赤いくつ
Written by : 愛良
[22] 閉ざされた庭U


「良家のお嬢様がこんなことしていいんですか?」
至近距離に彼女の顔を見つめながら私はうっすら微笑んだ。何か胸の奥から蘇ってくる感覚の様な物を覚えながら。
「……あら、お嬢様の前に、私は一人の人間だわ」
くすり、と艶やかに沙也香は微笑む。その悪戯めいた微笑みの奥は、どこかねっとりとした熱を帯びている。
「……そういう趣味がおありとは存じませんでした」
「なんの事かしら……?」
「さぁ……?なんでしょうね?」
産毛が絡まり合うかと思うくらい至近距離。彼女の甘く華やかな香りが鼻腔をくすぐる。上品で整った顔立ちは美少女と呼んでも差し支え無い。長い睫毛。形の良いぽってりとした唇。白く透明な肌。うっすら上気した桜色の頬。
その艶やかな唇が物言いたげに半開きになっている。

……私は、この顔を、知っている……

 女の顔だった。……圭ちゃんが撮っていた時の。かおりんの顔だった。いや、かおりんだけじゃない。他の女優達も。皆一様に……こんな表情をしていなかったか?……多分、これが「女」の顔なのだ。きっと、私もこんな顔を持っている筈の。

 彼女は私を隣に座らせると、ゆっくりと顔を近付けてきた。彼女が持つ柔らかな香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。手首を握っていた掌がやがて解かれ、私の頬を掠めて、ふわりと首筋に回される。
「……ほら、やっぱり……あなた、髪をほどいた方が素敵……」
はらり、と私自身の髪が私のうなじや頬をくすぐった。後ろで一つにひっつめていたゴムを彼女はするりと抜き取って、顔の距離を近付けたまま、こちらを覗き込むように微笑んでいる。
「……邪魔、なので……」
私は彼女の表情を不思議な気持ちで眺めていた。一様に、「女」の顔は滑稽だとふと冷静に思う。
「ふふ……勿体ないわ……髪を下ろしただけで、あなた、こんなにも素敵になるのに」
 彼女はゆっくり小首を傾げるようにして私の髪に手を伸ばし、その柔らかな掌を頭に押しつけてきた。……彼女は、一体私に何を望んでいるのだろう……分かり切った問いかけだと思った。女が「女」の顔になる時は、そう言う時しか無い。

 胃の辺りがムカムカする感覚を覚えた。喉を通って、せり上がって来るようなその感覚は、あの頃、性行為に吐き気を覚えたあれによく似ていると思った。……思わず私は自分の感情を閉ざす。それが自己防衛だと自分で良く分かった。心にシャッターを降ろすように、感情の全てを遮断する。……何も見なければいい。何も聞かなければいい。何も感じなければいい。……何も、考えなければ……。

 柔らかくてぬめらかで生暖かい彼女の唇が私の唇に重なって来た。唇を割る様に押しつけられた彼女の舌先がぬめぬめとしていた。その舌に導かれる様にゆっくり口を開けると、更に舌は進入し、私の舌先を捕らえた。ちゃぷっと言う湿った音が口の中で広がり、そのまま脳を刺激する様だった。甘い香りが鼻腔を刺激する。……降ろした筈のシャッターがこじ開けられる……そんな感じがして、思わず私は彼女を押し返した。
「……ぁっ……」
柔らかな声が非難めいて私の耳に届く。
「ごめんなさいね、あなたが、余りに素敵だから」
それでも、そうされた事を意に介して無い様に、彼女は相変わらずよく透った鈴のような声でこともなげにそう言った。
「ねぇ……怒っていらっしゃる?」
少し媚びを含んだ様な声は、耳の奥に少しざらついた不快さを残す。
「少し……驚いただけです」
「それは、女同士だからかしら?」
彼女は面白がる様に下からねめつける様に私を見つめる。相変わらず女の顔。欲望を満たすため、獲物を手中に収めようと狙う顔。
「ええ、まぁ。……あなたは私に男になれと?」
「まさか。私、あなたが女性だから惹かれたのに」
「……そう言うご趣味ですか?」
「あら?それを責めるの?……人の嗜好は様々よ。違って?」
「ええ、それは認めます。……でも、それを押しつけて頂いては困ります」
「あら、怖い。……ふふっ」
彼女は言葉とは裏腹にこの遣り取りを楽しんでいる様にも思えた。
「素敵な人は沢山いるわ。男も女も。……そう言う方をもっと知りたいと思うのは、自然な気持ちではなくて?」
「知り方も……色々あると思いますが?」
「じゃあ、どういうのがお好み?……例えばあなたの過去から知っていくって言うのはどうかしら?……それなら許せて?」
「……どういう意味です?」
「そうね……ふふ、あなた、私と同い年なんですってね?」
彼女は意味ありげに上目遣いになって私の瞳の奥を探った様な気がした。
「……よく、ご存じですね」
全身にぞわっと鳥肌が立つ。……ヤメテ……
「小学校に一年多く在籍なさったそうね……でも、その前に四年ほど、空白期間がおありになるでしょ?……凄いわね。四年間で習う筈のことを一年で習得して、中学に進学。その間成績は上位をキープなさってらしたそうね?……ただ、去年の今頃、それまでは真面目に通ってらしたのに……欠席が目立ったご様子……何かあったのかしら?」
意味ありげに微笑む彼女の顔は美しいくらいに醜いと思った。……目の奥がじんじんする。頭痛にも似た感覚に襲われながら、何故彼女はこんなことを知っているのだろうと思った。……また、知っていて当然の様な気もした。
「説明する必要は無いかと」
「ええ、言いたく無ければ……仰らなくて結構よ?人それぞれ、色んな事が起こり得ますものね?」
「……そう言う過去を、調べた上で私に興味を持たれたと?」
「あら……それだけじゃ無いわ」
彼女はゆったりと柔らかい掌を私の頬にあて、さするようにしながら顔を近付けてきた。
「あなたが、とても可愛らしくて魅力的だから、よ……」
絡め取る様に。……彼女は私の唇を再度吸い上げた。柔らかい唇は何度も私の唇を優しげについばむ。くすくすと笑う彼女の唇が私の唇に振動を与える。……吐き気がした。吐き気がしたのに……抗えない、と思った。
「ふふっ……イイコ……頭の良い方は好きよ。自分のおかれている立場を即座に理解するもの……ね?」
彼女は私の唇から離れてそう呟くように微笑んだ。
……その意味ありげな言葉だけじゃなく……彼女はきっと色々掴んでいるのだろうと思った。……別に知られても構わない。誰に知られようと、私は私だ。ただ……今この学校から放り出されるのは非常に困る、と思った。それだけの幅を、彼女はここで利かせている。恐らくそんなことは訳無い事だろうと思った。
「……女性相手は、初めて?」
クスクスと鈴を転がすように彼女の腕が私の首筋に絡まる。

……かおりん……圭ちゃん……
鮮明に思い出せる様な気がするその二人の顔は、いつの間にか朧気になってしまっている気がした。ねぇ、かおりん……ねぇ、圭ちゃん。どうしてかな……どうしてなんだろう。

私は彼女の腰に手を回すと、ぐい、と引き寄せた。
哀しみにも似た深い諦めは、やがて黒い欲へと変化する。お金を稼ぐために売春したあの時の様に。体育教師を破滅へ追い込んだあの時の様に。おじさんが連れてきた幼いあの子を、客に告げ口したあの時の様に。
「ぁ……っ……」
小さな声がその唇の端から漏れた。それを塞ぐ様に、私は彼女の唇に唇を重ねる。彼女に自分の舌先を割り入れ、舌を伸ばし、彼女の口裏を舐め取る様に舌で擦りながら、口内の壁を丹念に舐め取る。そっと唇を離し、何度もついばむ。ついばんでは舌先で唇の輪郭をなぞり、また舌先を彼女の口へ押し込んでは歯茎の隙間を犯す。
「んぅ……っ……んっ……んぁ……」
藻掻くように声を漏らし、彼女の手が私の服を掴む。それを合図に、更に私は彼女の口内に唾液を流し込み、それを攪拌するように舌を動かす。欲しがる彼女の舌が私の舌を追い掛ける度に逸らし、吸い上げては舌先同士を軽くつつき、擦っては逸らして、唇の輪郭を大きく舐め取る。
 はぁはぁと息づかいが徐々に荒くなってきている。どちらの?……分からない。私は興奮している……?分からない……。
「ぁんぅ……んっ……ぁう……」
私の体にしがみつこうとしている沙也香の腕を振り解く。しがみつけないもどかしさに、沙也香の手は宙を掻き、そしてまた私の服をぎゅっと掴む。
淫靡なほど大きく、私達の唇の隙間から湿った音が響く。じゃぷっ、と言う音が彼女の脳内へ響く様に、私は彼女の口中を舌で犯す。何度も挿入を繰り返し、舌を弾き、歯茎を舐め上げる。
 ふーふーと声にならない喘ぎを漏らし始めた沙也香の吐息が、やがて熱を帯び、火照りとなって潤った頃。……私はそっと彼女から唇を離した。
「……ぁ……んんっ……」
「お嬢さん、キスはこうやってするもんですよ」
沙也香の瞳を覗き込む。……黒目がちな瞳が更に黒々と潤っている。頬は上気して、唇は半開きのまま。
「意地悪な方、ね……」
「それは調査済みなんじゃないんですか?」
「……残念ながら、そこまで調べられなかったわ」
彼女はどこかうっとりとした声でそう言って私を真正面から見つめ返した。その目は期待に満ちた醜い女の顔だった。







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