赤いくつ
Written by : 愛良
[26] 北風と太陽T


「あれ、可愛いお客さんだね。君」
隆浩に逢ったのは、晃浩の屋敷に通い初めて半年が過ぎた頃だったと思う。それまでは晃浩の執事と講師にしか逢うことの無かったその屋敷で、初めて逢う住人だった。
「あ……お邪魔しております」
私は小首を傾げると、はにかんだような笑顔を称えて……それでも彼の瞳をじっと見つめて、挨拶をした。
どこか晃浩に似た面立ち、それでも自信に裏打ちされた傲慢な面立ちの晃浩に比べて、ソフトで優男っぽい印象を受ける。
「晃浩君のお客さんなのかな?僕も急に来ちゃったからね。気にせずゆっくりとして行って下さい」
にっこりと笑う隆浩の笑顔に屈託は全く無かった。とても素直な印象を受ける。
「晃浩君はいるのかな?」
「いえ、晃浩様は本社ビルにて社長と共にハワード財閥の方々と商談なさっております」
「ふぅん、忙しいんだね。じゃあ、このお客様、僕がもてなしてもいいのかな?」
執事に尋ねた隆浩は、再び私ににっこり笑いかけると、
「お茶にしませんか?お嬢さん。僕の話し相手になって下さい」
と言った。ソフトな言い回しだけれど、晃浩とはまた違う、Noと言えない柔らかい強制力を醸し出している人だと思った。何というかそれは、相手が自分の言う事に対して拒否をする、と言うことがあり得ない、そう信じている、もしくは、そうされたことが無い者の醸し出している空気みたいなものだと思った。
「僕の淹れるコーヒーは、その辺の喫茶店よりも美味しいですよ。あは、自慢になっちゃうかな」
屋敷の奥にあるラウンジのカウンターバーに連れられて、その中でいそいそとコーヒーを沸かし始める隆浩は嬉しそうにそう言った。
晃浩なら、絶対自分でコーヒーなど淹れないだろう。
「僕、喫茶店のマスターにでもなろうかな。絶対イケそうじゃないですか?あは、なんてね」
ニコニコ笑いながら差し出されたカップには琥珀色のコーヒーが湯気を立てて香ばしい、美味しそうな香りがそこから広がっていく。
「美味しい……」
一口啜った私は、思わず心の底からそう言う声を漏らした。何とも言えない優しい味のするコーヒーだと思った。隆浩はそんな私を見て、満足そうに満面の笑みを称える。
「僕ね、いつも自分の淹れたコーヒーを飲んで貰いたくて、晃浩君のお客様でも誰でも、ここに招いては強引に飲ませちゃうんです。それでよく、晃浩君に怒られるんだ」
怒られても全然堪えてない様な感じで、隆浩がにこっと笑う。
「でも、美味しいですよ。頂けたお客様は、きっと喜ばれていると思います」
私がそう言うと、隆浩の笑顔が更に崩れた。
「でしょう?僕もね、そう思うんだ」

晃浩の人を惹きつける魅力が北風なら、この人の人を惹きつける魅力は太陽だわ、と私はふと思った。
晃浩はその過剰なまでの自信と、強引な魅力で人を自分の手中に収める。北風と太陽の童話では、北風が結局太陽に負けるのだけれど、晃浩くらい強引なら、不要な者を吹き飛ばしてでも欲しい物を手に入れそうよね。
比べて、隆浩の人の惹きつけ方は……多分生まれ持った才能の様な物かも知れない、と思った。どんな人にでも親近感を持たせる笑顔。彼の為に何かしてあげたい、と思った人もきっと少なくない筈。

それから隆浩と私は、時の過ぎるのも忘れて色んな話をした。隆浩は晃浩の従兄弟で晃浩の父親のお兄さんの子供に当たると言うこと。晃浩の方が年上なのは、両親が歳を取ってから出来た子供だからだと言うこと。晃浩は隆浩の後見人であること。でも、晃浩の方が何でも出来るし、会社は晃浩が継いでくれたらいいんだけどなぁ、と言うこと。海外に留学していたこと。最近帰ってきたと言うこと。そしてこの屋敷は基本的に隆浩に与えられた別宅だけれど、晃浩が商談やホームパーティ等に利用している事も教えられた。
どちらかというと一方的に隆浩が喋っていたけれど、彼の話は面白く、笑顔に釣られて私もつい笑顔で聞いてしまう。そんな感じだった。

「あ、僕、君の名前聞いてなかったね」
「あ、緒方です。緒方、未来」
「未来ちゃんか。いい名前だね。……晃浩君とは恋人同士?」
「は?……あ、いえ。すいません、驚いてしまったものですから」
思わず素っ頓狂な声を上げてから慌てて私は口を抑えて言い訳をする。そんな私を見ながら、隆浩は笑っていいよ、と言ってくれる。
「ここに女性のお客様なんて珍しいからさ。まだ若そうだし、お仕事関係のお客様じゃ無さそうだし、だとしたら晃浩君の恋人かなぁ?って思ったんだ」
「いえ、恋人なんてそんな……えっと、要するに、私……」
こういう場合、どう説明すればいいのだろう。まさか、金で買われました、とも言えないし、何だか言ってはいけない気がする。
「沙也香さんのご紹介で……その、行儀見習いに」
何とか焦点をぼかしたまま言い訳をすると、隆浩は何の疑問も感じてない様子で
「ああ、沙也香さんの学校の?そうか。珍しいね、晃浩君が行儀見習いの女の子のお世話するなんて」
と笑った。
私は曖昧に微笑みながら
「ええ……ありがたい事だと感謝しています」
と、心にもない事を言っておく。
それに感心した様に隆浩が
「未来ちゃん、凄いね。僕もさ、晃浩君にマナーやら帝王学やら学ばされたけど、面倒くさくってさ。いっつも逃げ回ってた。あは。それでね、海外に放り出されちゃったんだ」
と、笑いながら言った。……本当に、屈託無く笑う人だわ。
その笑顔は、誰かを彷彿とさせた。……誰だろう。何だか懐かしい様な気分になる。その懐かしい様な気分は、決して不快な物ではなく、甘酸っぱい心地よい物だと思った。



「君、隆浩に逢ったのかい?」
翌週、私はまた隆浩に逢えるのではないかと期待して迎えの車に乗った。その中には晃浩が座っていた。思わずぎょっとして晃浩の隣、後部座席へ座り込む。晃浩に逢うのは、パーティ移行、実に半年ぶりの事だった。
「偶然、あの館でお逢いしたんです」
私は晃浩の問いに事務的に答えた。晃浩は前を向いたまま、その返事を当然の様に受け流す。
「隆浩が、次のパーティに君をエスコートしたいと言ってきた」
「え?」
途端に、笑みを漏らしながら晃浩が私を見た。
「……行ってやってくれるかい?」
「あの……構わない……んですか?」
私は思わずそう尋ねる。晃浩の笑顔が何だか不思議な物を見るような感じに思えてくる。
「隆浩は駄々っ子だからね。一度言い出したら聞かないんだ。僕も隆浩には弱い。行ってやってくれないだろうか?」
それは、従兄弟として、可愛い弟分を思い遣ってる兄貴的な感情にも見えた。私は思わず拍子抜けしてしまう。
最初の印象が悪すぎたせいかしら。……この人も案外優しいところがあるんだわ。
「契約違反にならないなら……」
「勿論。こちらからお願いしているんだ、行ってやって欲しい」
爽やかににっこり笑顔を浮かべた晃浩は、それでも、面立ちが似ている筈の隆浩のそれとは少し違って見えた様な気がした。







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