赤いくつ
Written by : 愛良
[30] 報酬と報復


「隆浩さんね……薬に手を出されたそうよ」
あれから一体どれくらい経ったんだろう。いつの間にか、私は学年が一つ上がっていた。沙也香は最上級生として、生徒会で活躍していた。
「そうなんですか……」
私は何の感慨も無いまま、その言葉を聞いた。沙也香とこうやって二人で話をするのも随分久しぶりの様な気がした。
「隆浩さん。挫折を知らない方だったから……弱い方だったのね」
沈痛な面もちで、痛々しい程の声を出して沙也香が呟く。
「会社は……晃浩さんが正式に継ぐことになったそうよ」
「……そうですか」
「隆浩さんも醜聞に次ぐ醜聞で、もう、経営陣から跡継ぎには向かないとレッテルを貼られた様だし……あ、ごめんなさい」
「いえ」
私は皮肉めいた笑みを浮かべた。醜聞の一つは、私の事だと充分過ぎる位充分理解出来たから。所詮、それだけの事だった。所詮、彼は私の全部を見ようとはしなかった。私も見せることを恐れた。その結果がアレだった。今更、何の感慨も沸かない。あれから私は隆浩にも晃浩にも逢ってはいない。二人とも私に逢いに来ようともしない。もう用無しだとでも言う様に、晃浩からの迎えの車も週末は来なくなった。
「本当に何と言えばいいか……あなたには悪いことをしたわ。ううん、悪いことなんて言えないくらい酷い結末になるなんて、思わなかったの。まさか晃浩さんがあんな方だったなんて。……私があなたをゲームに誘わなければ……」
いつもの様に沙也香が苦しそうに言い訳をする。苦痛に歪んだ表情は、私を思い遣っての物だと分かるけれど。……けれど、何も感じない。

「僕は、今の未来ちゃんが好きだからね。覚えておいて。昔の事は関係ない。今、ここにいる、未来ちゃんが好きなんだ」

その言葉が滑稽すぎる位滑稽に私の頭から離れない。あんなの言葉にしか過ぎなかった。それでもあの甘い感覚に、私は縋り付いていたかった。

「晃浩さんがあんなに酷い方だったなんて……未来さん。晃浩さんとの契約が反古になっても、私が、あなたの後ろ盾になるわ。約束します」
キッパリと沙也香が言う。私は曖昧に微笑む。これもいつもの事。いつもの繰り返し。そして淋しそうに沙也香が微笑み返す。これもまた、いつものこと。
 私は。それでも、晃浩は或る意味私と同じなのだ、と思った。
欲しい物を手に入れるために手段を選ばない。そう、あれはゲームだった。晃浩の。私は駒に過ぎなかった。駒として扱われ、駒としてその役目を果たした。多分、そう言うこと。あれは計画的だったんだろうと思う。隆浩が私に惹かれる事も。そして私を使って隆浩を貶める事も。

大丈夫。私は、私の役目を果たしただけよ。契約は終了。恐らくは。

それは唯一の私のプライドだった。そして、心の区切りだった。沸々と黒い物が久しぶりに心の奥底から沸いて来る気がする。それは呪いの言葉なのか、恨みの感情なのか。そんな陳腐な言葉では到底説明しきれない黒い感情。

そう、契約は終了。私は、もう、あんたの駒じゃないわ。



その日は激しい雷雨だった。
山奥の寮。窓から雷の美しい稲妻が何本も筋となって臨むことが出来た。私はそれをじっと見ていた。その顔は相変わらず無機質で、口の端だけ上げている微笑みだった。鬱蒼とした室内に時折射し込む閃光は、私と、晃浩の陰影をくっきり浮かび上がらせてはまた薄暗い灰色の闇へと落ちていく。

「よくぞやってくれたね」
晃浩が呻くように鋭い瞳で嗤いながら私を見据えている。
「……何のこと、でしょう?」
私は窓の外を眺めたまま、敢えて優雅にそう答える。
「君だろう?……情報を他社へ漏らしたのは」
「まぁ……一介の女子高生がそんなこと出来る筈もございませんでしょう?」
私は微笑みながら振り向いて彼の瞳を真正面から見つめ返した。
「出来るよ。君なら出来る。……それに、調べは付いているんだ」
絞り出すような苦虫を噛みつぶした様な声で晃浩は私をじっとりと睨み付ける。
「全くやられたよ。飼い犬に手を噛まれるとはこの事だ」
そのセリフに、思わず私は喉の奥からクッと声を漏らした。ダメだ。笑みが漏れる。
「そんなに沢山犬を飼われるから、世話が出来ないんですよ」
「……」
睨み付けながら嗤う晃浩の目は、やがて溜息と共に足下を彷徨う。
「君は。……いい駒だったよ。思った以上にね。どうだろう、もう一度、僕の駒にならないか?」
視線を上げた晃浩は、先程の表情とは変わって、不遜で傲慢なそれに戻っていた。
「謹んでお断りします」
きっと私も、不遜で傲慢な笑顔になっているわ、とふと思う。
「そうか。……では、これを」
晃浩は内ポケットから小切手を取り出し、そこに金額を書き込んで私に渡した。3000万という金額だった。
「成功報酬だ。……何の、とは聞かないだろう?」
「ええ……お役に立てた様ですから。次期社長」
にっこりと私はそれを受け取る。その手首をがしっと掴んで、晃浩は私を鋭く見つめる。
「もう一度言う。僕の駒になれ。君はその価値がある」
「私の価値は私が決めます。あなたに決めて頂く必要はありません」
私は極上の笑みを称えてそう答えた。
「……後一つ果たしていない契約内容を果たして貰おうかな。それを受け取るのはその後だ」
舐めるような視線を私の全身に這わせた後、晃浩はそう言って自分の方へ私を引っ張った。
「どうやって僕の部下を丸め込んだ?その体を使ってだろう?」
そう言いながら私のブラウスのボタンを引きちぎる。私はその様子を冷たい瞳で見つめながら曖昧に微笑んでいた。







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