目覚め
Written by : ひさと
◆◆◆ #2 ◆◆◆
…… [1] routine work until weekend …… 



 私の職場は、自宅から自転車でのんびり15分ぐらい海側に走った所にある大村市立病院である。3年ほど前にカルテと伝票類をすべてオンラインで処理するシステムが私の親会社に該当するコンピュータ会社から納入され、私の勤務するメンテナンスとアフターサービスの専門会社が保守を請け負っている。私は8年ほど前にその会社に就職し、数回の転勤を繰り返した後に長崎大村営業所に配属になり、主に市立病院のそれらシステムの管理補助者としてほぼ常駐している。出身は東京の世田谷で、就職するまで東京を出たことはなかったが、転勤で日本のあちこちに暮らすのも独身のうちだけかな、と結構楽しんでいる。

 病院の朝は早い。患者さんの受付は8時45分からなのだが、7時過ぎにはもう既に外のベンチ(バスとタクシーを待ち合わせるために設置してある)に患者さんが待っていらっしゃる。病院が海に近く冬場は結構冷たい風が吹き込んでくるので、1階の病棟の夜勤看護婦のひとりが早くに入り口を開錠していたようだが、4月になって暖かくなってからは多少サボり気味である。もっともこのベンチに座ると、駐車場との境に植えてある背の低い染井吉野がちょうど真正面に見えるため、この時期は開錠されてもしばらく中に入らず染井吉野を眺めている患者さんもいる。

 実際にシステムを取り扱うのは病院のスタッフであるため私はそんなに早く出勤する必要は本当は無いのだが、一度自動受付機が全部止まってしまって復旧に2日かかったことがあったため、8時過ぎには病院のサーバ室に入るようにしている。

 そろそろ出勤しようかとしていた8時少し前、携帯にメールが入る。この時間のメールは深刻なトラブルの可能性もあり緊張する。

 メールは彩子からだった。安心して開く。

「おはようございます 週末は楽しかったです 私はこれから出勤です ひさとさんはもう仕事場なのかな お仕事お互いに頑張りましょうね♪」

 他愛も無い内容だが、気分は高揚する。ニコニコと自転車出勤。あまりにもニコニコしているのでサーバ室の本来のシステム管理人に何かあったのかと聞かれるぐらいわかりやすくニコニコしていたようだ。

 職場についてから返信をする。

「今職場につきました 彩子さんのメールに喜んだ私はどうもにやにやしていたらしく同僚に気持ち悪がられました(笑) 今日は一日気持ち悪がられながら仕事をしようと思います 彩子さんも今日はぜひにこにこと仕事をしてくださいね」

 こういう気分の良いときは仕事もはかどる。毎週月曜日には外来の投薬と入院患者の処置要領の変更等が多くあるために情報量が増大し、ネットワークにはかなりの負荷がかかり、あってはならないのだが時折サーバが止まることもある。そのため事前に負荷を減らすための流量制限をかけることもある。今日は4月の春休み明けの月曜ということでおそらく外来患者数がいつもよりも多いであろうと予測し、あらかじめ制限をかけ、多少レスポンスは悪くても確実な処置ができる方法を選んだ。思ったよりもレスポンスが悪くなることは無かったようで、トラブル無く一日の情報が流れた。

 夕方、18時を回った頃に、また彩子からのメールが入った。

「お疲れ様でした もしかしたらまだ残業中かしら? 私は早々に切り上げて実はもう部屋にいます スタッフになんだか生き生きしてますね なにかいいことあったんですか と聞かれたので、あった!と答えておきました。あったって言ってもいいですよね。この週末もあけています。お会いできたらうれしいです・・・まだ月曜日なのに週末を楽しみにしてるって会社員として失格かしら(笑)」

 帰り支度途中のロッカールームで届いたメールを読みながら私はまた無意識のうちににやけていたらしく、カノジョからメールですかとからかわれた。

「これから帰るところです 自転車で15分ぐらいです もともと普段の暮らしの中で週末に予定が入るということがまず無かったので、週末を意識したことがチャットルームの開設以外でここしばらく無かったんですが、実は私も週末が気になっていました。金曜日の夜からそちらに向かってもいいですか?」

 彩子からはすぐに快諾のメールが届いた。相変わらずにやにやしながら職員通用口を出たので夜間警備のおじさんに不審な目で見られた。

 今にも降りそうな天気だった。営業所には寄らずにまっすぐ帰宅する。

 帰宅後、携帯電話の、いうなればフォントに過ぎない彩子のメールの文面を飽きずに眺めていた。

 彩子は、最初私にメールをしたときに「愛情。。。うーん、ちょっと重いですね。」と書いていた。おそらくは愛情ではなく、何年も掛かって燃え盛っている性欲の火を順次消していくことが彩子の中での作業なのだろう。割り切ってのプレイも大いに結構ではないか。断る理由は無い。正直、仕事中、不意に彩子のことが頭の中に浮かび、勃起を隠すのにうろたえたりもしたのだ。

 テレフォンセックスの彩子を思い出し、勃起したペニスに手を添えた。

 彩子の声を思い出しながらペニスをしごこうとする、そこで、ちょっとしたことに気がついた。

 電話の中で、テレフォンセックスが終わったあとの彩子は、「シーツがびしょびしょ、取り替えなきゃ」と言った。

 しかし、彩子の部屋のベッドは、3年間、カバーが掛けられたまま使われていなかったのだ。当然、シーツも。となると、テレフォンセックスは彩子の部屋ではないところで行われていたことになる。


 どこだ?


 いや、多少の疑問があってもいちいち問質(といただ)していてはきりが無い。自宅ではないどこかだったのだろう。私は自分を納得させ、オナニーに集中する。


 彩子からの朝夕の定期メールは毎日続いた。

 今年は桜が遅く、長崎市内ではやっと満開になったという話、大村桜(長崎県大村市には、大村公園だけにしか咲かない大村桜という八重桜がある)を以前見に来て、いい所だなと思った話、そのとき初めて大村寿司を食べ、寿司というのに海産物は全く使われていなかったのと甘い味付けに面食らった話、今年は新人が一気に5人も入ってきて教育が大変だという話。なんだか天気があまりよくなくて気分が晴れないという話。私の仕事の話。そして、週末を待ちわびる話。

 こういうときの時間は、あっという間に過ぎる。

 金曜日。祈りが通じたかトラブルも問い合わせも無く、定時に仕事を終える。

 昼過ぎから「トラブルなし」と決め打ちであらかじめ作っておいた週間報告書の入ったMOを、桜馬場(さくらばば)の交差点にある営業所の常駐員に届け、世間話もせずにまっすぐ小路口町(おろぐちまち)の社宅へ。スーツをシャツとチノパンに着替え、「仕事終わりました これから向かいます」と、あらかじめ作ってあった携帯メールを送信し、すぐに車を出す。

 彩子からの返信は、長崎有料道路に入ったところで届いた。ここには信号も停車場所も無いので、道路を抜けて市内に入るまで確認ができない。有料道路を抜けると千歳町はすぐである。

 千歳町に入る直前の赤信号で止まった。急いでメールを確認する。

「今日はちょっと街中に用があるので、私の家に車を止めたら一度電車で西浜町か観光通まで来ていただけますか?」

 すぐ先の千歳町の交差点を左折し、彩子のマンションの駐車場を目指す。まるでもうここの住人のように当たり前に駐車し、電停に歩いて移動する。この道はまだ二度目なのだがもう見慣れた町になった錯覚がある。


 千歳町から西浜町(にしはまのまち)までは1系統で19駅、観光通までは20駅。なかなか長距離の移動になるのだが、それでも100円である。財布の100円玉を確認し、彩子への返信を打ちながら青色のマークの電車を待つ。

 返信の送信直後に電車が来たが、残念ながら赤い3系統の電車だった。すぐ1系統が続けてきていたら見送る手もあるのだが、後続の電車はないようだ。仕方がない、多少手間取るが公会堂前で乗り継ごう。

 長崎市公会堂前の交差点は路面電車の線路が縦横に走っている。行き先の違う電車がそれぞれこの交差点で行き違うため、方向の違う電車に乗り換えることができる。路面電車はどこまで乗っても100円なのだが、方向が違う電車に乗り継ぐ場合は、降りるときに「のりつぎ券」を運転手からもらい、引き続いて他方向の電車に乗り続けることができる仕組みがある。通常「のりつぎ券」は築町(つきまち)電停でしか渡されないことになっているのだが、運転手によっては公会堂前でくれることがある。もらえない場合は改めて100円支払うことになる。これだけの長距離を移動して200円なのだからそれでも格安なのだが、なんだか100円に慣れると200円が異様に高く感じる。

 今日の運転手はくれる人だった。公会堂前で「のりつぎ券」をもらって電車を降り、道路の反対側の4,5番系統の乗り場に向かう。彩子からメールが届く。

「銅座のステラビルわかります? 3Fのユニクロにいます」

 ステラビルは、前に待ち合わせた観光通りのドトールのはす向かいに位置する。観光通で降りたほうが近いかなと考えていると5番の電車が来た。

 電車では4駅しか離れていないのだが、このあたりは土地の起伏が激しく、しかも路面電車以外は通れない道などもある。ユニクロに向かうと返信した後、ぼんやりとそんな道の様子を眺めながら、傘を車の中に置き忘れてきたことに気づく。ここ1週間長崎は晴れていない。今日も降りそうな空だ。



[ 2005.08.27 初出 ]




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