に思えた。 私はそれからしばらく施設に戻らなかった。戻りたくないと言うと、二人はあまりそれを問いただそうとはせずに、そう言うこともあるだろうって言った。かおりんも、何も言わず私を部屋へ置いてくれた。学校も時々ズル休みをした。担任がしつこく色んな事を詮索し始めていたのが鬱陶しかった。施設から教師へ、私の所在が分からないから聞き出して欲しいと要請が何度かあったらしい。優秀な生徒で来ていた私の評判は一気に地に落ちた。不良化したのだと先生達は慌てていたけれど、私は今更そんなことは一向に気にしなかった。学校を休んだ日は、日がな一日コンクリートの狭い函の中で過ごした。そうしていると何故か安心した。時々おじさんの顔が浮かんでは消える様になったけれど、その輪郭は既に朧気になっていた。 「……ねぇ、かおりん」 圭ちゃんが仕事で出掛け、珍しくかおりんと別行動だった日。持て余した時間を私達はマンションの一室で過ごしていた。かおりんは私の顔に化粧を施して、二人できゃぁきゃぁ言いながらファッションショーもどきな事をして遊んでいた。かおりんのクローゼットには普段かおりんが着ているカジュアルで可愛い洋服と、まるで正反対なくらい露出度の高い服が掛けられていた。何故かと聞いたら、少し曇った笑顔で、仕事用だから、とかおりんは答えた。 「ん?なぁに?」 散らばった服を片付けながらかおりんがこちらを振り向く。優しい笑顔。けれど、最近の私は時々かおりんに違和感を覚える。……違和感。と言うより、苛立ち。何故かは分からないけれど、そんな時がある。 「……どうして、AV女優になったの?」 一瞬、かおりんの視線が漂った。聞いてはいけなかったかな、と思いながら、私の奥から意地悪い感情が浮かんでくる。 「……あは……それはね、私がとってもエッチだからよ」 かおりんが笑いながらはぐらかす様にそう答える。 「セックスしたくてなったの?」 「……ん〜……ま、そうね」 「相手は誰でも良かった?」 ちくり、ちくりと私は無邪気な質問の振りをしながら毒を含ませていく。少し困った様なかおりんの笑顔を、もっと曇らせてやりたい衝動に駆られる。 「……誰でも……そうね、良かったの」 ふっと俯きながら自嘲気味に俯くかおりん。その横顔はとても綺麗だと思う。 「セックスしないとね、いられない体なのよ、私」 俯いて暫く無言の後、かおりんは顔を上げて明るい笑顔でそう答えた。はぐらかす様でいて、目は少し真剣だと思った。思わず私はその笑顔から目を逸らす。何だかこれ以上この話はつっこんじゃいけない様な気がした。 翌日、圭ちゃんがかおりんを伴って出掛けようとした。勿論私もそれに同行しようとしたが、圭ちゃんに止められた。 「お前、また吐くだろう?」 「吐かない……吐かないから連れてって」 「未来ちゃん……やめた方がいいと思うよ」 かおりんがたしなめる様に言う。 ……けど、仕事で出掛けたらおそらく二人は二人きりになれる所に寄るだろう、と言う恐れが私にはあった。私が居着いている間、この二人の間には何も無かった。きちんと約束を守ってくれていたからこそ、二人きりになれる場へ行く筈だと思った。それがとてつもなく私は嫌だった。 「また吐かれると、仕事に支障が出る……駄目だ」 圭ちゃんが強い口調で私を拒絶する様に言った。……その言葉が私を刺す。とても鋭利な針で。 「……ね、未来ちゃん……今日は家にいて?」 懇願する様なかおりんの顔。……スるつもりだ…… 「嫌」 「駄々こねるな。……今日はいろ。いいな?」 「嫌っ」 はぁ〜っと溜息を吐く圭ちゃんに一瞬びくっとする。目が少し怒っている様な気がした。 「お前が来ると邪魔なんだ」 キツく言う圭ちゃんの言葉が、心臓めがけて貫いた様な気がした。どくん、と心臓の音が聞こえる。 「……じゃ、真っ直ぐ帰って来て……絶対」 私はそれだけ低い声で唸る様に言うと踵を返して部屋の奥へ走り込んだ。どくん、どくん、と痛いほど心臓が軋んでいる。裏切られる……私は目眩がしそうだった。きっと、私の言う事なんか実行してはくれないだろう……そう思うと二人の顔は見ていられなかったから。 「真っ直ぐ帰ってくるから……」 かおりんの、どこか寂しげな声が部屋まで届いたけれど、その言葉は意味を成す前に私の耳を素通りした。 部屋の隅でうずくまって、一点を見つめたまま時間が過ぎるのを待つ。……そうすると、あの頃を思い出す。おじさんの家で過ごしたあの頃。おじさんが帰ってくるのをただ淡々と膝を抱えて待っていた頃。その後抱き寄せて、キスをして、愛してくれたおじさん。あの頃は、こんな風にして待つことなど何でも無いことだった。その後にくれる気持ちよさが、待っていた時の気持ちを全部忘れさせてくれたから。 ……そう言えば最近シてないな…… ふっと思う。最後にしたのは……あぁ、俊樹にヤられた時か…… 最近シてない訳じゃない事に気付いて、ちょっと可笑しくなる。シてないって、何を?あんな風に……おじさんがシてくれたみたいな事だとしたら、もうずっとシてないのと一緒なのに。 あの行為に一体どういう意味があるのか。 シたいとは到底今は思えなかった。だって、吐いちゃうのに。気持ち悪いのに。……何で今まで平気だったんだろう。キタナイ。ミニクイ。絡みつく様などろどろして粘ったモノが体の奥から沸いてくる。……何で、平気だったんだろう……掌で口許を押さえる。沸き上がる何かを抑える様に。……何で、平気だったんだろう……あの日、初めて泊めて貰った時に覗き見た圭ちゃんとかおりんの姿が思い浮かぶ。すーっと、沸き上がるモノが治まる様な気がする。 ……何で……あの二人はいつも一緒にいるんだろう? きゅっと唇を噛んだ。そう思っただけで、心臓がまた痛くなる。 かおりんはズルい。当たり前の様に圭ちゃんの隣にいるかおりんはズルい。他にセックスする相手がいるんなら、圭ちゃんとしなけりゃいいのに。かおりんはズルい。 うずくまった膝に私は頭を押しつけた。欲しいモノは欲しい。今私が欲しいモノは、圭ちゃんの優しい言葉。圭ちゃんの優しい抱擁。かおりんは何だって持ってるじゃない。綺麗な顔も体も。だったら圭ちゃん、くれたっていいじゃない…… 貰おう、と思った。 圭ちゃんを、貰おう。 ……今まで欲しいと思ったものは手に入れてきた。だって、誰も与えてなどくれなかったから。多少ずるい事はしてきたけれど、それの何がイケナイんだろう。自分の力で全部手に入れた。……だったら、圭ちゃんも、自分の力で手に入れればいい。 いつの間にか、夕日が射し込んでいた。部屋の中が赤く染まり上がる。デジャヴを感じて私はぞくっとした。私の記憶はいつも夕日からスタートする、とふと思った。 |
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