目覚め
Written by : ひさと
◆◆◆ #2 ◆◆◆
…… [3] "JIGEMON" talk …… 



 食事の支度の途中で中断してしまったため、炊飯器が炊いてくれたご飯以外はなんだかどれも今ひとつの味になってしまった。彩子が、いや、いくらなんでも私でもこんなにひどい料理は作らないんだからぜひ再挑戦させて、と強く言うのがなんだかおかしかった。今ひとつの味といいながらも、なんだか二人とも喜んで全部きれいに平らげた。

 大きなゴブレットに注がれたペットボトルの冷たい緑茶を前にして、部屋着の二人はテレビを見ていた。

 金曜日のこの時間、あまり面白い番組があるわけでもなく、ぼんやりと細長いリモコンをぱちぱちと動かしていた。

 長崎ケーブルテレビ独自のローカルニュースが映った時、彩子が口を開いた。

「あ、長崎ニュースがはじまりましたね」
「これって、独自に作っている番組なの?」
「そうですよ。CCNにちいさなスタジオがあってそこで収録して放送してます」
「取材とかも独自で行くの?」
「ええ。ちゃんと共同通信社とかロイターとかと提携した全国ニュースも流しますし、地元のちいさなニュースもちゃんとした取材をしてるんですよ」
「ずいぶん力入ってるんだね」
「買収した時の目玉の一つがこれだったんですよ。やっぱりテレビって中身だから、コンテンツを充実させないと料金払ってまで見てもらえないんですよね」
「ということは、前はローカルニュースチャンネルは無かったの?」
「あったけど文字放送だったんです。そんなの空港の待合室でもない限り誰も見ませんよね。だから、ちゃんと動画で、ちゃんとアナウンサーが読んで、ちゃんと取材したニュースを、最低1日1回更新して、流してるんです。姑息な手かもしれませんけれど、アナウンサーさんはとびきりきれいな人を選んだりとかもしましたよ」
「あははは、なるほどそうか、美人アナウンサー目当てに見る人も絶対いるよね」

 天気予報の画面から、動画のニュース画面に切り替わった。

「おー、確かにきれいなアナウンサーさんだなぁ。この人目当てに見ちゃうかも」
「でも残念ながら大村はまだ当分エリア外なんですよね」
「そうなんだよねー、『ながプレ』の裏表紙の広告を見るたびに早く大村でも見たいって思ってるんだけど、いつごろエリアになる予定なの?」

 ながさきプレスという地元ミニコミ誌の裏表紙全面広告は毎月長崎ケーブルテレビで、特集チャンネルの情報や新エリア開通などの情報が載っている。

「うーん、そんなに先にはならないと思うんですけれど、まだ長崎市内も全域というわけではないので・・・あ、諫早」
「諫早?」
「いえ、ニュース。ギロチンが・・・」

 テレビのニュース映像が、1年前、諫早湾(いさはやわん)干拓事業のため、海に向かって一列に並んでいる鉄の扉が次々に落ちていくシーンを映し出していた。
 地元では反対派があの次々に落ちていく鉄の扉を、ギロチン、と呼んでいたのだ。

「もう1年になるんだっけ」
「去年の、4月・・・確か14日ですから、もうまもなく1年ですね」
「そうかぁ・・・ 俺は直接諫早湾に関係しているわけじゃないからちょっと気持ち的に遠いニュースなんだけど、漁業権とか海苔の問題とかなんだかいろんなのが絡まってるよね」
「そうですね、それに、本来は戦後まもなくの食糧難だったころ、水田を造成するために計画されたものなんですよ。もう、50年も前の話なんです」
「いま水田を増やすわけじゃないよね?」
「いまではジャガイモとかネギとか言ってますけど・・・ これ以上ジャガイモの畑を増やしても、って気がします、私は」

 長崎県はジャガイモの生産高が北海道についで2位である。そのため、県内あちこちにジャガイモの畑がある。彩子は続けた。

「それに、食料の自給率の向上のためって言ったって、水産業に影響与えちゃったら食料自給率の数字の意味ないですよね。なんだか、もう、県とか国とかが意地になってるって感じで・・・」
「最近防災ってことも言ってるけど、それってどうなの?」
「えっと・・・」

 彩子は、少し考える表情をした。

「・・・最近の干拓のプレスリリース見ていると、必ず諫早大水害の話が書いてあるんですよね。でも、よく読んでみると、諫早湾干拓で諫早の水害が防げるとはどこにも書かれていないんですよ。でも、防災の対策が干拓しか明確に示されてないんで、地元の人はちょっと不安に感じたりしているみたいなんですよ」
「そうかぁ、そうだよね、地元の人がどう実感しているかってのも問題だよね」
「私自身は、生態系を壊すと考えてるんで、干拓事業には反対です。でも、テレビの送り手としては、中立の立場じゃないといけないですよね。なので、諫早の人たちに話を聞きに行ったりしたんですよ。そうするとですね、諫早の人たちって、一様に『街の湿気が少なくなった』っておっしゃるんです」
「街の湿気?」
「島鉄の、本諫早駅前のアーケード、ありますよね。あそこって、湿気が多くてなんとなく かび くさかったんですよ。雨が降ったりすると本屋さんの売り物の週刊誌の紙とかが、はっきり湿気たようになっちゃうぐらいだったんです。でも、ギロチンが降りてから、街の空気がべたつく感じがなくなって、からっとした感じになって、かび くささがなくなったって、一様に皆さんおっしゃるんですよ」
「あっ・・・」

 2年ほど前の夏に何かの用で島原鉄道 − 地元の人は「しまてつ」と言う − の本諫早駅前に行ったことを思い出した。確かに駅前のアーケード街は、活気はあったが空気が重く、なんだか特有なにおいがしたのを思い出した。そうかあれは「かびくさい」だったのか。

「・・・確かに、水門が閉まるより前に本諫早に行ったことがあるんだけど、空気が重くて特有の匂いがするなとは思ってて。そうかあれが・・・」
「地元の人たちの感情は複雑ですよ。ほら、去年の夏、集中豪雨あったじゃないですか。前だったらあれで駅前の商店街は間違いなく床上浸水してましたけど、去年は何も被害が起こらなかったですよね。農業被害とかも全然なくて。で、干拓推進派は、干拓の成果だって言ってるんですけど、本明川の対策が別にとられてるんで、もしかしたらそのためかもしれないんです」
「本明川?」
「諫早大水害って干拓問題で最近必ず引き合いに出されますけど、本当は、本明川が、上流から流れてきた倒木とかが橋に引っかかって流れがせき止められちゃって、それで氾濫して起きたんです。なので、国土交通省・・・だったかな、今で言う、が、整備事業をちゃんとやって、洪水対策は済まされているんですよ。もう、何年も前に。水害自体が40年ぐらいだったか前の出来事ですし」
「そうなんだ。でもそういうのってあまり報道されてないよね。俺も長崎に住んで何年にもなるけど知らなかったよそういうこと」
「本明川の対策は地元にもあまり説明がなされなかったようですし、キー局報道にはどうしても上からの制約がありますから・・・でも報道する側は放送をするしないにかかわらず深く取材しておかないと、底の浅さってすぐにばれちゃうんですよね・・・」

 彩子が、なにか思い出したように言葉を切り、ぼんやりとニュース画面の方に視線を向けている。

「彩子・・・?」

 涙目になって、私のほうを向く彩子。

「ひさとさん・・・」

 今までに見たことがない表情をしている。どうしたらいいのかわからない。彩子の右手が私の肩に置かれ、掴まれる。そのまま私は彩子の華奢な体を抱きしめる。

 彩子は声を上げて泣き始めた。
 私は女性に泣かれるとどうしていいかわからなくなる。抱きしめたまま髪をなでるぐらいしかできない。

「・・・すみません、ちょっと思い出しちゃって」

 何を? と聞こうとして言葉を飲み込んだ。抱きしめる手を少し強め、キスする。私から彩子の中に舌を差し入れる。彩子は舌を絡ませて応じる。そのまま何か言っているが私の舌が入っているのでよく聞き取れない。舌を抜くと彩子は改めて私に言った。

「顔・・・洗わなきゃ」

 彩子はぐすぐすと2度ほど鼻を鳴らし、

「二人でお風呂に入りませんか?」

 と言った。



[ 2005.08.27 初出 ]




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